ヤンパク、グレードアップっっ☆

来月10歳になるパクチーハウス、オープンからの大人気メニューといえば「ヤンパク」!
ラム肉の薄切りに、パク塩とパクチー種でシンプルにいためて、パクチー葉っぱと食べるという、シンプルかつ最強のメニューです。
よく作っている最中に、このイイ匂いはなんですか?とも聞かれます。

その食欲をかきたてる秘密は、ニンニク!!!
ぶわっと包その香りは、羊&パクチーという最強タッグを、より強固にむすびつけてくれるのです。
そのニンニク、八女の松尾農園さんの無農薬ニンニクに切り替わりました!
無農薬で丁寧に作られており、その香りコクのある味はサイコウ!

14_0404_069

もともとパクチー銀行の仕組みが面白いと、社長松尾さんが連絡をくれたのが出会った縁です。まさしくパクなご縁なのです。

電話をもらって数ヶ月後、パクチーハウスミステリーツアー(研修)で釜山を訪れた後、パクチー銀行頭取kyo paxiは福岡に立ち寄り、松尾さんと初対面をはたしました。

398943_428319553923144_291611304_n

代表写真 (1)

2014年には、スタッフ研修で圃場見学にも行きました。

個人的には、松尾さんの黒ニンニクの大ファンでもあります。
レッド◯ルとかより、フルーティーな黒ニンニクおすすめですよ!
松尾農園さんHP  ↓↓
https://www.ninniku.jp/

ヤンパク、そうでなくても美味いのに、さらにゴキュンとグレードアップ!
こうなるとサイズで悩みそうぅぅ。
もちろん他の料理のニンニクも、すべて松尾農園ニンニクです。
作り手の顔が分かる安心な食べ物は、カラダはもちろんココロも嬉しいですね!

(うっしぃ)

 

 

 

 

 

ロシア特集: パクラジャンナヤ・イクラ

ロシア特集開催中!

パクラジャンナヤ・イクラ Паклажанная икра  ナスと蕎麦の実のロシア的前菜

ロシアでポピュラーなナス(バクラジャンナヤ: Баклажанная)の前菜料理をパクって、ロシアが世界一の生産量を誇る蕎麦の実をトッピングしました。日本語のイクラはロシア語に由来すると知っていましたか? ロシア語では魚卵全般および“小さくつぶつぶなもの”をイクラと呼ぶそうです。

*いわゆる「イクラ」は入っておりません。

20171010パクラジャンナヤイクラ=ロシア特集

 

ロシア特集: チキン・パクライナ

ロシア特集開催中!

チキン・パクライナ Коtлеtа по-Пакраина 1189円 溶け出すパクバターが悶絶の旨さ!

ウクライナ(首都キエフ)発祥という説のある料理「チキン・キエフ」をヒントに作りました。ロシアだけでなくヨーロッパや米国でも人気の料理を、パクバターでさらに美味しく仕上げました。鳥ささみフライから溶け出すパクバターを堪能してください。

 

チキン・パクライナ Коtлеtа по-Пакраина 1189円 溶け出すパクバターが悶絶の旨さ!
チキン・パクライナ Коtлеtа по-Пакраина 1189円 溶け出すパクバターが悶絶の旨さ!

モスクワの入口はパリ #ロシア特集

10月1日から「ロシア特集」開催中。ロシアや旧ソ連の国々を旅した印象をパクチー料理にまとめました。

ロシア特集の特別メニュー:

チキン・パクライナ Коtлеtа по-Пакраина
パクラジャンナヤ・イクラ Паклажанная икра
パク根のボルシチ  Борщ-слияние Греции и России


 

ロシアを初めて訪れようと思ったのは2001年のこと。大学時代に始めた旅の魅力に取り憑かれ、会社を辞められても旅はやめられなかった。ただ、旅をするその先になにがあるかは全く見えなかった。友人や同級生は、どんどん「大人」になっていった。僕はなりきれなかった。

それまでに出会った友と再会し、話をしたいと思った。友人が住む場所を線で結ぶと、ユーラシア大陸を横断するルートとなった。その行程の大部分をロシアが占めていた。

幾度かの旅でアジアの西端・トルコへ到達した後、さまざまな国々を訪れた満足感に浸っていたが、その北側をロシアが覆っていることに気づいた。おそロシア・・・。

中国→モンゴル→ロシア→バルト三国→東欧→西欧。ざっくりとそんな計画を立て、そのルートに住む友人たちに連絡をした。その計画はモンゴルのロシア大使館で打ち砕かれた。6月にある「ロシアの日」。アメリカ独立記念日をパクって作ったこの日を中心に、そのロシア大使館は1週間ほど休みと書かれていた。僕がモンゴルに滞在できるのは全部で2週間。ビザ取得に必要な日数は1週間以上なのでこの時点でモンゴルからロシアへ行く道が断たれた。

