カウントダウン13: 東京シャルソン2018

あと13日。

お知らせ89888786858483828180797877767574737271706968676665646362616059585756555453525150494847464544434241403938373635343332313029282726252423222120191817161514

「東京シャルソン2018」を開催。2012年の経堂マラソンから7回目だった。各地の主催者と、これからまちを盛り上げたい人たちが集まり、ものすごいエネルギーが炸裂していた。

IMG_1785

シャルソンが生まれたのは2012年2月。まだシャルソンの名前はなく、「経堂マラソン」という名前で探りながら開催しました。企画を固めてからイベントを作るのではなく、とりあえずコンセプトを考え、当日までに修正していくという流れ。変更をその都度伝えられるよう、Facebookのイベントページで毎日のようにアイデアを発信していきました。

当時まだFacebookを使うのは主流でなく、「Facebookユーザー以外にも開かないの?」と聞かれましたが、アイデアを連続的に変更して伝えるためには、情報感度が高くないと無理だと思ったのでそうはしませんでした。僕が作ったルールを理解してほしいというよりは、一緒にイベントをというか全く新しいなにかを作ってほしいと思いましたので。

結果として、経堂マラソンを楽しんでもらっただけでなく、それを発展させるたくさんの意見をもらい、継続することと他の地域へ広げるための勇気をもらいました。

すぐにご当地シャルソン協会を立ち上げ、初年度に10回の開催を目標にし、その時つてのあったパクチー農家さんやコワーキングスペース運営者などに開催を働きかけていきました。同じコンセプトによる2つ目のイベントが横浜で開かれ、初めて「シャルソン」という名前を冠したイベントとなりました。その後は面白い人に会うたびにシャルソンの開催を呼びかける日々でした。そして2012年中に、全国で10回の「シャルソン」が開かれました。

この年の年末に連絡をくれたのが安曇野シャルソン主催者の篠原さんです。その後シャルソン開催希望の方数百人から連絡をいただいていますが、自分が面識のない人からの初めての連絡でした。経堂駅で待ち合わせをして、PAX Coworkingへ向かう道すがら、長野県と僕の関わりについて軽くお話をしました。約1時間、とても楽しい会話をしたことを覚えています。そして「5月に開催します」と言って経堂を離れました。

シャルソンは大まかなコンセプトだけを僕が決め、あとは主催者の自由にアレンジをしてもらい、面白いアイデアがあれば他地域でも採用してもらうことで発展しました。また、僕がしゃしゃり出て流行りそうな地域で開催するようなことはせず、その地域に在住または在勤の人が主催者となるというルールを決めました。行ける限りは色々な地域のシャルソンに参加して、全国のさまざまななまちの名前を知るとともに、自分たちの社会に対して意欲的な方々にたくさん会いました。パクチーハウスに全国から面白い人たちが集まる理由の一つは、そうした方々が僕を訪ねてくれることにもあるのでした。

シャルソンは6年間で約180回開催されました。これからも伸びていくと思います。日本国内のみならず、世界中での開催を、今後は支援していきます。やりたい人はぜひご連絡ください。

東京シャルソン2018には、全国からシャルソン主催経験者と、これからシャルソンやコワーキングでまちおこしをしたい人が多数集まりました。パクチーハウス東京での開催は今回が最後となりますが、僕は今後も東京シャルソンの主催者として、東京の新しい魅力を多くの参加者と見つけて発信していきたいと思っています。

カウントダウン14: 経堂オールスターズ

あと14日。

お知らせ898887868584838281807978777675747372717069686766656463626160595857565554535251504948474645444342414039383736353433323130292827262524232221201918171615

 

ライブドア時代の同僚・徳ちゃんと妹さんのファミリー、フジヤマンボ!からのミニーとニムニム、大阪からガネちゃん、パクチー・ランニング・クラブの菊住さんと青木くん、そして経堂オールスターズ!!!

28379204_10155135552335025_3747947651157458944_o

パクチーハウス東京を作る前に所属していたライブドア・ニュースで同僚だった徳ちゃんが来てくれました。僕はライブドア時代に日本パクチー狂会を作りました。パクチーハウスを作る構想は当時全くなかったのですが、周りに起業を志すというか、人生を切り開くことに意欲的な人がたくさんいたので、その影響を受けたのでしょう。第一子誕生を前に僕も起業の道を選び、半年間考えた結果、日本パクチー狂会で培ったコミュニティを社会に活かすという結論に達し、世界初のパクチー料理専門店を作ることにしました。

