カウントダウン17: ミュージシャンになりたい

あと17日。

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コワーキング系では以前よく利用してくださった柴木さんと、この日初めてドロップインしてくれたバンガローの小林さんが来パク。つっちー徹くんが富士通の仲間を。public’S’peaceには3カ月前に麻布十番で会ったクリスが京都から、大越くんが山形は酒田沖の飛島から。旅人経営者の徐くんとも久々に再会!

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横浜に新しくできたコワーキング「バンガロー」の小林さんが、PAX Coworkingのドロップイン利用から続けてパクチーハウスの閉店まで楽しんでくださいました。僕が東京で最初のコワーキングスペース「PAX Coworking」を作ってからもうすぐ8年。本当にコワーキングスペースの数は増えました。仕事をしながら、食事をしながらの、(さっきまで)見知らぬ他人とのコミュニケーションが生む面白さを体感してくれたと思います。

たまたま連絡があり、ラングエッジエクスチェンジの場所としてドロップイン利用をしてくれた方もいました。電子音楽家の両角さんとカナダからきた同じく電子音楽家のショーンさん。こういうジャンルの曲、初めて聞きました。「マニアックな路線」だそうですが、その曲を通じて知り合ったというから面白いですね。お話をしていて、ミュージック・コンクレートという言葉を知りました、数日前に「ミュージシャンになりたい」とカンパクの際に言いましたが、早速縁ができました。

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常連のつっちー徹くんが、富士通の仲間を連れて来てくれました。OBとして、こうして古巣の人たちが来てくれるのは嬉しいです。1年目のフレッシュな新入社員とも知り合いました。新卒採用していたのが懐かしいです。義兄マッキーも合流。連続来パク。

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店に入るなり大きく手を振ってくれたのは、PAX Coworkingになんどもドロップインしてくれたことのある柴木さんでした。パクチーハウスは初めてとのこと。そうだったんですねー。柴木さんは働くママから独立したママになっていたので、いつも「これから飲み会」のタイミングで帰らねばならなかったとのこと。このタイミングできてもらえて嬉しかったです。

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旅人経営者の会のパーティでお会いして、それから何度かパクチーハウスを利用している徐さん。お互いFacebookの投稿を見ていましたが、お話するのは久しぶりでした。徐さんも独立して数年。旅が人を豊かにするという観点から事業を捉えているとのことで、また閉店後に改めてお話しようと約束しました。

「売れるわけがない」パクチー料理専門店を作った理由の一つは、「パクチーを知っている人」≒「旅や国際交流の経験がある人」を集め、その人たちとの話の中で「旅と平和」に関する事業をするなり、考えを発展させるなりしたいからでした。一方で「パクチー料理」というジャンルを勝手に作り、それを普及させる努力もしてきまして、かなりの程度そちらの目的は達成しましたが、閉店を機にパクチーはよりオープンソース化して発展させられそうだし、この89日間でこれまで会った人との再会を次々果たしているので、何も予定が入っていない5月以降、いろいろなことが実現できるのではないかなと思っています。

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パクチータイム後、一気に知り合いが流れ込んできました。まずは経堂のプリンス。そして3カ月前にEverbrewの菅原さんの誕生日祝いの後に泥酔した際に麻布十番の中華料理屋さんで出会ったクリスが京都から4人で。そして、地域おこし協力隊で山形県の酒田沖・飛島に移住した大越くんが、東京出張のついでに寄ってくれました。

カウントダウン18: パクチーハウス誕生に深く関わる怪しいおぢさん

あと18日。

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パクチー銀行の元々の種をくださった“怪しいおぢさん”、大学生時代に作った“世界最大の一人旅サークル”「BEEMAN」のメンバー立ちなど、今の僕に大きな影響を与えてくれた人たちがご来パク。日本のコワーキング黎明期を支えたコワーカーも続々登場!