仕方がないので欧州行きのフライトを探しに旅行代理店を訪れた。最安で飛べたラトビアから欧州の旅を始め、約10カ国を経てフランスに到着。ノルマンディ地方南部にあるモン・サン・ミッシェルで日本からタイミングを合わせて来てくれた旅仲間と再会した。ロンドンあたりから帰国しようと思っていたのだが、その彼は「シベリア鉄道で帰るべき」と強く主張し、僕を説得した。飲み会そのままパリから夜行列車でブリュッセル(ベルギー)を目指し、列車を乗り継ぎハンブルグへ(ドイツ)。そこで「メガジョッキ」を飲む楽しさを知り、酩酊状態のままロストック(ドイツ)の港からタリン(エストニア)へのフェリーに乗った。

タリンでは容易にロシアビザが取得できた。モスクワより西の都市ではロシアビザが取りやすいという都市伝説が証明された。そして僕は、晴れてロシアへの入国を果たし、シベリア鉄道経由で日本に戻ったのだった。ロシア滞在中にチェコ人グループと、スウエーデンの永住権を持つ日本人と出会った。彼らとの出会いは、僕の旅や人生に対する感覚を変えた。あのときロシアへ行かずに日本に戻っていたら、また行きにモンゴルからスムーズにロシアに入国できたら、僕の人生は全く異なるものになっていただろう。

それから12年後、高校時代の友人のモスクワ駐在が決まった。それを報告するFacebook投稿に「誰も来ないと思うけど」という旨のことが書かれていた。それを見てすぐにでも行ってやろうと思った。約1ヶ月後、僕はモスクワにいた。毎年恒例のメドックマラソンのために渡仏する際の経由地にモスクワを選んだのだ。

「ロシアも結構パクチー使うんだぜ」。友人が“キンザ”(ロシア語でパクチーのこと)の表記を探して一皿注文してくれた。結果、それ以外もパクチーが使われており、出てきた料理の半分以上にパクチーが使われていた。また、別の東欧料理店に行ってみたら、全ての料理からパクチーを発見することができた。“ロシアはパクチー生産量が世界一”と聞いたことがあったが、日本パクチー狂会の僕が全く知らなかったパクチーの世界がここにあることを知り、感激した。ロシア・東欧はパクチーに溢れている。住んだことのある人はよく知っているらしいが、意外とほとんどの人が気づいていない真実だ。

ロシアのエクストリームなマラソン大会の一つに、「バイカル・アイス・マラソン」というものがある。凍ったバイカル湖上を走る「一直線のマラソン大会」だ。気温は氷点下20℃ぐらい。上述の高校の同級生がハーフマラソン部門に出場したのをFacebookで見ていた。僕はそれを見て、バカじゃないかと思った。その翌月、サハラ砂漠マラソン(MDS)という、砂漠を250km走るレースを通じてパク塩(パク天とかにかけてあります)の商品化をするおバカランナーの僕だったが、そんなレースに出たいとは思わなかった。

サハラ砂漠マラソンの後、一緒に走った Team PAXi のメンバーやそれぞれの友人たちと、パリで飲み会をした。疲れた身体に浴びるような酒。楽しかったこと以外、全てぶっ飛んでしまうような会合だったが、そこでモスクワからパリに引っ越したばかりの人物と会った。僕がモスクワ在住の友人の話を出すと「彼は盟友ですよ!」と興奮気味に語った。何の盟友かと思ったら、一緒にバイカル湖を走ったという。OMG!

「佐谷さん、出会ったばかりでこんなこと言うのもなんですが、絶対に出るべきですよ」。手元のiPhoneでこの奇跡的な出会いをモスクワに伝えると、しばらくしてリプライが返って来た。「じゃ、申し込んどくよ。来年は俺もフルにする」。誰もそんなことは言っていないのに、極寒の地でのフルマラソン出場が決まってしまった。2016年春、僕は極寒のシベリアに降り立った。

ロシアへの入口は2度もパリだったというのは何たる偶然だろうか。そしてパリでもモスクワでも、人々はパクチーを食べまくっているという事実を、皆さんに伝えたいと思っております。

(パクチーハウス店主)

パク根のボルシチ  Борщ-слияние Греции и России 989円
パク根のボルシチ Борщ-слияние Греции и России 989円
パクラジャンナヤ・イクラ Паклажанная икра 890円 ナスと蕎麦の実のロシア的前菜
パクラジャンナヤ・イクラ Паклажанная икра 890円 ナスと蕎麦の実のロシア的前菜
チキン・パクライナ Коtлеtа по-Пакраина 1189円 溶け出すパクバターが悶絶の旨さ!
チキン・パクライナ Коtлеtа по-Пакраина 1189円 溶け出すパクバターが悶絶の旨さ!