飲食業の経験のない僕は、最初の頃どのぐらいスタッフが必要か分からず、親兄弟はもちろん、たくさんの友達に運営を手伝ってもらいました。徳ちゃんもそのうちの一人です。徳ちゃんはその後、教育の大学院へ行き、長野県で中学校の先生をしています。一度、中学生向けの進路講話をさせてもらいました。徳ちゃん、しばらく会わないうちにすっかりスリムになりランナーとなっていました。前に久しぶりに会った時に初フルマラソンでサブ3.5とかを達成していました。

徳ちゃんの妹さんの旦那さんは高校の先生。そしてやはりランナー。その高校でも2度ほど、キャリア教育の授業でお話しさせていただきました。その授業に子の親友が、僕のちょっと遠い親戚の息子さんだったという縁があったりもしました。その親戚と初対面したのも、PAX Coworkingにドロップイン利用してくれた人から聞いた話(「佐谷さん」という人が昔上司でした)とFacebookによるものでした。

paxiblack

世界青年の船のつながりで出会い、フジヤマンボ!で一緒だったミニーが、同じくフジヤマンボ!で繋がったニムニムと来てくれました。最初に来た時はpublic’S’peaceにも入ることができず、近くのワインバー「ieri」で待機してくれていました。

ミニーは現在北海道在住で、雪関連の話をたくさん聞いたのですが、そういえば僕はパクチーハウスを作ってから雪山には行ってないなー。最近になりようやく子供達がスキーやスノボに少しだけ興味ありげな発言をしているので来年ぐらいから復帰しようかなと思いました。ミニーが昔話で、僕がスノボに行く時に買い物カゴにネックウォーマーだけしか持っていなかったと話してくれました・・・荷物が少ないのは昔からみたいですね。最近は旅先で空港に着いてすぐに走れるようにしているのでもっともっと荷物が減っていますが。

paxiblack

大阪から来てくれたガネちゃんも最初public’S’peaceにも入れず、商店街を散策してもらっていました。商売道具の荷物がとても重いということで、店の奥にしばらく荷物を預かっていましたが、散策中に古書店で大量買いして帰ってくるという(笑)。面白い人です。帰りは大丈夫だったでしょうか。何年も東京に来る度に立ち寄ってくれるお客さんです。店に入って来た瞬間、いつもホッとさせてくれます。

paxiblack

パクチー・ランニング・クラブから、菊住さんと青木くんが。菊住さんは僕と同様2011年から毎年メドックマラソンに出ている友人。ボルドーでの飲み会も定番となりました。いつも同地に住む日本人醸造家・内田さんのワインツアーを企画してくれています。最近開催できていない「朝ラン&ビールの会」にも何度か来てくれています。「最近やってないんじゃない?」と言われましたが、その通りでございます!!! 経堂の店舗を閉じて落ち着いたら、また定期的に開催したいと思います。

青木くんは、世界遺産ランナーの肩書きを持っています。実は僕が名付け親です。5年ほど前に、「富士通の後輩」に当たる人として紹介され、仕事の悩みについて聞く機会がありましたが、一方で彼の「やりたいこと」をもっと追求するのがいいのではないかとアドバイスをしました。そして「世界遺産ランナー」となって、あれよあれよという間に活躍を始め、スポーツインストラクターやランニングアドバイザーとして生活をするようになりました。昨年から肩書きは与えられるものではなく、作ることで未来が開けるという内容で肩書きに関するワークショップを全国各地で行なっていますが、青木くんの事例はまさにその好例です。

paxiblack

そして、とても残念ながら来ていたきながら食事をしていただけなかったのですが、経堂オールスターズが来パク。僕がここに来て間もない頃、右も左も分からない状態でいる時にパクチーハウスに来てくれ、いろいろな提案をしてくれ、経堂二重丸や経堂ビアガーデンなどを一緒に作った仲間たちです。

長谷川さんは、経堂中の店舗に「経堂で配っているティッシュ」を使ったアートを設置したり、パクチーハウス東京の来パク者数10000人の記念のくすだまを作ってくれました。1周年の記念日の前夜のことでした。

ダムッチョは、富士通時代の後輩が紹介してくれました。奥さんがその後輩の同級生で、経堂で店を開きたいということでパクチーハウスを訪れてくれました。駅近くで出版社兼本屋兼カフェときどきイベントBARの「笑和堂」を2年ほど営んでいました。

もんさん一家も含め、総勢11人でご来パク。僕は厨房にいて、店が空いて来たかなと思っていて、3-4人気で来てくれたと思っていたので、とりあえず手を振ったのですが、入り切らずそのまま帰られたことにちょっと後で気づき、残念でした。また改めて、ゆっくりお話しする機会が持てればと思います。