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日本パクチー狂会を作ったとき、テキトーにタイ料理屋とかのエスニック業態を利用すればパクチーが食べられるだろうという安易な気持ちでいました。しかし、当時はパクチーを見かけることがほとんどなかったのです。探しても探しても。聞いたら「高い」か「日本人パクチーが嫌い」という決めつけばかりでした。

日本の気候は栽培しやすいということを知った上で日本パクチー狂会を作り、いろいろな店にアプローチしていたので、「パクチーに真剣な店ってないんだなぁ」と思っていました。

日本パクチー狂会の会長として、僕自身が栽培をしなければ・・・そう思っていた時にmixiで出会ったのが、南インド料理を普及させた立役者であり大森で「ケララの風 II」を営んでいる“怪しいおぢさん”こと沼尻さんでした。僕はおぢさんから種をもらい、栽培を始めました。その後、種を発送する作業を日本パクチー狂会の会長としてお手伝いしようと思い、おぢさんの代わりに種をいろいろな方に送るようになりました。その送るプロセスをアレンジて作ったのがパクチー銀行です。パクチー銀行の発想は種を送る作業を楽しくやろうという気持ちと、その当時(2006年)にノーベル平和賞を獲ったグラミン銀行を超える銀行を作りたいという僕の妄想が合わさってできたのでした。

パクチーハウスを作る数ヶ月前、種のお礼とパクチー料理専門店を作る報告をするためにおぢさん主催の「南インド料理を食べる会」に参加しました。場所は新宿区の公民館でした。実はこの会で、のちにパクチーハウスのスタッフとなるうっしぃに出会ったのです。パクチーハウス誕生に深く関わる怪しいおぢさんの影。沼尻さんには感謝の言葉しかありません!

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大学時代に「旅先の出会いを活かす」目的で作った海外放浪ネットワーク「BEEMAN」 のメンバーが集まってくれました。韓国はソウルの大元旅館で、1995年に図らずも2度あった中西くんと、関西で何かしようと始まった“世界最大の一人旅サークル”です。SNSはもちろん、携帯電話もほとんどの人が持っていなかったので、旅先で連絡先を交換するとき実家の住所と電話番号を書くのが常でした。

出会った人に電話してもその人のお母さんが出る、というのが常態でした。そして特に用がなければ話も通じなかったです。そんな時に「旅先のゲストハウスのように、旅人が交流する会合を開きたい。そこで友人と再会し、新たな旅人とに出会いもできるだろう」と考えて作ったのがBEEMANでした。年齢や立場を超えて、たくさんの旅友達が、日本にいながらにしてできるようになったのです。パクチーハウスは、この時の体験を飲食店という形に当てはめて作ったものです。

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開店とほぼ同時に来てくれたのは、常連でいつもかなり緑に染まってる水林さん。最近忙しかったみたいですが、仕事が早く終わり駆けつけてくれました。よく一緒に来ていたりさこさんとPAX Coworkingメンバーのマッキーが合流。

また、コワーキング黎明期に東京で2つ目のコワーキングスペース「下北沢オープンソースカフェ」で知り合った高野さんと清水さんもたまたま来パク。二人はシャルソンの初回・経堂マラソン出場ランナーでした。元PAX Coworkingメンバーの吉澤さんが予定通り元氷見市長の本川さん、東京都市大学の伊藤さんと来パク。そのあたりのチェックインを見てか、メンバーの堀江さん、松田さん、ジェリコ、みっちゃんと彼女の旦那さん関くんも集まってきました。

僕の友人やお客さん、仲間たちは、パクチーハウスその他のパーティで接点を持っていることが多く、そこかしこで出会いと再会が起こりまくっていました。一応なんとなく文章でまとめて見たものの、もともと誰と誰が友達なのか、だんだんよくわからなくなって来ますね。

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カウントダウン19: 慧11歳

あと19日。

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パクチーハウスを作るきっかけとなった息子が11歳の誕生日。自宅引越しの際に家具から紛失したネジを作ってくれた梅澤さんと5年半越しの初対面。そして近所に住む起業家の二人が来パク。

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息子が生まれることが判明し、僕は起業を決意しました。息子が生まれた翌月に、パクチーハウスの構想を思いつき、同じ年の8月9日に株式会社旅と平和を設立。11月20日に最初の事業としてパクチーハウス東京を始めました。

