めちゃくちゃ美味しいビリヤニをみんなに食べさせたい。それだけ!

パクチーハウス元スタッフの大澤孝将くんが、ビリヤニ専門店を神田に開くということでクラウドファンディングを始めた。是非とも応援をと思ったが、24時間以内に目標の500万円に達し、ダブルスコアも達成するのではという勢いだ。

ビリヤニ大澤クラファン

パクチーハウスを開いて半年が経った頃、彼は突然やってきた。アルバイト募集の告知を見て、連絡をくれた。住まいは僕の出身地である秦野市。交通費が嵩むなぁと正直思った。当時は歩きか自転車で来れる人を雇うつもりでいた。しかし、秦野市に住んでいる人が来てくれるのは嬉しいなと思い、採用を決めた。

大学に入ったばかりの18歳。「旅と平和」という僕の理想について共感してくれ、また、日本パクチー 狂会やパクチー銀行、その他僕がやっている諸々を面白いと感じてくれたみたいで、ぜひ働きたいと返事があった。面接を終える頃、「ところでパクチーってどんな味なんですか?」との質問が。

「知らんで来たのか!」(笑)

そのまま厨房に行ってパクチーを食べてもらった。

アルバイトを始めてすぐに「デストロイヤー」というあだ名がついた。毎日5〜10枚のお皿を割るからだ。交通費が嵩むことを心配していたが、お皿やグラス代の方がかかりそうだなと笑っていた。

流石に割りすぎている自分を気にしていたようだが、それでもお皿やグラスは次々に割れた。ある日、置いてあったティーポットをつかんだだけでそれは割れた。たまたま横にいた僕に「僕何もしてないですよね?」とすごい顔で見つめてきたので、大笑いした。

アルバイトを掛け持ちしたり、限界まで遊ぶので、常に睡眠不足だったようだ。お皿を洗いながら、立って寝ていたこともあった。また、アルバイト後に電車に乗っては乗り過ごし、小田原で朝まで過ごしたという話も何度も聞いた。

僕や他のスタッフは皆、旅のバックグランドがあった。旅の話をよくしていたら、大澤くんは夏休みに初めての海外一人旅に行くことになった。行き先をみんなで話し合い、バンコクを中心に東南アジアを巡ることになった。何度目かの海外一人旅の帰り道、中国で事業を営む会社の社長と飛行機で隣り合わせになったらしい。数ヶ月後、その方が持つ会社の中国現地法人の社長に抜擢され、日本を離れた。

しばらくして、ビリヤニが美味いんだと言い始めた。インドやパキスタンでハマり、食べまくったようだ。「1日4食」食べていたというのは、僕がウイグルでラグマンを食べていた時と同じだ。

ほどなくして、日本ビリヤニ協会(NBA)を設立。当時、僕が日本手食協会を作るなどして、NHKブーム(略称がNHKとなる団体を作るブーム)が起こっていたが、彼はNBAを選んだ。日本パクチー 狂会のやり方をパクります、と言ってくれた時は嬉しかった。

ビリヤニの知名度は低かった。でも、好きなら情熱を捧げまくるべきだと思った。「やってればなんとかなる」と言ったらしい。それから11年経って、たくさんの蓄積が結果を生んだんだと思う。

ビリヤニイベントを開いたり、経堂のシェアレストランで「ビリヤニマサラ」という週一のビリヤニ屋をやったり、毎日ビリヤニを食べられるシェアハウス「ビリヤニハウス」を作ったり。初めて出会ったときの印象そのままにめちゃくちゃだったけど、アイデアを形にして多くの、本当に多くのファンを作った。

コロナウイルス騒動で、当時のアルバイト先の「ガラムマサラ」を救うため、ほぼ一人で通販事業を立ち上げて働き詰めで精神を壊した。その後、数度メッセンジャーなどでやり取りをし、誰とも会いたくないという返事が来たこともあって心配していた。が、やはり、クラファンの文章にある通り、ビリヤニを作ることで回復したようだ。

1月下旬に突然、鋸南に来てくれると連絡があった。飲みながら、ビリヤニ屋をやる決意を話してくれた。僕が会社を作るときに使った「優先株」を発行する方式で会社を作ることにしたので、定款を送り、あっという間に物件が決まり(2つ見ただけで決めたらしいw)、スタートに向けて爆走している。

ぜひ「ビリヤニ大澤」のビリヤニを食べてください!