 

カウントダウン15: 「間違って」もいい出会い

あと15日。

お知らせ8988878685848382818079787776757473727170696867666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534333231302928272625242322212019181716

IMG_1727

パクチーハウス東京の開店直後、一人で来てくれた女性・紅美ちゃんが娘さんを連れてご来パク! 自分の理想を持ちつつ、ほとんど経験したことのない接客にドキドキしながら来られた方に次々に話しかけたときに、自身が描いている絵の話をしてくれました。2007年の暮れ。話はとんとん拍子に進み、翌年の彼女の誕生日から、僕の誕生日までの約2週間、パクチーハウスで初めての展覧会が開かれました。

その後、彼女は経堂の北側でカフェをしたり、さまざまなチャレンジをし、今や料理家・フードスタイリストとして活躍しています。

paxiblack

 

養老乃瀧社長の矢満田さん、エバーブリュー社長の菅原さんも閉店お祝いに来てくれました。矢満田さんは、実は最初「間違えて」会った方。パクチーハウス開店前に人の伝手を使ってさまざまな人に事業計画を聞いてもらいましたが、その中の一人に鬼頭さんという外食コンサルタントがいました。高校の同級生・長崎ちゃんぽんくんが紹介してくれました。店を開いて約1年後「鬼頭さんも来る忘年会」があり、誘われるがままに行ってみたところ、店の入り口に入る手前でちゃんぽんくんと当時の上司・河原さんに「鬼頭違いだった」と告げられました(笑)。僕が会ったことのある鬼頭さんのお兄さんが参加するとのことでした。「とりあえず飲もうよ」ということで参加させてもらいましたが、周りは飲食系を中心とした錚々たるメンバーで、パクチー屋を始めたばかりの僕は小さくなっているしかありませんでした。順番に自己紹介ということになり、何を話せばいいかずいぶん迷いましたが、あまりに規模が違いすぎる方が多かったので、同じ土俵で勝負はできないと思いました。そこで「1店舗しかない」を「1店舗に世界から人が集まる」という表現に変えることにし(目指していたのは確かです)、即興でできた言葉が「商圏2万キロ」でした。地球の裏側からもお客さんが来るので、店を増やす必要はないと。その話はそれなりにウケました。その後、朝ラン&ビールの会等で矢満田さんとご一緒させていただき、時々一緒にお酒を飲む友達になりました。今では、ときどきですが、養老乃瀧グループのパクチー調達のお手伝いもしています。

菅原さんは、マニアックな一点突破つながり。5年前に僕のメルマガ『パクチー起業論』で書いた紹介文が見つかったのでそれを引用します。

彼と会ったのは、幼馴染の結婚式の二次会の会場を探していたとき。当時ライブドア在籍しており六本木勤務だったので、式のあった乃木神社からほど近いところで探してくれと指令を受け、たまたま見つけた。ベルギービールの店とは珍しいなと思ったので、予約するだけでなく長い時間下見することにして、カウンター越しに細くて若い(当時24歳!)菅原くんと出会った。あれは店を開いてちょうど一年ちょっとだったんだな。

ほかにお客さんがほとんどいなかったからゆっくり話ができたんだと思う。そのときに、ビールを仕入れて売るだけでなく、自分でベルギーとのコネクションを作り、輸入ルートも確立し、インポーターにもなりたい、そして自分でもビールを作ると言っていたのがものすごく印象的だった。そんなことを僕自身考えたことがなかったので、ずいぶん壮大なことを言う奴だなと思ったのだが、彼のキャラの面白さから、自宅に帰ってすぐに店のことなどを検索し、彼が出しているメルマガを購読し始めたのだった。

自動的にメールボックスに流れて来るだけで、いつも目を通していたわけではない。でも、時々見ると、最初に話していた話にどんどん近づいていると思わせる情報が書かれていた。菅原くんは日々進化していた!

その後、コンタクトを取ったり、店に行ったわけではなかった。次に再会したのはTwitterが日本で広まるちょっと前だったか。偶然誰かのリツイートで見つけ、覚えていないとは思うけど一度話したことがあり、今はパクチーハウス東京という飲食店をやってますよと連絡をした。そしたら、「日本パクチー狂会の名刺もらってるんで覚えてますよ。飲みましょう」的な返事が返ってきた。そして翌週ぐらいにビールを一緒に飲んだ。