その息子がこの日、11歳の誕生日。カンパクの際にお客さんの前で紹介すると机の下に潜り込んでしまったけれど、僕にエネルギーをくれた大きな存在。パクチーハウスで誕生日祝いができてよかったです。

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恭会メンバーの石山さんが、今度作る新しいオフィスの家具調達のため、PAX Coworkingに来てくれた後、ご来パク。合流したのは非営利型株式会社Polarisの市川さん。市川さんは、PAX Coworkingが始まってまもない頃に大槻さんと「インターン」で来てくれました。駒沢大学で授業を持っていた時に僕をゲスト講師で呼んでくれて、その際石山さんとも知り合いました。

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public’S’peaceにTwitter以来の友人・八雲くんが、梅澤さんと来てくれました。5年半前に引っ越したとき、ダイニングテーブルを組み立てるネジが紛失してしまいました。どこで買ったらいいか分からずFacebookに投稿したところ、八雲くん経由で梅澤さんが「作りますよ」とおっしゃってくれ、数日で製造して送ってくれました。長い時間が経ってしまっていましたが、ようやく会うことができました。感激です。

また落ち着いたら、改めてゆっくり飲みたいと思っています。

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お一人でふらりと来てくれたのは、代々木八幡の「四季ご飯 晴れ間。」の中原さん、続いてご近所の泉さん。「晴れ間。」の 中原さんは数年前の深夜の経堂飲食店主飲酒会で会い、ご近所在住なのでその後夜中に周辺のお店で何度か遭遇しています。広告代理店勤務から飲食店を開いたということで、同じような境遇と思っていましたが、実はミシュランで4年連続ビブグルマンというすごい方です。

泉さんは「Punk Business Practitioner」の資格を持つ方で、PAX Coworkingメンバーの飯島さんの奥さま。近々オランダへ移住して起業する予定です。

ご近所に住むこのお二人繋いでみましたが、帰りが遅くなりそうだったので、子供たちと帰りました。

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関東バラキン会 パクチー部、先日に引き続き、22名さまで楽しんでいただきました。◯ちゃんおよび五島ファンのみなさん、ありがとうございます。サハラマラソンつながりの星野さん、稲永さんも来てくれました。

 

#パクチーハウス東京 、経堂の店舗閉鎖まで、あと19日。 #無店舗展開 #paxi #パクチー #旅育 息子が生まれると判明した直後に自ら事業を始めようと思った。パクチーハウスのアイデアが出るまでにかかった時間は約半年。その間出したアイデアの一つが旅育だ。 子供の教育を旅を通じて考えること。見知らぬ海外に家族で行くと、日本では味わえない困難にぶち当たるかもしれない。親の威厳が保てないかもしれない。そんな時は家族で一緒に問題解決することで絆が深まる。子供に「教えてやる」という感じではない教育。 旅育の事業化はしていない。ここ数年はなかなか時間が取れず、数年間どこへも連れていってないけど、久しぶりに連れ出したいと思ってる。 パクチーハウスと同い年の息子は今日で11歳。子供と同じように成長したいと思って起業した僕は、息子から見てどんな存在だろう。チャレンジを続け好奇心を持ち続けることが、メッセージになると思っている。 写真は彼が一歳のとき。エストニアはタリンにて。

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日本パクチー狂会:パクチーハウス online

パクチーハウス東京を開く2年半前に、僕は日本パクチー狂会を旗揚げしました。「パクチーの パクチーのための パクチー好きのためのコミュニティサイト」として8年9カ月運営した後、日本パクチー狂会はパクチーハウスでのリアルなコミュニティに引き継がれました。店舗が無くなるタイミングで、「日本パクチー狂会 パクチーハウス online」という形で復活します。まずはFacebookグループから。

 