ビリヤニ大澤クラファン

僕の人生を変えたパクチーという存在(佐賀県武雄市:江口農園)

2018年8月9日に発行した『89の証言集』の89番目の原稿が揃い、完全版が発行となりました。パクチーハウス東京と、そこから派生したPAX Coworking、シャルソン等に関わって来た人たちがそれぞれ890字ずつで書いたエッセイ集です。

以下に、89番目の証言者である佐賀県武雄市のパクチー農家・江口竜左さんのエッセイを転載します。


僕の人生を変えたパクチーという存在

江口竜左(武雄市パクチー生産者)

僕がパクチー生産者になる以前、パクチーという言葉は正直見た事も聞いた事もありませんでした。そして、まさかそんな見たことも聞いたこともないパクチーによって僕の人生が180度変わっていくことになろうとは...

実際にパクチー栽培を始めてみると本当に苦労の連続でした。周りにパクチー農家なんて誰一人いない。種まきや水やりの仕方は自分で失敗を繰り返し、正しいやり方を模索していかないといけない。そんな状況なため、2年間全く売り上げがでず、何度もやめようと考えました。

しかし、3年目になると「たけおパクチー」という名前が全国的にも知名度が少しずつ浸透していき、勝手に注文が来るようになりました。そして今まで生きてきた人生の中でも最大の賭けに出ました。パクチーハウス建設に、1千万円投資をすることにしたのです。パクチーに1千万円を投資した農家、そんなあり得ないエピソードが話題を生みメディアから沢山オファーが来るようになりました。さらに、ハウスを建設した事で極端な自然の変化にも対応ができ、高品質なパクチーの安定生産が可能になりました。売り上げもどんどん伸びていきました。

そして、何よりも変わったのは自分自身です。パクチーハウス東京をつうじ、佐谷さんや店長のうっしぃさん、さらに、パクチーハウス東京で出会った魅力的な人たち。いつも泣き笑いしながらも自由に自分の人生を謳歌する旅人の方、リスクしかない1つの物に惚れ込み物作りに人生を賭ける職人の方、そんな方たちの共通点は笑顔でした。なぜか、苦労や辛いことばかりのストーリーを話しているのに、なぜかみんな笑顔。そんな笑顔をみて僕も自然と、好きな事をやろう、やりたい事やれていれば失敗してもいいじゃないかと考えられるようになっていきました。今では、新しいことをやらないと気がすまない、誰も人がやっていないような事をやりたい、世の中を驚かせたい、そんな考えを持つ自分に生まれ変わりました。

そして、今ではこう思います。

「いつかパクチーのような、あの強烈な香りと独特な味、そんな強烈な個性を持った人間に僕はなりたい!」


『89の証言集 89人が綴るパクチーハウス東京の真実』

パクチーハウス東京のレシピ公開、8月は夏休みです。

「パクチーハウス東京」とその上にあった「PAX Coworking」、パクチーハウスから生まれた新しいランニングイベント「シャルソン」。この辺りを支えてくれたお客さん89人による、890字のエッセイ集が8月9日に出ましたのでお知らせします。

Kindleでどうぞ。Unlimited会員は無料です。

 


パクチーハウス東京の約10年の記録として89人が綴った『89の証言集』。
来パク客の890字での感想から浮き彫りになる、パクチーハウス東京の真実とは。パクチーハウスとは、PAX Coworkingとは、シャルソンとは、一体何なのだろうか。

7年近く満席が続く中で突然の閉店を宣言したことを、彼らはどう思っているのか。それぞれのパクチーハウス関連体験は、常識の捉え方や人生に対する考え方の大きなヒントになるだろう。