とにかく一緒になにかやろうと意気投合。これまでに、年に1-2回一緒にイベントをしている。また、数カ月に一回、情報交換(というか飲み会)をしている。

きっとそのうち一緒にビール作るだろう。そのときのために、ビラビラビーラでフゾンテを続けて行きたい。

「飲み屋に入る」とか「質問してみる」とか、ちょっとしたことが、後々の人生を大きく変えることになるんですよね。

paxiblack

 

大学時代の研究室の先輩・増田さんにも再会できました。つい最近Facebookでつながり、11月初旬に来パクしてくれました。そのとき閉店はとっくに決まっていましたが、極秘なのでもちろん言えず。パクチーハウスの食事と雰囲気を楽しんでくれ、現住所のカナダでも起業やチャレンジについて話をしてほしいなどと言ってくれました。春以降暇だから行けますよーという言い方はそのときはできませんでしたが。

閉店の報告を聞いて、また寄ってくれました。カナダ出身のお友達をつれて。研究室では、僕はサボりがちだったし、別の大学院生とペアで研究していたので意外と接点は少なかったですが、20年経ってようやくこうして対等に話ができるようになって嬉しいです。次はカナダで!

public’S’peaceのすぐ横の席だったので、当日予約なしで来た僕の弟のインクルーシブ教育関連のディスカッション仲間と盛り上がっていました。

paxiblack

午前中からPAX Coworkingに来てくれたのは黄色いアーティストのYellow Yellowさん。最近よく出入りしている福井県高浜町の人たちを連れてきてくれました。地域活性の一環でシャルソンをやりたいという話でしたが、コワーキングも始まるということで、世界からひとを集めるプロジェクトに僕も協力することになりそうです。とりあえず、5月に行くぜ高浜!

高浜から来た高田さんと亀川さんは、Yellowさんと一緒に東京シャルソン2018に参加します。

paxiblack

超ご近所ナチュラルクレープとたい焼き屋さん「SAKURI」などをやっている佐藤さんも来てくれました。4年前、ウルトラシャルソンの構想を考えていた頃にナチュラルクレープの店頭で出会った佐藤さんの釜石時代からの友人の川端さんと。お二人とは直接仕事などはまだしていないのですが、縁がまだ薄かった東北地方でウルトラシャルソンのスタートを釜石にしたのは嶋田副市長(当時)との出会いと、このときの立ち話だったのではないかと振り返ります。

paxiblack

スタッフ麻里絵ちゃんのお姉さん、今週3度目のつっちー徹くんも。徹くん、この日はmixi(懐かしい)で知り合った同一生年月日の方と来てくれました!

IMG_1722

 

カウントダウン16: 思わぬ再会が頻発

あと16日。

お知らせ89888786858483828180797877767574737271706968676665646362616059585756555453525150494847464544434241403938373635343332313029282726252423222120191817

28055913_1690678757693591_6575017054418361231_n 28166542_1690678771026923_6265923122924950124_n
28166603_1690678914360242_1677962564253001781_n 28279698_1690678754360258_2296326118380231740_n

昨年9月にコンファレンス ビジネスマスターズシンポジウムという会合で一緒にパネルディスカッションした東急の東浦さんご来パク。会社の同僚の方々と一緒でしたが、実はなんと僕の高校の同級生・杉崎くんもいました。

カウントダウン50で書いた通りですが、先月家族で妻の誕生日を祝っている時、杉崎くんは初来パク。20年ぶりに会いました。その時に同じ会社ということで東浦さんを知っているか尋ねたところ「元部下だった」とのことでした。大きな会社なのにすごい偶然! それがきっかけで開かれた飲み会でした。

僕のカンパクの後、杉崎くんもカンパクの発声をしました。なかなかやるじゃないか。お嫁さん募集中だそうです(笑)。

paxiblack

驚くことに、といういつものことですが、この日はたまたま、東浦さんを知る方が、他に3グループ来られていました。

オープンしてすぐに public’S’peaceに来てくれた西澤さんは、コンファレンス ビジネスマスターズシンポジウムでやはり一緒に話した長田さんのつながりで、当日も会場にいらっしゃいました。閉店記念「パクチーハウスで愛を叫ぶ! vol.3」開催の森さんも、隣でラグマン鍋をしていた遠山さんも、あれなんでいるの?という感じでした。

paxiblack

public’S’peaceにはどこでもヨガの大田りっちゃんがまた農大時代の同級生らと。そして、PAX Coworkingの初期の頃にお手伝いしてくれ、また、動画をいじったことがなかったのに一生懸命紹介動画を作ってくれ、パクチーハウスでもアルバイト経験のあるいただきますおくんが、ポーランド移住前の忙しい合間を縫って来パク。伊藤さんとエスパーが一緒でした。