無店舗展開のパクチーハウスの情報交換を、このグループを通じて行います。ぜひご参加ください。

https://www.facebook.com/groups/146734378726256/

Facebookで「日本パクチー狂会: パクチーハウス online」で検索してください。

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カウントダウン20: 地球を救うカレーライス

あと20日。

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10年に渡る常連の水崎さんがご夫妻で2組のご予約! 世田谷通りのインドカレーの名店「スパイスマジック」の方、パクチーを自家栽培していて花束や加工品をなんども送ってくださっている福島の学習塾 清学舎さん、日本パクチー狂会で出会い地球を救うカレーライスのベースを作ってくれていた清川くんがご来パク。

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10年間通い続けてくれた水崎夫妻が、夫婦それぞれ別のグループを率いてご来パク。楽しんで、それをほかの方々に伝えていただくのは本当にありがたいです。閉店を間近に控えて「行ってみたかったのに」という声をよく聞きますが、店舗というのは知られるだけでは来店を促すことは難しく、どこかで情報を得た上で知人から誘われるというのが一番の初訪問の理由になります。パクチーハウスにはこうした常連さんが89人ほどいて、僕たちの店舗運営をずっと助けてくれました。

グループの中からホースメディテーションという事業をしている小日向さんという方と知り合いました。共通の知人が20人もいたほか、翌々日にFMヨコハマで僕の無店舗展開などについてインタビューしてくれる方がメンバーの一人とウェブサイトで知って驚きました!

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public’S’peaceで食事をしていた方がキッチンまで来て話しかけてくれました。福島の学習塾 清学舎のやまぐちさんでした。数年前からFacebookページなどでコメントをくれ、パクチーの花束やご自身で作られたパクチーの生種の漬物などをお送りいただいたこともあります。実際にお目にかかったのは初めてで、うれしいサプライズでした。

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パクチーハウス東京の2周年から約1年間提供した「地球を救うカレーライス」の基を作ったBija清川くんが来パク。清川くんと出会ったのは、2006年6月に西麻布のベトナム料理屋キッチンで開いた日本パクチー狂会の会合にて出会いました。そのときに「カレー屋」を開くという話を聞きました。

翌年1月に友人の結婚式で見覚えのある顔に遭遇。お互い、どこかで会いましたねという話をして、あるタイミングで「カレー?」→「パクチー!」とほぼ同時に認識。偶然の再会を喜びました。カレー屋さんはどうなったか聞いてみたら、物件は決まってオープンを控えているという返事でした。

僕は2006年9月に起業を決意。半年間アイデアが固まらず、2007年3月にパクチー料理専門店を作る構想ができました。飲食業のアルバイトすらしたことがなかったので、店を作る上で参考にしたいと思い、店舗立ち上げ間近のBijaのウェブを眺めました。

店作りのこだわりから、コンセプト作りまで、詳細に書かれていました。僕は自分自身の事業計画の項目を、Bijaのブログからたくさんパクらせてもらいました。その恩もあり、パクチーの葉だけでなく種を使った超メジャーな料理である「カレー」を、彼のコンセプトを借りて展開したいと思いました。相談を持ちかけたところ、快諾してもらい、「Bija@paxihouse」が始まったのでした。

その後一緒にイベントをしたり、経営者としての悩みを共有したり。熊本や名古屋、静岡でも会いました。「シンプルに生きる」が色々やった結論というのが共通していて、12月に僕が無店舗展開を発表したときにちょうど清川くんも大きな仕事の整理が終わったそうで、タイミングも合うなと思っています。また旅先で出会いたいと常に思う親友です。

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カンパクのスピーチをしていたら、途中で手をあげてくれた人がいました。最近与那国島に行った際にパクチーハウスの話を聞いたそうです。与那国島で昨年12月にクシティ(与那国ではパクチーのことをこう呼びます)の日が制定され、店長うっしぃがイベントに参加して来ました。島の人の喜んでいる声を聞いて、無店舗展開を支持したいと言ってくださいました。

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Facebookの「パクチーが好き!」というコミュニティの会合もありました。また、世田谷通り沿いの「スパイスマジック」の経営者ファミリーにもご来パクいただきました。イギリスから帰って来た2004年にスパイスマジックから89メートルのところに住んでおり、十数回通ったことのある親しみのあるお店で、お会いできて嬉しかったです。

