無店舗展開: お客さんと話して考えた89日

『無店舗展開』 Kindleで読めるようになりました。


パクチーハウス東京は7年近く満席状態で、予約が取れないと言われながら閉店し無店舗展開に移行した。
10周年を迎えた直後の発表から閉店までの89日間に、店主佐谷恭がお客さんとの対話の中かから考えたこととは。

  • 無店舗展開
  • 千本ノックで発想が開く
  • 伝えることの難しさ
  • できるかではなくやるか
  • 場所にこだわらない試み
  • エイリ事業しかやらない
  • ゼロイチからイチゼロ
  • 僕のリズム
  • 続けること
  • 2025
  • お客さんを消費しないために
  • 子供と“攻める”こと
  • ミュージシャンになりたい
  • 会社→社会

辛パク #パクチーハウスのパクチー料理

辛パク

材料

・パクチー 89g
・長ネギ 1/2本
・キュウリ 1/2本
・練りごま 20g
・ラー油 大さじ2
・醤油 大さじ1
・辛味噌(コチジャンなど) 適量
・白ごま 適量

作り方


ラー油と醤油、練りごま、辛味噌を混ぜる。


長ネギとキュウリを細切りにし、パクチーを粗みじんに切る。


2を1に混ぜる。うますぎてつまみ食いで全部なくなるかも!

北極点(パク点)到達!

日本パクチー狂会・会長のKyo paxiは、2018年4月15-16日に北極点(パク点)に到達しましたので報告いたします。

僕が北極点を目指した理由。北緯89度に行きたかった。それだけです。行こうと思ってから約5年後の悲願達成でした。北極マラソンというイベントに参加して、棚ぼた的にアジアチャンピオンになりました。このあたり、詳しくは僕の個人ブログをどうぞ。

パクチーハウス東京という店舗をやめてもパクを追い続けることを、皆さんに分かりやすく示したいと思い、閉店後最初のプロジェクトとして北緯89度を目指すことにしました。昨年12月11日に閉店を発表して、多くの皆さんから「次なにをするんですか?」と聞かれ、特になにも決めていないので「白紙」(paxi)と答えていましたが、唯一決まっていたのが北極行きでした。

「北緯89度に行きたいですだけです」という話を繰り返していたら、あるお客さんから「北極点と北緯89度はどのぐらい離れているんですか?」という質問をされました。

その時はたと気付いたこと。

いわゆる北極点の周りは北緯89.99999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999度です。北極点の周囲には110.94297kmに渡って、北緯89.***と表現できる一帯があって、それを「北緯89度帯」と呼ぶことにします。

北極点というか、点というのは長さも面積もありません。つまり、北緯90度地点であるいわゆる北極点は実体としては存在せずコンセプトにすぎません。ポールを立てることで初めて、ありそうな感じがするだけなのです。

そうか、地球の天辺を覆っているのは「北緯89度帯」なんだ。地球はパクの帽子を被っているようなものだ

「北緯89度帯」の中心点を「パク点」と呼んでみよう、という冗談から生まれたのがエイプリルフールのこの記事でした。

 

「地球はパクの帽子を被っている」

 

パク点で撮った写真が以下のものです。「paxi」の「i」の上にあるパクチーの葉っぱマークの下にパク点があります。

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「地球がパクチーに覆われている」という表現は、僕のこれからの決意表明です。パクチーをもっと面白く、美味しく食べられるよう、パクチー料理の世界的普及を目指します。


世界で最も寒い環境を走る「FWD北極マラソン2018」実施レポート(2018年4月24日:FWD富士生命プレスリリース)

パクは燃えているか #withnews #yahoo

パクチーハウス東京の閉店から1カ月が経ちました。ご無沙汰しています。Kyo paxiです。

予定ならば昨日北極点に到達し、今日は暖かくして休んでいるはずでしたが、その拠点としてのロングイェールビーンという町で待機中です。エイプリルフールで記事を書きましたが、ここ数年4月1日にやっている「冗談みたいな言説」のほとんどを実現しようという試みで、北極行きを目指しています。店やめてもまだ「パク」かよ。なんども繰り返していますが、パクチー普及はやめませんので。

