カウントダウン15: 「間違って」もいい出会い

あと15日。

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パクチーハウス東京の開店直後、一人で来てくれた女性・紅美ちゃんが娘さんを連れてご来パク! 自分の理想を持ちつつ、ほとんど経験したことのない接客にドキドキしながら来られた方に次々に話しかけたときに、自身が描いている絵の話をしてくれました。2007年の暮れ。話はとんとん拍子に進み、翌年の彼女の誕生日から、僕の誕生日までの約2週間、パクチーハウスで初めての展覧会が開かれました。

その後、彼女は経堂の北側でカフェをしたり、さまざまなチャレンジをし、今や料理家・フードスタイリストとして活躍しています。

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養老乃瀧社長の矢満田さん、エバーブリュー社長の菅原さんも閉店お祝いに来てくれました。矢満田さんは、実は最初「間違えて」会った方。パクチーハウス開店前に人の伝手を使ってさまざまな人に事業計画を聞いてもらいましたが、その中の一人に鬼頭さんという外食コンサルタントがいました。高校の同級生・長崎ちゃんぽんくんが紹介してくれました。店を開いて約1年後「鬼頭さんも来る忘年会」があり、誘われるがままに行ってみたところ、店の入り口に入る手前でちゃんぽんくんと当時の上司・河原さんに「鬼頭違いだった」と告げられました(笑)。僕が会ったことのある鬼頭さんのお兄さんが参加するとのことでした。「とりあえず飲もうよ」ということで参加させてもらいましたが、周りは飲食系を中心とした錚々たるメンバーで、パクチー屋を始めたばかりの僕は小さくなっているしかありませんでした。順番に自己紹介ということになり、何を話せばいいかずいぶん迷いましたが、あまりに規模が違いすぎる方が多かったので、同じ土俵で勝負はできないと思いました。そこで「1店舗しかない」を「1店舗に世界から人が集まる」という表現に変えることにし(目指していたのは確かです)、即興でできた言葉が「商圏2万キロ」でした。地球の裏側からもお客さんが来るので、店を増やす必要はないと。その話はそれなりにウケました。その後、朝ラン&ビールの会等で矢満田さんとご一緒させていただき、時々一緒にお酒を飲む友達になりました。今では、ときどきですが、養老乃瀧グループのパクチー調達のお手伝いもしています。

菅原さんは、マニアックな一点突破つながり。5年前に僕のメルマガ『パクチー起業論』で書いた紹介文が見つかったのでそれを引用します。

彼と会ったのは、幼馴染の結婚式の二次会の会場を探していたとき。当時ライブドア在籍しており六本木勤務だったので、式のあった乃木神社からほど近いところで探してくれと指令を受け、たまたま見つけた。ベルギービールの店とは珍しいなと思ったので、予約するだけでなく長い時間下見することにして、カウンター越しに細くて若い(当時24歳!)菅原くんと出会った。あれは店を開いてちょうど一年ちょっとだったんだな。

ほかにお客さんがほとんどいなかったからゆっくり話ができたんだと思う。そのときに、ビールを仕入れて売るだけでなく、自分でベルギーとのコネクションを作り、輸入ルートも確立し、インポーターにもなりたい、そして自分でもビールを作ると言っていたのがものすごく印象的だった。そんなことを僕自身考えたことがなかったので、ずいぶん壮大なことを言う奴だなと思ったのだが、彼のキャラの面白さから、自宅に帰ってすぐに店のことなどを検索し、彼が出しているメルマガを購読し始めたのだった。

自動的にメールボックスに流れて来るだけで、いつも目を通していたわけではない。でも、時々見ると、最初に話していた話にどんどん近づいていると思わせる情報が書かれていた。菅原くんは日々進化していた!

その後、コンタクトを取ったり、店に行ったわけではなかった。次に再会したのはTwitterが日本で広まるちょっと前だったか。偶然誰かのリツイートで見つけ、覚えていないとは思うけど一度話したことがあり、今はパクチーハウス東京という飲食店をやってますよと連絡をした。そしたら、「日本パクチー狂会の名刺もらってるんで覚えてますよ。飲みましょう」的な返事が返ってきた。そして翌週ぐらいにビールを一緒に飲んだ。

とにかく一緒になにかやろうと意気投合。これまでに、年に1-2回一緒にイベントをしている。また、数カ月に一回、情報交換(というか飲み会)をしている。

きっとそのうち一緒にビール作るだろう。そのときのために、ビラビラビーラでフゾンテを続けて行きたい。

「飲み屋に入る」とか「質問してみる」とか、ちょっとしたことが、後々の人生を大きく変えることになるんですよね。

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大学時代の研究室の先輩・増田さんにも再会できました。つい最近Facebookでつながり、11月初旬に来パクしてくれました。そのとき閉店はとっくに決まっていましたが、極秘なのでもちろん言えず。パクチーハウスの食事と雰囲気を楽しんでくれ、現住所のカナダでも起業やチャレンジについて話をしてほしいなどと言ってくれました。春以降暇だから行けますよーという言い方はそのときはできませんでしたが。

閉店の報告を聞いて、また寄ってくれました。カナダ出身のお友達をつれて。研究室では、僕はサボりがちだったし、別の大学院生とペアで研究していたので意外と接点は少なかったですが、20年経ってようやくこうして対等に話ができるようになって嬉しいです。次はカナダで!

public’S’peaceのすぐ横の席だったので、当日予約なしで来た僕の弟のインクルーシブ教育関連のディスカッション仲間と盛り上がっていました。

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午前中からPAX Coworkingに来てくれたのは黄色いアーティストのYellow Yellowさん。最近よく出入りしている福井県高浜町の人たちを連れてきてくれました。地域活性の一環でシャルソンをやりたいという話でしたが、コワーキングも始まるということで、世界からひとを集めるプロジェクトに僕も協力することになりそうです。とりあえず、5月に行くぜ高浜!

高浜から来た高田さんと亀川さんは、Yellowさんと一緒に東京シャルソン2018に参加します。

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超ご近所ナチュラルクレープとたい焼き屋さん「SAKURI」などをやっている佐藤さんも来てくれました。4年前、ウルトラシャルソンの構想を考えていた頃にナチュラルクレープの店頭で出会った佐藤さんの釜石時代からの友人の川端さんと。お二人とは直接仕事などはまだしていないのですが、縁がまだ薄かった東北地方でウルトラシャルソンのスタートを釜石にしたのは嶋田副市長(当時)との出会いと、このときの立ち話だったのではないかと振り返ります。

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スタッフ麻里絵ちゃんのお姉さん、今週3度目のつっちー徹くんも。徹くん、この日はmixi(懐かしい)で知り合った同一生年月日の方と来てくれました!

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