そして、近くのテーブルにPAX Coworkingメンバーのジェリコ夫妻もいて、いただきますおくんとの思わぬ再会を喜んでいました。ご一緒にセラビスト加藤さんや、ジェリコ夫の小島さんつながりのアフリカ専門ジャーナリストの岩崎さん、Keynotersの岩丸さんがいらっしゃいました。

 

カウントダウン17: ミュージシャンになりたい

あと17日。

お知らせ898887868584838281807978777675747372717069686766656463626160595857565554535251504948474645444342414039383736353433323130292827262524232221201918

コワーキング系では以前よく利用してくださった柴木さんと、この日初めてドロップインしてくれたバンガローの小林さんが来パク。つっちー徹くんが富士通の仲間を。public’S’peaceには3カ月前に麻布十番で会ったクリスが京都から、大越くんが山形は酒田沖の飛島から。旅人経営者の徐くんとも久々に再会!

IMG_4482

横浜に新しくできたコワーキング「バンガロー」の小林さんが、PAX Coworkingのドロップイン利用から続けてパクチーハウスの閉店まで楽しんでくださいました。僕が東京で最初のコワーキングスペース「PAX Coworking」を作ってからもうすぐ8年。本当にコワーキングスペースの数は増えました。仕事をしながら、食事をしながらの、(さっきまで)見知らぬ他人とのコミュニケーションが生む面白さを体感してくれたと思います。

たまたま連絡があり、ラングエッジエクスチェンジの場所としてドロップイン利用をしてくれた方もいました。電子音楽家の両角さんとカナダからきた同じく電子音楽家のショーンさん。こういうジャンルの曲、初めて聞きました。「マニアックな路線」だそうですが、その曲を通じて知り合ったというから面白いですね。お話をしていて、ミュージック・コンクレートという言葉を知りました、数日前に「ミュージシャンになりたい」とカンパクの際に言いましたが、早速縁ができました。

paxiblack

 

常連のつっちー徹くんが、富士通の仲間を連れて来てくれました。OBとして、こうして古巣の人たちが来てくれるのは嬉しいです。1年目のフレッシュな新入社員とも知り合いました。新卒採用していたのが懐かしいです。義兄マッキーも合流。連続来パク。

paxiblack

店に入るなり大きく手を振ってくれたのは、PAX Coworkingになんどもドロップインしてくれたことのある柴木さんでした。パクチーハウスは初めてとのこと。そうだったんですねー。柴木さんは働くママから独立したママになっていたので、いつも「これから飲み会」のタイミングで帰らねばならなかったとのこと。このタイミングできてもらえて嬉しかったです。

paxiblack

旅人経営者の会のパーティでお会いして、それから何度かパクチーハウスを利用している徐さん。お互いFacebookの投稿を見ていましたが、お話するのは久しぶりでした。徐さんも独立して数年。旅が人を豊かにするという観点から事業を捉えているとのことで、また閉店後に改めてお話しようと約束しました。

「売れるわけがない」パクチー料理専門店を作った理由の一つは、「パクチーを知っている人」≒「旅や国際交流の経験がある人」を集め、その人たちとの話の中で「旅と平和」に関する事業をするなり、考えを発展させるなりしたいからでした。一方で「パクチー料理」というジャンルを勝手に作り、それを普及させる努力もしてきまして、かなりの程度そちらの目的は達成しましたが、閉店を機にパクチーはよりオープンソース化して発展させられそうだし、この89日間でこれまで会った人との再会を次々果たしているので、何も予定が入っていない5月以降、いろいろなことが実現できるのではないかなと思っています。

paxiblack

パクチータイム後、一気に知り合いが流れ込んできました。まずは経堂のプリンス。そして3カ月前にEverbrewの菅原さんの誕生日祝いの後に泥酔した際に麻布十番の中華料理屋さんで出会ったクリスが京都から4人で。そして、地域おこし協力隊で山形県の酒田沖・飛島に移住した大越くんが、東京出張のついでに寄ってくれました。

カウントダウン18: パクチーハウス誕生に深く関わる怪しいおぢさん

あと18日。

お知らせ8988878685848382818079787776757473727170696867666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534333231302928272625242322212019

パクチー銀行の元々の種をくださった“怪しいおぢさん”、大学生時代に作った“世界最大の一人旅サークル”「BEEMAN」のメンバー立ちなど、今の僕に大きな影響を与えてくれた人たちがご来パク。日本のコワーキング黎明期を支えたコワーカーも続々登場!

