カウントダウン13: 東京シャルソン2018

あと13日。

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「東京シャルソン2018」を開催。2012年の経堂マラソンから7回目だった。各地の主催者と、これからまちを盛り上げたい人たちが集まり、ものすごいエネルギーが炸裂していた。

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シャルソンが生まれたのは2012年2月。まだシャルソンの名前はなく、「経堂マラソン」という名前で探りながら開催しました。企画を固めてからイベントを作るのではなく、とりあえずコンセプトを考え、当日までに修正していくという流れ。変更をその都度伝えられるよう、Facebookのイベントページで毎日のようにアイデアを発信していきました。

当時まだFacebookを使うのは主流でなく、「Facebookユーザー以外にも開かないの?」と聞かれましたが、アイデアを連続的に変更して伝えるためには、情報感度が高くないと無理だと思ったのでそうはしませんでした。僕が作ったルールを理解してほしいというよりは、一緒にイベントをというか全く新しいなにかを作ってほしいと思いましたので。

結果として、経堂マラソンを楽しんでもらっただけでなく、それを発展させるたくさんの意見をもらい、継続することと他の地域へ広げるための勇気をもらいました。

すぐにご当地シャルソン協会を立ち上げ、初年度に10回の開催を目標にし、その時つてのあったパクチー農家さんやコワーキングスペース運営者などに開催を働きかけていきました。同じコンセプトによる2つ目のイベントが横浜で開かれ、初めて「シャルソン」という名前を冠したイベントとなりました。その後は面白い人に会うたびにシャルソンの開催を呼びかける日々でした。そして2012年中に、全国で10回の「シャルソン」が開かれました。

この年の年末に連絡をくれたのが安曇野シャルソン主催者の篠原さんです。その後シャルソン開催希望の方数百人から連絡をいただいていますが、自分が面識のない人からの初めての連絡でした。経堂駅で待ち合わせをして、PAX Coworkingへ向かう道すがら、長野県と僕の関わりについて軽くお話をしました。約1時間、とても楽しい会話をしたことを覚えています。そして「5月に開催します」と言って経堂を離れました。

シャルソンは大まかなコンセプトだけを僕が決め、あとは主催者の自由にアレンジをしてもらい、面白いアイデアがあれば他地域でも採用してもらうことで発展しました。また、僕がしゃしゃり出て流行りそうな地域で開催するようなことはせず、その地域に在住または在勤の人が主催者となるというルールを決めました。行ける限りは色々な地域のシャルソンに参加して、全国のさまざまななまちの名前を知るとともに、自分たちの社会に対して意欲的な方々にたくさん会いました。パクチーハウスに全国から面白い人たちが集まる理由の一つは、そうした方々が僕を訪ねてくれることにもあるのでした。

シャルソンは6年間で約180回開催されました。これからも伸びていくと思います。日本国内のみならず、世界中での開催を、今後は支援していきます。やりたい人はぜひご連絡ください。

東京シャルソン2018には、全国からシャルソン主催経験者と、これからシャルソンやコワーキングでまちおこしをしたい人が多数集まりました。パクチーハウス東京での開催は今回が最後となりますが、僕は今後も東京シャルソンの主催者として、東京の新しい魅力を多くの参加者と見つけて発信していきたいと思っています。

カウントダウン14: 経堂オールスターズ

あと14日。

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ライブドア時代の同僚・徳ちゃんと妹さんのファミリー、フジヤマンボ!からのミニーとニムニム、大阪からガネちゃん、パクチー・ランニング・クラブの菊住さんと青木くん、そして経堂オールスターズ!!!

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パクチーハウス東京を作る前に所属していたライブドア・ニュースで同僚だった徳ちゃんが来てくれました。僕はライブドア時代に日本パクチー狂会を作りました。パクチーハウスを作る構想は当時全くなかったのですが、周りに起業を志すというか、人生を切り開くことに意欲的な人がたくさんいたので、その影響を受けたのでしょう。第一子誕生を前に僕も起業の道を選び、半年間考えた結果、日本パクチー狂会で培ったコミュニティを社会に活かすという結論に達し、世界初のパクチー料理専門店を作ることにしました。