寄稿者一覧(敬称略):
吉澤卓/堀江賢司/橋本勇太/石田亮/石塚和人/長野佐弥/伊藤公貴/篠原寛行/荒木小百合/平野匡城/依岡恭弘/鳥山百合子/菊地貴広/鷲巣祐介/森岡江美/みついまみこ/児山由美子/牛田うっしぃ/小森良介/長谷川寛/小池佑奈/山野明子/倉竹悠/石川拓也/中西弘之/加藤武留/片倉充/渡邉裕晃/小野寺浩/駒井研司/鈴木彩子/清川孝男/石山恭子/松井つるみ/長崎直樹/留守敦/関倫子/地藏真作/万木康史/杉田龍彦/岩城健太郎/上田惠利加/江原政文/宮嶋恵子/菊田裕司/稲森敦子/厚東進太郎/西田貴博/木口泰広/水林亨介/徳永裕介/西澤法子/多部田憲彦/川口結実/平田友子/福岡正一/成瀬尚志/木村知昭/石川雅紀/杉健史/藤川瑞木/新妻正夫/真田武幸/広瀬 眞之介/坪田哲司/伊藤富雄/本山尚義/稲葉英彦/西野太二/宗形晶子/小野崎真一/小森啓安/遠藤隆尚・矢口真実/森澤倫久/呉希昌/湖山くれみ/佐谷修/亀川豊親/安井飛鳥/早川大/佐藤恵美子/吉田亮人/菅原亮平/としえ/最後のジェダイパクチー部/中西圭一/中丸明寛/江口竜左

【連絡ください】楽しくお手伝いします!

7518835568_5D4_7401日本パクチー狂会・会長(2005年4月〜)のKyo paxiです。

パクチーハウス東京は閉店しました。12月11日から89日間、必死で告知しましたが、閉店後に知る方も多いようで、SNS等で「驚きの声」を見つけては、できる限りフォローしています。閉店については僕のブログインタビューをご覧ください。

最後の89日間は、本当に濃密でした。「閉店後のプラン」に関する質問に対し「決めていない」と申し上げておりましたが、決めていたら成り立たなかったでしょう。閉店は開店より忙しい一大事業であり、全精力をかけないとできないことを身を以て知りました。このブログで89日連続で交友録を書きました。駄文で申し訳ないですし、僕以外にとっては「知らない多くの人」に関する記述ではありますが、もし全部読んでいただければ僕の20年の旅と10年のパクチーハウス経営について何かが見えてくると思います。

一昨日法事で広島に入り、今日は宮島へ行ってきました。4月に小六になる息子と小二になる娘を可能な限り連れまわすのが、これから1年の僕の目標です。旅する素晴らしさを身体で感じてもらいたいです。

で、「閉店後のプラン」ですが、いまも白紙です。というか、全緑というべきでしょうか。「お父さんの仕事」について少しは心配してくれる子供達には、仕事をしていなくても不安にならないよう、「お父さんは半年ぐらい遊ぶよ」と言ってあります。

この半年、できれば1年ぐらいしたいことは、僕が会社を作ってからの10年超でお会いした人たちと再会し、(必要であれば)何らかのお手伝いをすることです。お客さんんを消費しないために、店を閉じましたので。

パクチー料理専門店を作った第一の目的は、パクチーを知る旅人を集めることであり、なんとか店を維持しつつ、旅の面白さと社会への役割をアイデアベースで共有できる人と出会いたかったからです。そして、パクチー屋がどうなるかは分からないけれど、出会った人たちと、旅人の発想が世界を変えることを事業を通じて証明していこうと思っていました。再会とお手伝いで、それを一つずつ実現したいと思っています。

 

・再会ですので一度でも取引したとか、パクチーハウスに来た、PAX Coworkingにドロップインした、シャルソンを主催したという方でお願いします。「パクチーハウスにずっと行こうと思っていました」は対象外です。
・「お手伝い」と言っても、パクチー料理作りに来てくれよ・・・というご自身のためではなく、事業を通じて社会を変えたいというようなご依頼を優先します。
・面白いと思えばすぐ動きますし、思わなければきっとやらないでしょう。

 

会社を作るときに書いた以下の文章。これがすべてです。連絡はFacebookメッセージからお願いします。ピンと来たら、ご遠慮なく! このブログのシェアも歓迎します。