旅する人を増やす〜オスマントルコ特集

パクチーハウス東京は3月25日〜6月初旬頃まで、オスマントルコを特集します。すでに存在しない国の昔の版図にあった国々の料理をヒントに、パクチー料理を作ってみました。

オスマントルコ特集の特別メニュー

  • 帝国の逆襲 パクメゼ3品セット
  • ハーリラ ハリラ ハーリラ パク! パク!
  • パクでイスタンブール
  • グルジアのカスピ海サラダ

 

1996年夏、初めてのユーラシア大陸横断の旅で、僕はイスタンブールに到達した。完全に未知の国だったイランに1ヶ月以上滞在した後、アジアを終えてヨーロッパの入り口に立った。アジアとヨーロッパの境目というボスポラス海峡は特にお気に入りで、船に乗り橋を渡って何度も往復した。

トプカプ宮殿を遠目に眺めながら、アジアとヨーロッパをちまちま往復する僕と、北アフリカ・東欧・中東に領土を拡大したオスマントルコを比較し、帝国の壮大さに思いを馳せた。僕は世界史を受験に必要だからいやいや暗記していたが、旅先のそこかしこで思いがけず知っている歴史の偉人に巡り合って次第に興味を持つようになっていた。

好奇心があるから旅をしているのだと思ったが、旅をするから好奇心が強くなるのだった。もっとたくさんのことを見たいし、知りたくなる。同じものを見ても人によって意見が異なるのが面白いし、数年後に自分自身の感覚も変わってくる。僕自身は一生旅を続けたい思ったのが、21歳のときのその旅だった。同時に、一人でも多くの人とその感覚を共有したいと強く思った。

僕自身の旅の経験を事業化しようと決めるのにそれから10年を要した。その間僕は個人的に旅をするだけでなく、旅する人が集まる会合を何度も主宰した。旅人を集めると、どこかへ行かなくても旅の気分が味わえることを知った。さまざまな人の旅の体験談を楽しみ、学び続けた。移動する旅をなんらかの理由で止めてしまった人が旅の感覚を持ち続けることが可能だと、旅人との飲み会から理解するようになった。

学生時代はすべての人に海外旅行に出かけて欲しいと願っていた。「移動する旅」の魅力を一人でも多くの人に体験してもらいたいと願っていた。今でもその気持ちはあるけれど、さまざまな理由をもって行動に移せない人にも旅的な体験をしてもらうにはどうすればいいかと考え続け、「移動しない旅」を提供してはどうかと結論づけた。それが株式会社旅と平和と創業し、最初の事業としてパクチーハウス東京というレストランを開いた理由だ。

昨年9月からパクチーハウスはメニューに「特集」を取り入れ、フランス・中南米・イランからイメージするパクチー料理を提供してきた。4つめの特集として、スタッフから「トルコ」の案が出てきた時、僕自身の体験から「オスマントルコ」への転換があった。現存しない国家を特集するなんて、始めた当初は思いもしなかった。しかし、国家がそれほど意味をなさなくなった今、オスマントルコに注目することで、僕たちとお客さんの発想や枠組みが破壊されれば面白いと思っている。

*オスマン帝国は多宗教・多民族国家であり、また、人々は滅亡の時まで決して自国を「トルコ帝国」とは称さなかったそうだ。僕らが世界史で習った「オスマントルコ」という呼称は歴史を表現する際の「外から」の通称だったようで、帝国の実態からも正式な国号という観点からも不適切とされ、現在は使われていないとのこと。


スクリーンショット 2017-05-07 23.37.24

スクリーンショット 2017-05-07 23.38.08

アブネグシュト Ab-ne-gusht

イランの思い出 ひよこ豆と羊肉のうまーいスープ

イラン人のソウルフード。 イラン旅でしょっちゅう食べたスープです現地では壺に入って、スープだけ取り出してぱんを浸けて食べます。残った具は潰して食べます。パクチーハウスではイランを彷彿とさせるスープとしてお楽しみください。ご一緒に緑のパクチーバケットをどうぞ。

⇒ 自分の目で世界を見続けたい〜イランの体験

 

パクジョアーダ Paxjoada

ブラジルより 豆と豚肉のパクゴロ煮

ワールドカップとオリンピックで存在感を増したブラジルでもパクチーは活躍しています。そのブラジルで国民食とされるフェイジョアーダを、パクチー料理に仕立て上げました! 豆と豚肉の複雑なゴロゴロした食感を楽しんでください。