飲食業の経験のない僕は、最初の頃どのぐらいスタッフが必要か分からず、親兄弟はもちろん、たくさんの友達に運営を手伝ってもらいました。徳ちゃんもそのうちの一人です。徳ちゃんはその後、教育の大学院へ行き、長野県で中学校の先生をしています。一度、中学生向けの進路講話をさせてもらいました。徳ちゃん、しばらく会わないうちにすっかりスリムになりランナーとなっていました。前に久しぶりに会った時に初フルマラソンでサブ3.5とかを達成していました。

徳ちゃんの妹さんの旦那さんは高校の先生。そしてやはりランナー。その高校でも2度ほど、キャリア教育の授業でお話しさせていただきました。その授業に子の親友が、僕のちょっと遠い親戚の息子さんだったという縁があったりもしました。その親戚と初対面したのも、PAX Coworkingにドロップイン利用してくれた人から聞いた話(「佐谷さん」という人が昔上司でした)とFacebookによるものでした。

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世界青年の船のつながりで出会い、フジヤマンボ!で一緒だったミニーが、同じくフジヤマンボ!で繋がったニムニムと来てくれました。最初に来た時はpublic’S’peaceにも入ることができず、近くのワインバー「ieri」で待機してくれていました。

ミニーは現在北海道在住で、雪関連の話をたくさん聞いたのですが、そういえば僕はパクチーハウスを作ってから雪山には行ってないなー。最近になりようやく子供達がスキーやスノボに少しだけ興味ありげな発言をしているので来年ぐらいから復帰しようかなと思いました。ミニーが昔話で、僕がスノボに行く時に買い物カゴにネックウォーマーだけしか持っていなかったと話してくれました・・・荷物が少ないのは昔からみたいですね。最近は旅先で空港に着いてすぐに走れるようにしているのでもっともっと荷物が減っていますが。

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大阪から来てくれたガネちゃんも最初public’S’peaceにも入れず、商店街を散策してもらっていました。商売道具の荷物がとても重いということで、店の奥にしばらく荷物を預かっていましたが、散策中に古書店で大量買いして帰ってくるという(笑)。面白い人です。帰りは大丈夫だったでしょうか。何年も東京に来る度に立ち寄ってくれるお客さんです。店に入って来た瞬間、いつもホッとさせてくれます。

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パクチー・ランニング・クラブから、菊住さんと青木くんが。菊住さんは僕と同様2011年から毎年メドックマラソンに出ている友人。ボルドーでの飲み会も定番となりました。いつも同地に住む日本人醸造家・内田さんのワインツアーを企画してくれています。最近開催できていない「朝ラン&ビールの会」にも何度か来てくれています。「最近やってないんじゃない?」と言われましたが、その通りでございます!!! 経堂の店舗を閉じて落ち着いたら、また定期的に開催したいと思います。

青木くんは、世界遺産ランナーの肩書きを持っています。実は僕が名付け親です。5年ほど前に、「富士通の後輩」に当たる人として紹介され、仕事の悩みについて聞く機会がありましたが、一方で彼の「やりたいこと」をもっと追求するのがいいのではないかとアドバイスをしました。そして「世界遺産ランナー」となって、あれよあれよという間に活躍を始め、スポーツインストラクターやランニングアドバイザーとして生活をするようになりました。昨年から肩書きは与えられるものではなく、作ることで未来が開けるという内容で肩書きに関するワークショップを全国各地で行なっていますが、青木くんの事例はまさにその好例です。

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そして、とても残念ながら来ていたきながら食事をしていただけなかったのですが、経堂オールスターズが来パク。僕がここに来て間もない頃、右も左も分からない状態でいる時にパクチーハウスに来てくれ、いろいろな提案をしてくれ、経堂二重丸や経堂ビアガーデンなどを一緒に作った仲間たちです。

長谷川さんは、経堂中の店舗に「経堂で配っているティッシュ」を使ったアートを設置したり、パクチーハウス東京の来パク者数10000人の記念のくすだまを作ってくれました。1周年の記念日の前夜のことでした。

ダムッチョは、富士通時代の後輩が紹介してくれました。奥さんがその後輩の同級生で、経堂で店を開きたいということでパクチーハウスを訪れてくれました。駅近くで出版社兼本屋兼カフェときどきイベントBARの「笑和堂」を2年ほど営んでいました。

もんさん一家も含め、総勢11人でご来パク。僕は厨房にいて、店が空いて来たかなと思っていて、3-4人気で来てくれたと思っていたので、とりあえず手を振ったのですが、入り切らずそのまま帰られたことにちょっと後で気づき、残念でした。また改めて、ゆっくりお話しする機会が持てればと思います。