 株式会社旅と平和 は、旅という経験の積み重ねが国を超えた人びとの結びつきや相互理解を深め、世の中を楽しく、人びとを元気にすると考えます。また、その延長として、旅が世界平和を維持するための大いなる原動力となるという立場を支持しています。
「世界愛(人類愛)」には「祖国愛」を持たずして到達できず、「祖国愛」は「郷土愛」を持たずして得ることはできません。また、「郷土愛」は「家族愛」があって初めて成り立ちます。私たちは、旅を「単なる外国への旅行」と捉えるのではなく、「人が自発的に、他人に会いに行くこと」であると定義します。
社名に「平和」という言葉を冠していますが、その崇高な目的のために地域の活性化や子どもの教育こそが、まず必要だと考えています。平和を維持し広めていく仲間を増やしていくためには、他者の存在とその必要性を認識できる旅という行為を広めることや、家族や地域などでのコミュニティー意識を多くの人が持つようになることが、重要になります。
株式会社旅と平和は、旅や家族・地域単位での交流を促すさまざまな仕掛けを提供し、人とのつながりを見直す体験をすること、自分とは異なる世界観を持った人びとの存在を知ることを通じて、人をオープンで元気な存在にしていきます。そして、自分以外の人のために生きる人たちを応援します。

株式会社 旅と平和 代表取締役社長 佐谷恭

カウントダウン8: ヤンパクーヘンはじまる

あと8日。

お知らせ89888786858483828180797877767574737271706968676665646362616059585756555453525150494847464544434241403938373635343332313029282726252423222120191817161514131211109

お子さんが小さい頃から通ってくれているこっしーファミリー、ウルトラシャルソン事務局田上さん、元スタッフ間宮さんやWクボマリさん、鳥獣giga常連の吉永さんも!

IMG_1847

オープン直後に、小さい兄弟・・・が大きくなって帰って来ました。妻の大学の同級生であるこっしー夫妻と6年生・3年生の兄弟。小学校に入るときに、上の子が「立て!若きパクチーマン!」をやってくれました。 こっしーは息子さんたちを連れて何度も来パクしてくれただけでなく、よくPAX Coworkingも利用してくれました。

paxiblack

何組か入って来た中に僕の母の姿も。そういえば予約番号の中に秦野市の市外局番があるなぁと思っていたら、母の知人が予約をしてくれていました。趣味のサークルの仲間とその先生の集まり。母の友人たちにも随分たくさん来パクしていただきました。母は人にすぐ声をかけるタイプなので、多方面に友達がいるみたいです(笑)。

大学を出て10年間は、一般的に見るとふらふらした生活をしていたので、起業してようやく両親に恩返しできたかなと思っています。父はPAX Coworkingを開いたタイミングで癌が発覚し6年前に他界しましたが、最後の数年はたくさんのことを教えてもらいました。「起業が恩返し」と言いつつ、安定して来たところで店舗を終了することにしたのですが(笑)。三つ子の魂百まで。

paxiblack

外食などの店舗づくりを主にしている田上さんが来パク。PAX Coworkingを高橋さんの紹介でドロップイン利用しタコとで出会い、その後牡鹿シャルソンの企画を奥村さんとともにしてくれました。僕はその牡鹿シャルソンをきっかけに東北復興応援ランニングイベント「ウルトラシャルソン」を思いついたので、ウルトラシャルソンのことそ初期に相談したところ、事務局もつとめてくれました。

一時期東南アジアを中心に仕事をされていたので、プノンペンシャルソンにも一緒に参加しました。各地で色々な縁ある人です。これからの付き合いも楽しみです!

paxiblack

サハラマラソン出場予定(?)の真鍋さんが、今通っている大学院の同級生である池田さんとご来パク。ちょうどいいタイミングで少しだけ時間が空いたので色々お話しすることができました。人をつなげることを人生の中核にしている人、キャリアとか年齢とかの常識に囚われず変化し続けたいと願う人は魅力的だし、そういう人の存在があるから、僕のこれからの活動も成り立つのだろうなと思いました。