さて、猟銃を持たなくてもいいとされている(ホッキョクグマとの遭遇時対策のため)地域が一周8.9kmぐらいの小さな町で、暇な時間を過ごしています。平均気温はマイナス10〜15℃ですが、6日間で100km以上走ったほど暇です。と思っていたら、閉店を取材した(おそらく)最後の記事になるだろうものがリリースされ、Yahoo!トップに掲載され、いわゆる炎上的な状態になったので、思わぬ楽しみが増えました。

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いろいろな人の考え方が見えて面白かったです。1500件以上のコメントがありますが、お時間あるときに読んでみると面白いでしょう。

匿名のヤフーのコメントと、半匿名のTwitter、実名のFacebookやブログにおけるコメントの種類が全然違ったのも興味深いです。インターネットを初めて22年半ぐらいが経ち、店の経営においてもSNS等それなりに使い込んできたつもりではありますが、とても勉強になりました。

「記事」という一つの情報源だけで、広がる妄想は、面白く、かつ、恐ろしいとも思いました。僕はこれまでの事業も、これからの活動も「伝えること」「知ってもらうこと」がたくさんあり、だからこそずっと情報発信に力を入れていますので、今更ながら取材の受け方や書き方にも気をつかって行かねばなりませんね。

コメントに関連して、一つひとつ答えたいところですが、一冊の本ができそうなので、時間が取れればそのうちトライしたいと思います。

一つだけ。批判的なコメントの中に思い込みというか、僕がパクチーハウスを作る前から一生懸命に正そうとしているある一つのウソが前提とされているものがたくさんあったのでここに記しておきます。

「パクチーの本場はタイである」 → ×

1000回以上のメディア露出がありましたが、機会あるたびにこのことを正そうとしてきました。「そうなんですか? タイとか東南アジアじゃなくて地中海発祥なんですか」と取材の方も驚きを持ってこの話を聞いてくれます。しかし、多くの方が番組や記事の中で「タイをはじめとする東南アジアで代表的な食材」などという報じ方を繰り返すのです。一般的に信じられていることと真実が違うことは実はよくあります。僕はパクチーハウス東京を通じて、そういうことを伝えたかったのです。

 

2018年4月10日 午後8:09(スヴァールバル時間)
佐谷恭(Kyo paxi)

 

政府、北極点の名称を変更=「パク点」に

政府は1日、地理上の北極点の日本語での正式名称を変更すると発表した。北極圏国8か国(カナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデン、米国)をメンバー国とする北極評議会が北極点の名称をわかりやすく改称すると決めたことを受け、国立極地研究所の勧めで閣議決定した。

北極評議会は、いわゆるノースポール(北極点)と言った場合に、地理上の北極点(Geographical North Pole)と北磁極(Magnetic North Pole)が混同されることを1989年頃から問題視していた。地球温暖化の影響による海氷面積の減少で、北極海航路の本格的な利用の可能性と資源開発の可能性など北極に対する関心が高まるのに伴い、国家間の誤解や拡大解釈を防ぐため名称の変更が検討されていた。

北極評議会は3月10日のメンバー8カ国が参加する臨時閣僚会議で地理上の北極点をparctic、北磁極をmagnorthと一単語で表すことを決定。オブザーバー諸国・諸団体の承認を得た。parcticはpolar arcticの略で「パクティック」、magnorthはmagnetic northの略で「マグノース」と読む。この変更を報告した国立極地研究所がそれぞれの日本語での名称として「パク点」(parctic)「磁北」(magnorth)を提案し、1日政府が了承した。

また、パク点と改称された地理上の北極点(北緯90度)について、点には長さも面積も体積もなく、コンセプトにすぎないことに着目。地球の天辺を覆っているのは北緯89度帯であることを改めて確認した上で、「89度帯の中心であるparcticをパク点と呼ぶことは理にかなっている」(極地研究所長)と、今回の決定は識者の間でも評価が高い。

注目の高まる北極での研究・調査も活発化する。4月1日付で極地研究所の臨時職員となった元パクチーハウス東京(世界初のパクチー料理専門店=極地にまでパクチーを普及させるため3月10日に閉店)店主・佐谷恭は、地球の天辺がパクに覆われていることを改めて証明するため、パク点を目指す。4日に日本を出発、ノルウェーのスバールバル諸島経由で9日か10日にパク点に到達する計画だ。

2018年4月1日【チェンマイ=恭同】

 

 

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【連絡ください】楽しくお手伝いします!