IMG_1694

日本パクチー狂会を作ったとき、テキトーにタイ料理屋とかのエスニック業態を利用すればパクチーが食べられるだろうという安易な気持ちでいました。しかし、当時はパクチーを見かけることがほとんどなかったのです。探しても探しても。聞いたら「高い」か「日本人パクチーが嫌い」という決めつけばかりでした。

日本の気候は栽培しやすいということを知った上で日本パクチー狂会を作り、いろいろな店にアプローチしていたので、「パクチーに真剣な店ってないんだなぁ」と思っていました。

日本パクチー狂会の会長として、僕自身が栽培をしなければ・・・そう思っていた時にmixiで出会ったのが、南インド料理を普及させた立役者であり大森で「ケララの風 II」を営んでいる“怪しいおぢさん”こと沼尻さんでした。僕はおぢさんから種をもらい、栽培を始めました。その後、種を発送する作業を日本パクチー狂会の会長としてお手伝いしようと思い、おぢさんの代わりに種をいろいろな方に送るようになりました。その送るプロセスをアレンジて作ったのがパクチー銀行です。パクチー銀行の発想は種を送る作業を楽しくやろうという気持ちと、その当時(2006年)にノーベル平和賞を獲ったグラミン銀行を超える銀行を作りたいという僕の妄想が合わさってできたのでした。

パクチーハウスを作る数ヶ月前、種のお礼とパクチー料理専門店を作る報告をするためにおぢさん主催の「南インド料理を食べる会」に参加しました。場所は新宿区の公民館でした。実はこの会で、のちにパクチーハウスのスタッフとなるうっしぃに出会ったのです。パクチーハウス誕生に深く関わる怪しいおぢさんの影。沼尻さんには感謝の言葉しかありません!

paxiblack

大学時代に「旅先の出会いを活かす」目的で作った海外放浪ネットワーク「BEEMAN」 のメンバーが集まってくれました。韓国はソウルの大元旅館で、1995年に図らずも2度あった中西くんと、関西で何かしようと始まった“世界最大の一人旅サークル”です。SNSはもちろん、携帯電話もほとんどの人が持っていなかったので、旅先で連絡先を交換するとき実家の住所と電話番号を書くのが常でした。

出会った人に電話してもその人のお母さんが出る、というのが常態でした。そして特に用がなければ話も通じなかったです。そんな時に「旅先のゲストハウスのように、旅人が交流する会合を開きたい。そこで友人と再会し、新たな旅人とに出会いもできるだろう」と考えて作ったのがBEEMANでした。年齢や立場を超えて、たくさんの旅友達が、日本にいながらにしてできるようになったのです。パクチーハウスは、この時の体験を飲食店という形に当てはめて作ったものです。

paxiblack

開店とほぼ同時に来てくれたのは、常連でいつもかなり緑に染まってる水林さん。最近忙しかったみたいですが、仕事が早く終わり駆けつけてくれました。よく一緒に来ていたりさこさんとPAX Coworkingメンバーのマッキーが合流。

また、コワーキング黎明期に東京で2つ目のコワーキングスペース「下北沢オープンソースカフェ」で知り合った高野さんと清水さんもたまたま来パク。二人はシャルソンの初回・経堂マラソン出場ランナーでした。元PAX Coworkingメンバーの吉澤さんが予定通り元氷見市長の本川さん、東京都市大学の伊藤さんと来パク。そのあたりのチェックインを見てか、メンバーの堀江さん、松田さん、ジェリコ、みっちゃんと彼女の旦那さん関くんも集まってきました。

僕の友人やお客さん、仲間たちは、パクチーハウスその他のパーティで接点を持っていることが多く、そこかしこで出会いと再会が起こりまくっていました。一応なんとなく文章でまとめて見たものの、もともと誰と誰が友達なのか、だんだんよくわからなくなって来ますね。

IMG_1689

カウントダウン19: 慧11歳

あと19日。

お知らせ89888786858483828180797877767574737271706968676665646362616059585756555453525150494847464544434241403938373635343332313029282726252423222120

パクチーハウスを作るきっかけとなった息子が11歳の誕生日。自宅引越しの際に家具から紛失したネジを作ってくれた梅澤さんと5年半越しの初対面。そして近所に住む起業家の二人が来パク。

IMG_1684

息子が生まれることが判明し、僕は起業を決意しました。息子が生まれた翌月に、パクチーハウスの構想を思いつき、同じ年の8月9日に株式会社旅と平和を設立。11月20日に最初の事業としてパクチーハウス東京を始めました。

その息子がこの日、11歳の誕生日。カンパクの際にお客さんの前で紹介すると机の下に潜り込んでしまったけれど、僕にエネルギーをくれた大きな存在。パクチーハウスで誕生日祝いができてよかったです。

paxiblack

 