今のラスト89日の期間、この10年間のレビューをしつつ、新しい仲間をたくさん紹介してもらえるので幸せです。

paxiblack

元スタッフの間宮さんも来てくれました。プロジェクションマッピングの勉強を始めようとしていて、そのスキルを持って世界を旅したいというので、カンボジアの中村さんを今度紹介するよ、という話を前回したのですが、最近知り合った友達がすでに中村さんの会社と繋がっていたというミラクルがあったと報告に来てくれました。そうそう、そうそう、人生そういうもん。

paxiblack

PAX Coworkingメンバーのクボマリさんが、僕のライブドア・ニュース時代の同僚クボ(タ)マリさんと来パク。クボ(タ)マリさんはオープニングレセプションや開店時のドタバタな時期にも手伝ってくれました。

マリーと会ったのは友人の結婚式の2次会。僕が幹事をしていました。場所は、六本木のベルオーブ。もう完全に泥酔した後に話をして、当時フリーライターをしていたので「ライブドア・ニュース入れば」と提案したのがきっかけで翌日も会うことに。そして、その時の編集長を即紹介して同じチームで働くことになりました。

数年前、クボマリさんが初めて来た時に、同じような名前の友人がいますよと紹介し、その場で電話してみたら吉祥寺にお出かけ中ですぐに来れるというので紹介しました。それからずっとつながってくれているみたいです。

そこへ、PAX Coworkingの初期の頃によく来てくれた畠山さんが来てくれましたので合流していただきました。

paxiblack

 

鳥獣gigaの超常連だったドクター吉永さんも。パクチーハウスでたくさんの会合を開いてくれ鳥獣gigaも応援してくれたGiroさんと今でも長い付き合いをしているという嬉しい話も。席に案内して最後に写真撮った以外、話ができなかったですが・・・。夏前ぐらいに飲みに行きましょうね!

paxiblack

「またサインしてー」と声をかけてくれた結子さん。日本パクチー狂会時代からの会員で、初来パクの際に『ぱくぱく!パクチー』をご購入いただき、サインさせていただきました。その後再来パクでもう一度、そしてこの日3度目のサイン。著者冥利に尽きます。とても嬉しかったです。

paxiblack

PAX Coworkingの平良さん、そして何度かご来パクいただいている別の平良さんも。いつも会社の仲間をたくさん連れて来てくれる細貝さん、サッポロビール勤務でご近所の山中さん、京都からなんども一人で来ていただいている谷口さんとも、少しずつお話しさせていただきました。84人ご来パク。僕以外のスタッフを足すと89人とともにした夜でした!

paxiblack

そして片付けが終わった24:30過ぎ、近所のドイツビールと自家製ソーセージの名店「IngoBingo」へ。ヤンパクの調理を伝授しに行って来ました。3月3日からフラムクーヘンのヤンパクバージョン「ヤンパクーヘン」がメニューに登場です。お楽しみに!!!

カウントダウン43: ソウルからサプライズ

あと43日。

お知らせ89888786858483828180797877767574737271706968676665646362616059585756555453525150494847464544

いろいろな場所で騒いできて、パクチーハウスでもさんざん盛り上がっているシーンを見てきたけど、これでもかという活況。店内の一体感がすごかった。Public’S’peaceや相席、パーティで繋がって行った20人が“メニュー全制覇”の会を。他のテーブルもどんどん繋がって行った。元スタッフのエリムちゃんが、韓国はソウルからサプライズで来パク。カムサハムニダ!

IMG_1356   IMG_1361

IMG_1359  IMG_1364

仕込み中にスーツを来た営業マンが来ました。逆光で顔が見えにくかったのですが、近づいてみると!!! 波佐見町(佐世保と武雄の間ぐらい)から丸田さんが来パク。丸田さんとは2カ月ほど前に、長崎大学で行われた思いやりライト運動とそれに伴うソーシャルアクションに関するイベントで一緒に講演した仲。突然のサプライズ閉店宣言に、飛んで来てくれました。仕事の合間を縫って、食事もできない時間なのに、「写真で見たこの空間に身を置きたかった」と言ってくれました。波佐見町でシャルソン、楽しみですね。