経堂の自家製ソーセージとドイツビールの名店「IngoBingo」の酒井さんも新しいスタッフと来パク。ここだけの話、フラムクーヘンのヤンパク版「ヤンパクーヘン」を提供すべく準備中ですよ! 3月1日から1カ月限定です。

 

カウントダウン21: お客さんの柔軟な発想で変化して来たパクチーハウス

あと21日。

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野田夫妻、弟、中学の同窓会で来パクの氷室さんなど。熱き土曜日の夜だった。

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public’S’peaceが5分でいっぱいになってしまいました。パクチータイムが後ろにずれ込む日も多いですが、21時ごろには落ち着いて来ます。最混雑時間を避けてご来パクいただくと、嬉しいです。

ラグマン鍋を予約してくれたのが野田夫妻。2013年チーズの会で出会い、その後各種イベントにも参加してくれている常連さんです。旦那さんが僕の古巣・富士通勤務という縁もあります。

パクチーハウス1周年の前夜祭での「見知らぬ他人と囲む鍋」の際にお披露目し、翌月12日に予約限定メニューとしてスタートしました。女性誌からの取材でオススメの鍋料理を教えて欲しいと言われ自宅で実験して作ったラグマン鍋を、その雑誌の発売日から店で提供を始めたのです。レシピも掲載しました。

パクチーハウスの経堂の店舗を閉じたあと、それぞれの自宅をパクチーハウスにしてくださいと毎晩のスピーチでお話ししていますが、「レシピを公開します」と言うと喜びかつ驚かれます。しかし実は、パクチーハウスの料理のほとんどは、いろいろな形で既にレシピを公開しているのがほとんどです。

paxiblack野田さんのグループの隣にいたのは「たぶんカフェ」のみなさん。多文化共生を考える、教員を中心としたお茶会グループです(普段は)。僕の弟が主催者の一人で、11月に僕の話を聞いてくれる会からのパクチーハウス宴会がありました。その第2回目でした。弟を野田夫妻に紹介する余裕はなかったのですが、野田さんが撮った写真が翌日送られて来て、「ちらっと写ってるの 御兄弟?」との指摘。弟がいたことを伝えたわけではないんですが、よく似ているようです。

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富士通同期の馬籠くんが今月初めに紹介してくれた氷室さんが、中学の同窓会でご来パク。パクチーハウスはエッジが効いているので、同窓会や部署の飲み会はとても少ないんですが、たまにそういう方がいて、爆発的なパワーを見せてくれます。職場でも同窓でも、部署や立場を超えたネットワークがある集団が、オンライン等でコミュニティをきちんと運営できていて、その中のチャットで盛り上がった結果生まれた会合が多いからだと思います。

娘のバレエのお友達のお母さんも来られていました。福田さん、ありがとうございました。

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あっという間に埋まったpublic’S’peaceに飛び込んでくれた入口さん。前回娘さんのパクチーデビューでしたが、今回はお友達と楽しんでくれました。甘いものをあまり好まない友達の誕生日祝いに「パクパクピッグパクポークビッグパクパクパクポーク」にろうそくをさしたいという提案をしてくれたのは何年前だったでしょうか。お客さんの柔軟な発想で、パクチーハウスはどんどん変化してきました。

 

カウントダウン22: 想像を絶する話をすぐに「やろう」とする人たち

あと22日。

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多拠点居住を実践する友人たち。不思議な求心力で、ついつい約束もなく同じ日に来パクしてしまう方々。

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歯のメンテナンスで通いの歯科へ行きました。もう10年近くお世話になっていますが、ここの院長と仲良くなったのは、7年ぐらい前に「パクチーハウス東京をご存知ですか?」と聞かれたことでした。僕は特に素性を明かしていませんでしたが、僕が不在時にパクチーハウスを訪れ、飾ってあった写真に僕に“似た人”を見つけたそうです。それで聞いてみたとおっしゃっていました。知ってるもなにも、僕のお店なんですよと。その後数回皆さんでご利用いただいていまし、不朽の名著(自分で言うよw)『ぱくぱく!パクチー』が待合室に置いてあります。。