7518835568_5D4_7401日本パクチー狂会・会長(2005年4月〜)のKyo paxiです。

パクチーハウス東京は閉店しました。12月11日から89日間、必死で告知しましたが、閉店後に知る方も多いようで、SNS等で「驚きの声」を見つけては、できる限りフォローしています。閉店については僕のブログインタビューをご覧ください。

最後の89日間は、本当に濃密でした。「閉店後のプラン」に関する質問に対し「決めていない」と申し上げておりましたが、決めていたら成り立たなかったでしょう。閉店は開店より忙しい一大事業であり、全精力をかけないとできないことを身を以て知りました。このブログで89日連続で交友録を書きました。駄文で申し訳ないですし、僕以外にとっては「知らない多くの人」に関する記述ではありますが、もし全部読んでいただければ僕の20年の旅と10年のパクチーハウス経営について何かが見えてくると思います。

一昨日法事で広島に入り、今日は宮島へ行ってきました。4月に小六になる息子と小二になる娘を可能な限り連れまわすのが、これから1年の僕の目標です。旅する素晴らしさを身体で感じてもらいたいです。

で、「閉店後のプラン」ですが、いまも白紙です。というか、全緑というべきでしょうか。「お父さんの仕事」について少しは心配してくれる子供達には、仕事をしていなくても不安にならないよう、「お父さんは半年ぐらい遊ぶよ」と言ってあります。

この半年、できれば1年ぐらいしたいことは、僕が会社を作ってからの10年超でお会いした人たちと再会し、(必要であれば)何らかのお手伝いをすることです。お客さんんを消費しないために、店を閉じましたので。

パクチー料理専門店を作った第一の目的は、パクチーを知る旅人を集めることであり、なんとか店を維持しつつ、旅の面白さと社会への役割をアイデアベースで共有できる人と出会いたかったからです。そして、パクチー屋がどうなるかは分からないけれど、出会った人たちと、旅人の発想が世界を変えることを事業を通じて証明していこうと思っていました。再会とお手伝いで、それを一つずつ実現したいと思っています。

 

・再会ですので一度でも取引したとか、パクチーハウスに来た、PAX Coworkingにドロップインした、シャルソンを主催したという方でお願いします。「パクチーハウスにずっと行こうと思っていました」は対象外です。
・「お手伝い」と言っても、パクチー料理作りに来てくれよ・・・というご自身のためではなく、事業を通じて社会を変えたいというようなご依頼を優先します。
・面白いと思えばすぐ動きますし、思わなければきっとやらないでしょう。

 

会社を作るときに書いた以下の文章。これがすべてです。連絡はFacebookメッセージからお願いします。ピンと来たら、ご遠慮なく! このブログのシェアも歓迎します。

 株式会社旅と平和 は、旅という経験の積み重ねが国を超えた人びとの結びつきや相互理解を深め、世の中を楽しく、人びとを元気にすると考えます。また、その延長として、旅が世界平和を維持するための大いなる原動力となるという立場を支持しています。
「世界愛(人類愛)」には「祖国愛」を持たずして到達できず、「祖国愛」は「郷土愛」を持たずして得ることはできません。また、「郷土愛」は「家族愛」があって初めて成り立ちます。私たちは、旅を「単なる外国への旅行」と捉えるのではなく、「人が自発的に、他人に会いに行くこと」であると定義します。
社名に「平和」という言葉を冠していますが、その崇高な目的のために地域の活性化や子どもの教育こそが、まず必要だと考えています。平和を維持し広めていく仲間を増やしていくためには、他者の存在とその必要性を認識できる旅という行為を広めることや、家族や地域などでのコミュニティー意識を多くの人が持つようになることが、重要になります。
株式会社旅と平和は、旅や家族・地域単位での交流を促すさまざまな仕掛けを提供し、人とのつながりを見直す体験をすること、自分とは異なる世界観を持った人びとの存在を知ることを通じて、人をオープンで元気な存在にしていきます。そして、自分以外の人のために生きる人たちを応援します。