恭会メンバーの石山さんが、今度作る新しいオフィスの家具調達のため、PAX Coworkingに来てくれた後、ご来パク。合流したのは非営利型株式会社Polarisの市川さん。市川さんは、PAX Coworkingが始まってまもない頃に大槻さんと「インターン」で来てくれました。駒沢大学で授業を持っていた時に僕をゲスト講師で呼んでくれて、その際石山さんとも知り合いました。

paxiblack

public’S’peaceにTwitter以来の友人・八雲くんが、梅澤さんと来てくれました。5年半前に引っ越したとき、ダイニングテーブルを組み立てるネジが紛失してしまいました。どこで買ったらいいか分からずFacebookに投稿したところ、八雲くん経由で梅澤さんが「作りますよ」とおっしゃってくれ、数日で製造して送ってくれました。長い時間が経ってしまっていましたが、ようやく会うことができました。感激です。

また落ち着いたら、改めてゆっくり飲みたいと思っています。

paxiblack

お一人でふらりと来てくれたのは、代々木八幡の「四季ご飯 晴れ間。」の中原さん、続いてご近所の泉さん。「晴れ間。」の 中原さんは数年前の深夜の経堂飲食店主飲酒会で会い、ご近所在住なのでその後夜中に周辺のお店で何度か遭遇しています。広告代理店勤務から飲食店を開いたということで、同じような境遇と思っていましたが、実はミシュランで4年連続ビブグルマンというすごい方です。

泉さんは「Punk Business Practitioner」の資格を持つ方で、PAX Coworkingメンバーの飯島さんの奥さま。近々オランダへ移住して起業する予定です。

ご近所に住むこのお二人繋いでみましたが、帰りが遅くなりそうだったので、子供たちと帰りました。

paxiblack

関東バラキン会 パクチー部、先日に引き続き、22名さまで楽しんでいただきました。◯ちゃんおよび五島ファンのみなさん、ありがとうございます。サハラマラソンつながりの星野さん、稲永さんも来てくれました。

 

#パクチーハウス東京 、経堂の店舗閉鎖まで、あと19日。 #無店舗展開 #paxi #パクチー #旅育 息子が生まれると判明した直後に自ら事業を始めようと思った。パクチーハウスのアイデアが出るまでにかかった時間は約半年。その間出したアイデアの一つが旅育だ。 子供の教育を旅を通じて考えること。見知らぬ海外に家族で行くと、日本では味わえない困難にぶち当たるかもしれない。親の威厳が保てないかもしれない。そんな時は家族で一緒に問題解決することで絆が深まる。子供に「教えてやる」という感じではない教育。 旅育の事業化はしていない。ここ数年はなかなか時間が取れず、数年間どこへも連れていってないけど、久しぶりに連れ出したいと思ってる。 パクチーハウスと同い年の息子は今日で11歳。子供と同じように成長したいと思って起業した僕は、息子から見てどんな存在だろう。チャレンジを続け好奇心を持ち続けることが、メッセージになると思っている。 写真は彼が一歳のとき。エストニアはタリンにて。

A post shared by Kyo Paxi (@paxi) on

『Baile Yokohama』出演情報

3月4日(日)と11日(日)、閉店を挟んで2度、FMヨコハマ『Baile Yokohama』に出演します。

パクチーのこと、無店舗展開のこと、ウルトラシャルソンのことなど。

お聞き逃しなく!

世界100ヶ国以上を旅してきた幸福研究家、目崎雅昭によるプログラム。
旅先で出会った幸せになるヒントを日曜日の夜に音楽に乗せてお届けします。

3月4日(日)と11日(日) 21:30-22:00
FMヨコハマ 84.7MHz 『Baile Yokohama』
https://www.fmyokohama.co.jp/pc/program/BaileYokohama

 

28461307_1498992913482561_157089945_o

日本パクチー狂会:パクチーハウス online

パクチーハウス東京を開く2年半前に、僕は日本パクチー狂会を旗揚げしました。「パクチーの パクチーのための パクチー好きのためのコミュニティサイト」として8年9カ月運営した後、日本パクチー狂会はパクチーハウスでのリアルなコミュニティに引き継がれました。店舗が無くなるタイミングで、「日本パクチー狂会 パクチーハウス online」という形で復活します。まずはFacebookグループから。

 

無店舗展開のパクチーハウスの情報交換を、このグループを通じて行います。ぜひご参加ください。

https://www.facebook.com/groups/146734378726256/

Facebookで「日本パクチー狂会: パクチーハウス online」で検索してください。

双葉

 