終わったのが正午過ぎだったので、仙川沿いを走って通勤。途中で小出さんが営む「薪まきカフェ」を初訪問しました。小出さんも長年パクチーハウスをご利用してくださっているお客さんで、里山の保全活動などをされています。住宅街にある静かで暖かなカフェです。

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開店した途端に立ち飲みスペースが埋まりました。コワーキングの頃から親しい兼平さん、フジヤマンボ!の友KU、ウルトラシャルソンランナーの依岡さんがここでつながりました。

兼平さんは日本のコワーキング黎明期に出会ったジャッキー山川さんと「ZEN Coworking」の運営に携わっていた人。縁ある佐渡の話を数年に渡って聞いておりましたが、この度生活の半分を佐渡に移すことに決めたとおっしゃっていました。

僕の友人KUも山形とのデュアルライフを実践しています。1年前(正確には1年と1日前でした)に久しぶりに話そうということで相談を受けながら朝ビール。それから自分の事業を変革させつつ、家族との生活も面白くさせようとチャレンジが進行しています。

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薬局チェーンの同僚で6年ぐらい通いつめてくれている3人組がいます。今は勤務地や会社が別々になっていますが、いつも楽しそうに食事をしてくれています.5年ぐらい前に購入した「paxi UKIHASHI」をマイ箸として使ってくれたり、お互いの記念日にオリジナルパクチーグッズを作ったりして祝い合っていて、毎回ほっこりさせられます。

今回も1人の結婚祝いグッズをサプライズで作りたいということで、ロゴと[No paxi, no life]のフレーズラインを送ったのですが・・・サプライズされたのは僕でした。なんとオリジナルタオルをいただいてしまいました。閉店のお祝いと素敵な感謝状まで・・・。

食事をするだけでなく、ここでの時間を存分に楽しみつつその人の独自性を発揮してくれる・・・それがたくさん集まって「パクチーハウス」という店ができています。そこに記されていた「また絶対会いましょう」という約束を、この89日間で一つでも多く作りたいと思っています。それが閉店を選び「お客さんを消費しないように」と誓った意味であります。

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その3人組とパーティや各種企画で何度も会っているつっちーが、たまたまふらりと来パク。まるで約束していたかのようにそのまま合流して4人のグループになっていました。また、3週間前に「パクチーハウスを食べ尽くす」企画をつっちーがしてくれた時に店に居合わせたので紹介した陣内さんが、またこの日もたまたまいて・・・。パクチーハウスの黒ピンバッジを持っている人の求心力はどうなっちゃっているんだろうと思いました。

paxiblack3年前の僕の40歳記念の誕生日パーティで知り合った自転車創業の中島さんも昔の会社の仲間の方々とご来パク。初対面の際、色々話して意気投合し、まるでサッカーの試合の後のように最後にTシャツを交換したのが良い思い出です。

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PAX Coworkingの宮本さんが、登山友達の華ちゃんと立ち寄ってくれました。大学出たてでめちゃくちゃ若いのに、富士山日帰り登山やサハラマラソンに前のめりで反応してくれる前途有望な山ガールでした。想像を絶する話を聞いてすぐにやってみたいと思うことが、自分でも信じられないぐらいの成長を次々にしていく人の特徴です。僕はパクチーハウスでそんな人たちをたくさん見てきました。

その他、頻度はいろいろですが長いこと通ってくれている常連さんがたくさん声をかけてくれ、惜しいけど楽しみですねと。3月10日に、みんなパクチーの種を蒔いてくれそうです。

カウントダウン23: コミュニティは一度できたら無くならない

あと23日。

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オバマ大統領のお父さんがカンパクを求めて。「島原のRUN」の仲間や「世界一周写真展」のりえちゃん、みほちゃんら、「面白い会」のキクちゃん、ライブドア時代の石山くんも。そして森岡さんハッピーバースデー。

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久しぶりにカンパクの動画をFacebookページでシェアしたところ、オバマ大統領のお父さんがコメント。翌日に来てくれました。毎日スピーチをしています。だいたい3-4人の方が動画を撮ってくれていると思います。「公開」で投稿してくれるととても嬉しいんです。