株式会社 旅と平和 代表取締役社長 佐谷恭

カウントダウン0: The Final

2018年3月10日。パクチーハウス東京は店主Kyo paxiの43回目の誕生日パーティを以って閉店しました。

お知らせ89888786858483828180797877767574737271706968676665646362616059585756555453525150494847464544434241403938373635343332313029282726252423222120191817161514131211109876543210

世田谷区経堂の農大通り商店街にて10年超。楽しく、刺激的な時間を過ごすことができました。来てくれた方はもちろん、その存在を周囲に伝えてくれた方、気にかけてくれた方、ありがとうございました。

The Final:昼の部
The Final:昼の部
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The Final:夜の部

最終日は昼の部(14:30-15:59)・夜の部(18:40-20:09-21:38)の2部構成で大いに盛り上がりました。ここに当日撮ったムービーを掲載しておきます。

 

カウントダウン

スタッフのスピーチ

カウントダウン1: 世界をより良い場所にするために

閉店前夜。

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通常営業最終日・ファイナル前夜祭のため、激混みを覚悟。賄い時に最終日の分までスタッフにお礼を。・・・というスタートだったけど、19時過ぎまではあまり忙しくありませんでした。かなり警戒してましたし、集中しすぎるだろうことをそこかしこに書いていたので「やりすぎたか」と心配になる始末。もちろん、それなりにお客さんはいたのですが、3月になってからの異なる状況に、スタッフが成長しまくって対応できていることもありました。ラッシュが始まったのは19時半を過ぎたころでした。そこから先は・・・正直よく覚えていません。

(そして、カウントダウン2までは必ず翌日に書いていましたが、「The Final」とそれに続く店舗片付け・解体でこの文章を書いたのが12日後なので書き逃していることもいつも以上に多いと思いますがご容赦ください)

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開店直後に懐かしい顔がありました。翌日の「The Final」に通しで来てくれる予定の阪口あさおくん。22年前、インドのバラナシからネパールのカトマンズへ行くバスで出会った旅仲間。カトマンズでも数日をともにし、自然にベジタリアンに近い生活となるインドから脱し、カトマンズで水牛ステーキを食べて皆で体調が悪くなったことも懐かしい思い出です。その後、日本でもちょくちょく再会し、毎年恒例の花見にも何度か来てくれています。ゆるい付き合いを一生続けていけるだろう友人です。

そこに“場づくり”の西澤さんがご来パク。とりあえずあさおくんを紹介しましたが、その後たくさんの人がつながりまくっていた様子。把握しきれませんが!とてもいい雰囲気でした。パクチータイムめがけて来た坪田さんも、まもなくドイツにワーホリに出かけるリョウヘイくんも加わっていました。

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武雄のパクチー生産者・江口さんもこの日と「The final」のために上京してくれていました。宿泊は付近唯一の宿・経堂ビジネスホテル。パクチーハウスを満喫するためにここに泊まった人、10年間で何人いたでしょう。

江口さんと知り合ったのは5年前。スタッフ研修として僕がミステリーツアーを企画して釜山を訪ねていた時、武雄の前市長・樋渡啓祐さんが「パクチーやるぞ」とFacebookに投稿。僕は当時樋渡さんにはもちろん面識なかったのですが、多くの友人・お客さんがその投稿についてお知らせしてくれ、また、コメント欄に僕がタグづけされ、武雄との縁は始まったのでした。

その翌日、僕は朝から八女のにんにく農家の松尾さんに会いに行く予定をしていました。パクチー栽培とパクチー銀行について興味あるとその数ヶ月前に連絡をくれたので、立ち寄ることにしていたのです。そして、その晩は遅めの時間から高校の同級生と会う予定をしていました。つまり、夕方スケジュールが空いていたのです。そのコメント欄に「明日の夜なら打ち合わせできます」という旨のことを書くと、武雄市の担当職員さんと仕掛け人のヒミさん、杉山さんといった忙しい人たちが全員「行ける」とのことでしたので、博多駅からほど近いお店で日本をパクチーで覆い尽くす為の秘密会談を開くことができました。その数ヶ月後には、武雄でパクチー栽培に名乗り出たキュウリ農家の江口さんと会うことになるのです。