丸田さんは約20年前に、飲酒運転による暴走車に轢かれて妹を亡くしたそうです。あかね基金を通じて、交通事故のない社会づくりのための活動をしています。

paxiblack

 

この日も満席でしたが、予約がすべて19時から。当日のお客さんが public’S’peace に来てくれましたが、最初はまさに嵐の前の静けさといった様相でした。ほとんどすべてのお客さんが19時から30分の間に来パク。

最大のグループは「パクチーハウス de 新年会」。ご予約は昨年暮れでしたが、いつからか20人でパクチーハウスの料理をすべて食べ尽くすというノリに変わっていました。このグループを構成するのはパクチーハウスの常連さんがほとんどですが、Public’S’peaceや相席、パーティを通じてどんどんつながっていった仲間です。共通点は「メガジョッキまたはノンアルコール」極端な人が多くて楽しいです。

幹事はつっちーでした。僕がリサイクルワン(現レノバ:再生エネルギーの会社)で一緒だった姉つっちーの弟であり、直接つながっていないものの、富士通の後輩にあたる人です。

新年会グループの後ろに、黒バッジの陣内さんがいたので、つっちーグループに紹介しておきました。またここから何かが生まれるでしょう。

paxiblack

 

年末最終営業日に来てくれたゆうがくん、みゆきちゃん、さよりちゃんがラグマン鍋を食べに来てくれました。安定のメガジョッキ。パクチーカチューシャを作って来てくれました! だいぶ古くなったパクチー帽だけじゃない。より多くの人数でパクチーになれます。

そして、その横には南極観測隊帰りのみなさん。南極に生えたパクチーの写真を見せてもらいました。感動です。日本の南極観測隊の方々がいく昭和基地は南緯69°地点にあるのですが、僕が行きたい南極点の周辺(南緯89°)はそこから2000km以上離れているんです。ただ、経験ある皆さんに、南極点について聞いたら、そこへのアプローチの仕方をあっさり教えていただきました。時機はいつ来るでしょうか。

paxiblack

カンパクを終えてしばらくした頃、public’S’peaceに2人のお客さんが(いつの間にか)入っていました。まだスタッフが誰も案内していないということだったので、近づいてみると(サプライズなので顔を道路側に背けてました)、以前パクチーハウスのスタッフだった韓国人エリムちゃんでした。ビックリしました。ソウルからのサプライズ来パク!

「閉店が残念なので、時間を作って来ました」というのは嬉しいですね。学生時代のアルバイト先が無くなるという意味で寂しい気持ちはあると思います。でも、僕が思うに、パクチーハウスは懐かしむ場所であるよりも、何かを始める場所でありたいのです。失意の閉店ではなく、得意の無店舗化ですので。この大きな流れの中で再会するスタッフやお客さんと、これから行くことの数々。これがパクチーハウスを閉じる意義だと思っています。

【お知らせ】店舗からプロジェクトへ

パクチーハウス東京は、2018年3月10日を以って、経堂の店舗を閉鎖します。本日より数えてあと89日後です。その後パクチーハウスは、「店舗」から「プロジェクト」へ移行します。

10年前に経堂の地に店を構えて以来、地域の方だけでなく日本全国、時には世界各地から多くの方々にご来パクいただきました。10周年を迎えた後も、連日多数のご予約をいただき、本当にありがたく思っています。

これからはパクチーハウスが世界のどこかに出現します。住所不定・夢食。パクチーがまだないところにパクチーを届けるのが次の使命と考えております。

多店舗展開をせず、無店舗展開へ。世界のどこかで会いましょう。

 

パクチーハウス東京・ファウンダー
Kyo paxi

profile

10周年 デリリウムカフェ x パクチーハウス東京

「パクチーハウス東京」が11月20日に10周年を迎えますが、店主Kyo paxiの親友の菅原亮平さんが展開するデリリウムカフェ」も今月25日で10周年です

これを記念してコラボ・・・というか、デリリウムカフェが時々やっているシェフの料理選手権のテーマがパクチーとなっています。10月8, 9日まで。

お近くの店舗に行ってみてはいかがでしょうか。もちろん、パクチーハウスでパクチー料理を食べていただくのも歓迎です!