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public’S’peaceに、PAX Coworkingのメンバーみっちゃんがお母さんとご来パク。キッチンにかかりっきりでほとんど喋れなかったー。「面白い会」のキクちゃんもすぐ横の席にいました。キクちゃんとも最後少し会話を交わしただけでした。

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新サハラの女王レナさんが、「島原のRUN」の伊藤さんや鹿田さんを連れてきてくれました。レナさん出身の島原で、3年前にサハラマラソン報告会をしました。そのときの会場が鹿田さんが運営に携わる「Music Studio cachecache(カシュカシュ)」でした。終了後、屋台の脇の野外席で飲み続け、翌朝「島原のRUN」の定例朝ランに参加したのがいい思い出です。レナさんがランナーになるきっかけとなったぐるなびの投資チームの岡田さんにも来ていただきました。

島原を訪れた際に「六兵衛」という名物麺料理を食べました。サツマイモで出来た黒い麺です。島原の方々は「美味しくない思い出」を語ってくれる方が多かったのですが、とてもおいしくいただきました。そして、六兵衛にパクチーを練りこんで「八九兵衛」いつか作るぞと心に決めています。

やはりほとんどお話ができなかったのですが、遠くからご来パクいただき雰囲気を感じてもらったので、また僕が島原再訪し、一緒になにかできればと思っています。店舗閉鎖はこの10年であった人との協働への第一歩です。

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「島原のRUN」グループの横は、この日誕生日だった森岡さんのグループ。森岡さんも再来年サハラマラソンに行く予定です。前回のパトリック来日記念パーティに続き、また同じ日に居合わせるとは縁ありますね。森岡さんがFacebookにパクチーハウスの閉店の理由を「未来に自由を作るため」と書いてくれました。

「みんなの家がパクチーハウスになるために、お店をなくす」
その考えが愛しくも眩しくあったのです。
型にとらわれることなく
自由に考え自由に動き
自分が自由であることを楽しむ。

お客さんそれぞれが、閉店や無店舗展開について僕の話を聞いたり、推測したり、誰かと話したりして解釈してくれるのが嬉しいです。パクチーハウスでの経験を、何らかの形で残せればと思っています。そこで思いついたのが、『89の証言集』(仮称)の作成です。パクチーハウス東京閉店記念出版の一つです。ご協力いただける方を募集しています。

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100人による「世界一周写真展」のりえちゃんとみほちゃんが、一緒にやっていたさわのさんと森山さんと立ち飲んでいました。りえちゃんと会ったのは、6年前のメドックマラソンでした。パクチーハウスの研修担当関西人石田さんがいつぞやの旅で会ったのがきっかけ。辿ってみると不思議な縁が複雑に絡み合って今があります。

カンパクの際に「島原のRUN」のことに軽く触れたところ、森山さんが長崎出身だということで、ここもまたつながりましたー。最終的には誰と誰が元々の知り合いかがよくわからない状態に。

そんなこんなで店舗を閉鎖しても、ここで出来た縁が面白いものをどんどん生んでいくと思います。そういう意味で、パクチーハウスもその他いろいろなコミュニティというものは、一度出来たら無くなることはないということもできそうです。

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ライブドア時代の同僚の石山くんが30人も連れて盛り上げてくれました。「10年経つといろいろ変わりますねー」と共通の知人のことなど話していましたが、体型ややっていることは変わっても本質的には子供の頃から変わらないんだろうな、などと思っていました。

 

カウントダウン24: シリアルアントレプレナーと秦野高校

あと24日。

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世界青年の船の森田やっさん、今年メドックマラソンに初挑戦の武田さん、娘のバトンの先生伊草さん、秦野高校のかなり後輩若松くんがご来パク。

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昼前に連絡があり、森田やっさんがpublic’S’peaceにご来パク。やっさんは20年前に世界青年の船で一緒だった友人です。当時僕は卒業間近の大学4回生でしたが、彼は自分で輸入業を営んでいて、これからサラリーマンになろうとしていた僕にとって眩しい存在でした(頭が、ではないですよw)。