カウントダウン20: 地球を救うカレーライス

あと20日。

お知らせ898887868584838281807978777675747372717069686766656463626160595857565554535251504948474645444342414039383736353433323130292827262524232221

10年に渡る常連の水崎さんがご夫妻で2組のご予約! 世田谷通りのインドカレーの名店「スパイスマジック」の方、パクチーを自家栽培していて花束や加工品をなんども送ってくださっている福島の学習塾 清学舎さん、日本パクチー狂会で出会い地球を救うカレーライスのベースを作ってくれていた清川くんがご来パク。

IMG_1662

10年間通い続けてくれた水崎夫妻が、夫婦それぞれ別のグループを率いてご来パク。楽しんで、それをほかの方々に伝えていただくのは本当にありがたいです。閉店を間近に控えて「行ってみたかったのに」という声をよく聞きますが、店舗というのは知られるだけでは来店を促すことは難しく、どこかで情報を得た上で知人から誘われるというのが一番の初訪問の理由になります。パクチーハウスにはこうした常連さんが89人ほどいて、僕たちの店舗運営をずっと助けてくれました。

グループの中からホースメディテーションという事業をしている小日向さんという方と知り合いました。共通の知人が20人もいたほか、翌々日にFMヨコハマで僕の無店舗展開などについてインタビューしてくれる方がメンバーの一人とウェブサイトで知って驚きました!

paxiblack

public’S’peaceで食事をしていた方がキッチンまで来て話しかけてくれました。福島の学習塾 清学舎のやまぐちさんでした。数年前からFacebookページなどでコメントをくれ、パクチーの花束やご自身で作られたパクチーの生種の漬物などをお送りいただいたこともあります。実際にお目にかかったのは初めてで、うれしいサプライズでした。

paxiblack

パクチーハウス東京の2周年から約1年間提供した「地球を救うカレーライス」の基を作ったBija清川くんが来パク。清川くんと出会ったのは、2006年6月に西麻布のベトナム料理屋キッチンで開いた日本パクチー狂会の会合にて出会いました。そのときに「カレー屋」を開くという話を聞きました。

翌年1月に友人の結婚式で見覚えのある顔に遭遇。お互い、どこかで会いましたねという話をして、あるタイミングで「カレー?」→「パクチー!」とほぼ同時に認識。偶然の再会を喜びました。カレー屋さんはどうなったか聞いてみたら、物件は決まってオープンを控えているという返事でした。

僕は2006年9月に起業を決意。半年間アイデアが固まらず、2007年3月にパクチー料理専門店を作る構想ができました。飲食業のアルバイトすらしたことがなかったので、店を作る上で参考にしたいと思い、店舗立ち上げ間近のBijaのウェブを眺めました。

店作りのこだわりから、コンセプト作りまで、詳細に書かれていました。僕は自分自身の事業計画の項目を、Bijaのブログからたくさんパクらせてもらいました。その恩もあり、パクチーの葉だけでなく種を使った超メジャーな料理である「カレー」を、彼のコンセプトを借りて展開したいと思いました。相談を持ちかけたところ、快諾してもらい、「Bija@paxihouse」が始まったのでした。

その後一緒にイベントをしたり、経営者としての悩みを共有したり。熊本や名古屋、静岡でも会いました。「シンプルに生きる」が色々やった結論というのが共通していて、12月に僕が無店舗展開を発表したときにちょうど清川くんも大きな仕事の整理が終わったそうで、タイミングも合うなと思っています。また旅先で出会いたいと常に思う親友です。

paxiblack

カンパクのスピーチをしていたら、途中で手をあげてくれた人がいました。最近与那国島に行った際にパクチーハウスの話を聞いたそうです。与那国島で昨年12月にクシティ(与那国ではパクチーのことをこう呼びます)の日が制定され、店長うっしぃがイベントに参加して来ました。島の人の喜んでいる声を聞いて、無店舗展開を支持したいと言ってくださいました。

paxiblack

Facebookの「パクチーが好き!」というコミュニティの会合もありました。また、世田谷通り沿いの「スパイスマジック」の経営者ファミリーにもご来パクいただきました。イギリスから帰って来た2004年にスパイスマジックから89メートルのところに住んでおり、十数回通ったことのある親しみのあるお店で、お会いできて嬉しかったです。

経堂の自家製ソーセージとドイツビールの名店「IngoBingo」の酒井さんも新しいスタッフと来パク。ここだけの話、フラムクーヘンのヤンパク版「ヤンパクーヘン」を提供すべく準備中ですよ! 3月1日から1カ月限定です。