delirium-paxi

 

■各店メニュー
ーベル・オーブ六本木 神田橋シェフ
セリスホワイトで煮込んだ仔羊のグリーンカレー、パクチーとグリーンカレーのマリアージュ
ーベル・オーブ豊洲 宗像シェフ
オリエンタルThailandサラダ
ーベル・オーブ東京芸術劇場 片桐シェフ
香味パン粉の鰹のフライ
コリアンダーバンブランソース
パクパクパクチー
ーデリリウムカフェトーキョー 岩見シェフ
パクチーを詰め込んだ鶏モモ肉のジャンボネット
ーデリリウムカフェレゼルブ 鈴木シェフ
スパイシープティサレスペアリブもりもりパクチー。
ーデリリウムカフェGINZA 澤部シェフ
ブラウンマッシュルームと小エビガーリックパクチーココットアヒージョ仕立て
パクチーサラダをのせて
ーデリリウムカフェ SENDAI 小林シェフ
鶏肉とパクチーのスパイシー煮込み
ーデリリウムカフェ EBISU THE ROAST 森田シェフ
石窯pizza”バインミー”
ープティデリリウムタップカフェ 安達シェフ
ラムパクチー餃子
ーブラッスリー セント・ベルナルデュス 武居シェフ
本パクロ頭肉のパク粉フリット パクマヨソース
ーウルビアマン 井上シェフ
しらすとパクチーのパリパリ春巻きピザ
甘エビとスパイシーチキンのせ
蜂蜜レモンのドレッシングがけて
ーブラッスリー MUH 加藤シェフ
網脂で包んだパクチーメルゲーズ
ーブッチャー NYC 林シェフ
豚軟骨の白ワイン煮 ピペラード仕立て パクチーとオレンジ風味
ーRIO BREWING&CO. BISTRO AND GARDEN 小林シェフ
パクチーの香りを閉じ込めた海老の石窯パン生地ポットパイ


 

 

11月20日(月)にはもちろん、パクチーハウス東京10周年記念パーティを行いますので、予定空けておいてくださいね!

 

日本パクチー狂会 会長、パクチープリッツを食べる

8月1日のパクチープリッツ発売に先駆けて、パクチープリッツの味見をさせてもらいました。開発者との対談がグリコの特設ページにてご覧いただけます

パクチープリッツ開発担当者 笹川好希氏と
パクチープリッツ開発担当者 笹川好希氏と

種はカレーに用いられているコリアンダーというスパイスになっているし、根っこも食べられる。そういったどこも無駄にならない食材というところも好きですし、歴史も深い。約1000年前の書物にパクチーがあったとされています。健康にも期待できるし、そういった意味でも人類にとって大きな意味のある食材なんですよね。1000年経って、ようやくブームがきましたが(笑)。

 

 

僕らの目指す究極は、買い物したらおまけでパクチーが付いてきたり、道端にパクチーが生えている、そんな日常にパクチーが普通にある世界です。本当の普及のために、これからも頑張っていきたいですね。

春のアルバイト・ゲストシェフ募集

桜が咲きました。春ですね。パクチーハウスのスタッフも、卒業・就職・移住・独立などで新たな道に進む人が結構います。

さて、学生アルバイト・ゲストシェフの募集をします。

【アルバイト】
新入生・新2回生歓迎。楽しく仕事したい人、好奇心が強く、活動的で、または活動的になりたい人。3回生以上、フリーターもOKです。

【ゲストシェフ】
パクチー料理を創作し、広めているパクチーハウス東京で、料理人としてのクリエイティビティを発揮したい人。また、自分の料理を目の前のお客さんはもちろん、世界中に発信し後世に残したい人。独立前など、数ヶ月からゲストシェフとして歓迎します。もちろん、中長期的に仕事したい人も連絡ください。

委細面談。とりあえず、パクチーハウス東京のブログFacebookページ佐谷恭のブログ・『翼の王国』(2017年3月号)などをざっと読んで、ご連絡ください→ 03-6310-0355

IMG_6288