シリアルアントレプレナーでもあるやっさんとまともに話せるようになったのは、僕が自分で会社を作ってからだと思います。体験したことがないと理解できないことがたくさんあります。パクチーハウスにお客さんを連れて来てくれたり、PAX Coworkingのメンバーになってくれたり、奥さんが代官山シャルソンを主催してくれたり、家族ぐるみで僕の活動に付き合ってくれている恩人です。

下船から5年後にはナショナルリーダーという立場で再び船に乗ったやっさんは、この日も隣にいた学生さんに世界青年の船の魅力を語っていました。昨年度パクチーハウスのスタッフが一人乗船しました。来年度も乗船を希望しているスタッフがいるので、選考に受かるようにサポートしたいです。

その後、PAX Coworkingのメンバー・栗原くんが合流。以前やっさんがやっていた仕事のお手伝いで紹介したことがありましたので。

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今年メドックマラソンに出場予定の武田さんが、年末に続いてご来パク。旅好きなお友達を連れて来てくれました。ご一緒だった二人は「走らない」と今のところ言い張っています(笑)が、ボルドーで行う前夜祭・後夜祭とガロンヌ川の日曜朝市には強くて関心を示していましたので、そのうち「ついつい」走ってしまうのだろうなと思います。

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娘のバトンの先生伊草さんが、仕事の同僚とご来パク。追パクの声が大きく、一際目立っていました。おかげさまで店内が盛り上がりました。世界選手権に人材を輩出するひとはやっぱりちょっと違いますね!

隣にいた旅行会社の同僚とリピートしてくれている森さんが、「あのモリモリのパクチーはなに?」と聞いたぐらいです。ヤンパクに追パクしていただけなのですが。何度来ても新しい発見があり、自由な発想によるアレンジができるのがパクチーハウスです。森さん、この日でブラックピンバッジを獲得!!! いつも本当にありがとうございます。

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その後、public’S’peaceに来てくれたのは、僕の秦野高校の後輩にあたる若松くん。15年以上若いので高校で会ったことはありませんが。確か出会ったのは9周年パーティだったでしょうか。色々な会合を開くタイプの人で、僕のイベントにも来てくれて、話していたら共通点が「秦野高校」でした。この日は高校の同級生・古谷くんと開くイベントへの出演依頼で来てくれました。まだ手探りの段階のようですが、協力したいと思っています。そして、その流れで話が出た、「秦野でのイベント」もやりたいですねー。よろしくね!

若松くんと一緒に、ライスプレスの丸永さんも来てくれました。若松くんが1カ月前に紹介してくれた方で、食のライフスタイルマガジンを発行しています。つい先日、ウェブメディアRICE.pressも始まったそうで、近々閉店の意義と無店舗展開について取材していただく予定です。

カウントダウン25: マーケットや嗜好でなく意思

あと25日。

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奄美大島から直パクの森さん、食品会社の皆さん、旅育仲間の平野くん!

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森さんが「パクチーハウスで愛を叫ぶ! vol.2」を開催してくれました。奄美大島への家族旅行から直接ご来パク。日本財団の同僚とNPO関連の方々と。1年前の「出身地Day」でシャルソンの話をさせてもらったときにお会いした飯澤さんも来られていました。

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2年ほど一緒に仕事をした食品会社のみなさんにもお越しいただきました。商品開発の過程をともにし、また、初期の販促に関わらせてもらい、とても勉強になりました。パクチーへのチャレンジを、続けて欲しいなと思います。パクチーが真に定着するかどうかは、マーケットや嗜好の流れではなく、商品を開発・販売している大手企業の意思も大きく影響すると思っています。トレンドを追うのは企業の生命線の一つだと思いますが、意思をもって時代を創るお手伝いは、今後もしていきたいです。

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public’S’peaceに旅育の平野くんがまた来てくれました。この日は中小企業診断士の仲間を連れて。実家も自営業をしているし、平野くん夫妻は長年縁のあるノルウェーとのビジネスを考えているので、早く動き出すといいな。僕も4月に初めてノルウェーを訪問予定なので、その後はもう少しこの話もしやすくなりそうです。