旅の原点〜中南米に行きたい

 

 


 

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-28-16-34-09

ことパクチー セビーチェ “Cotopaxi” Ceviche

中南米の“世界一有名な郷土料理”をパクりました

魚介のマリネであるセビーチェ。ペルーが有名ですが中南米各国で食べられているようです。エクアドルに“Cotopaxi”というアンデスの人々に聖なる山と讃えられている火山があり(形は富士山にそっくり!)、なんとかエクアドル風にしたいと思って茹でた海老を入れました。エクアドルの首都・キトは標高が高く、生の魚が入りにくく茹でた海老をセビーチェによく使うという記述を見つけたためです。やや強引ですが、paxiとやたらに絡みたい僕たちの願望にお付き合いありがとうございます。

旅の原点〜中南米に行きたい

 


 

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-28-16-34-09

旅の原点〜中南米に行きたい

パクチーハウス東京は10月28日〜2007年1月15日まで、中南米を特集します。中南米の国々の料理をパクチー料理にアレンジ(元々入っているものも多いので、さらにパク化)して提供いたします。

中南米特集のスペシャルメニュー

パクジョアーダ Paxjoada
ことパクチー セビーチェ “Cotopaxi” Ceviche
アロス・根・ポージョ(あろすこんぽーじょ)Arroz Con Pollo


世界約50カ国を旅してパクチーハウス東京を作った僕の、最初の目的地は中南米でした。幼い頃『太陽の子エステバン』を観ていたのが潜在意識を作ったのでしょう。そして高校生のとき、兄や従兄から旅先の中南米で撮った写真を見せられて、「大学生になったら中南米に行きたい」と思うようになりました。

しかし、僕の旅のスタートは大学一年生のとき、韓国からでした。その理由は、(外国に一人で旅するなんて怖いなというのもありました=もちろん好奇心が勝って今に至るわけですが)中学生のときに実家で韓国人のホームステイを受け入れた際に、一番近い国の人とコミュニケーションが全く取れないという体験をしたからです。
初めて一人で外国をふらつき、多くの友達ができました。当時は聞き慣れなかった「ゲストハウス」に行くと、世界を旅する人があまりにもたくさんいることを知って驚きました。
韓国の首都ソウルから、アメリカ経由で中南米のどこかに飛ぼうと思って旅行代理店をいくつか訪ねましたが、日本の夏休み=韓国の夏休みで、安いチケットは2週間以上どれも満席。ビザなし滞在期間内にソウルを離れることができそうにありませんでした。

各国の旅人と話をして、僕は行き先を変えることにしました。当時大学のサークルでカンボジアのPKOの研究をしていたので、行ってみようと思い立ちました。大学で研究しているときには「未だに地雷が多く旅できる場所ではない」と多くの学生とともに思い込んでいましたが、出会ったばかりの旅人から「行くべき場所、注意すべき点、実際に行った体験」に関するアドバイスをもらうことができました。
時は1995年夏。プノンペンで物売りから買った英字新聞に、「ベトナムがASEANに加盟」したことが書かれていました。自分のいる隣の国で何か変化が起こっていることを面白いと感じました。そして、海でなく陸の国境というのはどんな感じなのだろうと思い、次の行き先をベトナムに決め、旅の目的は「陸路国境越え」ということになりました。その後、さらにさまざまな旅人から話を聞いて、アジアの国々への興味が広がり、結局大学生活を終えるまでにアジアばかり20カ国を旅することになりました。

卒業後も、仕事の合間に旅を・・・というか、旅の間に仕事をしながら悩める20代を過ごしました(笑)。ユーラシア大陸を3度横断し、イギリスのブラッドフォード大学の大学院で現在の会社名と同名の修士論文「旅と平和」を執筆し、無職のまま結婚。「一人旅を終えて二人旅へ」という意味を込めて、ユーラシア大陸の最西端「ロカ岬」で結婚式をしました。スペイン留学経験のある妻とそこで愛を誓い、はるか大西洋のかなたにある中南米に思いを馳せます。(無職だし)いつか中南米で仕事するかもねとも。

それから12年が過ぎました。上の子どもが生まれた年にパクチーハウス東京を創り、彼もまもなく10歳。パクチーはちみつの採取やメドックマラソン、コワーキング関連のネットワーク作りでヨーロッパには毎年訪問。また、近年ではパクパクマラソンとしてのコムラッズマラソン(南アフリカ)やサハラマラソン(モロッコ)でアフリカに行く機会も持てました。最初のゴールとして設定した中南米には・・・まだ辿り着いていません。そんな僕らの「中南米特集」は、僕の願望であり、妄想であり。中南米のこと、よく知らないのでどうかお話を聞かせてください!


 

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-28-16-34-09