初めて会ったときは、江口さんも農園の方々も、パクチーに対する僕の熱狂を疑っているようでした(笑)。千葉や神戸のパクチー農家さんの視察をアレンジしたり、パクチーをたくさん食べる食事会などを通じて、やがて完全にはまりこんでしまうわけですが。現在、江口農園さんは九州内だけでも50店舗以上にパクチーを卸しているそうです。その後、パクチー農家さんは全国で増えまくるわけですが、九州での江口さんの存在感は大きいです。今後のパクチー界の発展のためにも、継続的に江口さんを応援し、色々な仕事を一緒にできればと思っています。

江口さんの近くには、常連の森岡さんと渡辺さん、名古屋からわざわざエクセル職人の野田さん、旧せたがやかやっくの松村さんの紹介で来た、名古屋から引っ越して来たばかりの小地戸さんなど。

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ご家族で来ていただきながら、どうしても入ってもらえなかった人がいました。デリリウムでのパクチーイベント、初期の頃にずっと引き受けてくれていた武居シェフでした。最混雑時で久しぶりの再会を喜び、ご家族へご挨拶だけとなりましたが、思いがけない訪問で、またいつか一緒にできればと思いました。

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神戸から、大学時代の旧友みやっちが、やはり同時期の親友もりあいこと来てくれました。大学に入り、学部などでは友達ができたものの、後期に入りほとんど学校に行かなくなり(頭の良すぎる周囲に学問を志すことを諦めた頃でしたw)、1カ月に89冊ぐらい本を読んでいたことがありました。そんな時にラジオ「アルファステーション」を聞いていて、京都ユースフォーラム(名称はうろ覚えです)という京都に住む日本人と外国人が仲良く過ごす週末イベントに参加しました。その時に年齢や立場の異なる人たちとたくさん知り合うことになりました。そこで知り合い、大学時代ずっと仲良くしてもらった2人です。閉店を聞いて東京まで来ることを決めてくれ、かつ、当時親しくしていた友人たちにもコンタクトを取ってくれたそうです。そのうち数十年ぶりに会う機会を持つための、重要な一歩になったと思います。

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1月の初来パクから毎月1回ずつ来てくれた秦野高校18ルーム(男クラ)の杉崎が、同級生の大林くんを連れて来てくれました。ほとんど話せず・・・ではあったが、4月に再会することが決定。これも嬉しい。同じぐらいの時間に一人で来た友人の小野ちゃんを紹介しておきました。

小野ちゃんは僕が富士通で新卒採用のOJT研修をしていた時に出会った人。京大の同期に当たるのですが、留年してたまたま就職活動をして出会ったのが僕でした。初対面で話した時に共通の友人がすでに何人かいて、その後富士通に入ることになるので、さらに友人や多くの時間を共有しています。ここ数年はなかなか会えていなかったけど、またいいきっかけとなりました。

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COEDO朝霧社長の奥さんがお友達と。元スタッフの馬場くん、メガジョッキの常連若山さん、富士通同期で僕より早く飛び出した菊地くんは1年前に『fam』の取材を一緒にしてくれた中村さんと。SWY30(第30回世界青年の船)から下船したばかりの岩田さんも。

経堂からもたくさん! 3月毎日来パクしている高尾さんは、すみくらふとで夜な夜な飲んでいた時に知り合った大島くんとあややと一緒に。安定のプリンスに、PAX Coworkingのジェリコ・小島さん夫妻、くぼまりさん。酒田でワインを作ろうとしている日向さんとも最後に再会できてよかったです!

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この89日で10年間のレビューをしてきました。新たな出会いも駆け込み的にたくさんすることができました。

パクチー料理専門店がここまで盛り上がることなど、誰が予想したでしょうか。そのための努力を毎日してきたとはいえ、その結果には僕自身今でも驚いています。そして、そうならなかったとしても、当初から僕が飲食店を作ることでやりたかったことを、これから実現していきたいと思っています。

パクチーハウスで出会ったお客さんと、世界をより良い場所にするための仕事をすること。カウントダウンを終えたら、店舗の運営から手が離れるので、当初決めたその目標に向かって邁進していきたいと思います。

ここで出会ったすべてのみなさん。パクチーハウスの第二章は、ここから始まります。