カウントダウン48: 世界のごちそう博物館

あと48日の夜。

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世界のごちそう博物館の本山尚義さんの出版記念パーティ。Twitter全盛期に知り合った旧友たちとの再会もあった素晴らしき夜。

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『全196ヵ国おうちで作れる世界のレシピ』の出版記念トークイベント&パーティを開催しました。著者の本山さんはクラウドファンディングで書籍作りに必要な資金を調達しました。発売前に増刷が決まり、発売から1カ月強で3刷だそうです。

本山さんのことは僕が主催している旅人経営者の会を通じて知り合いました。関西支部の会合で利用されていることを知り、ウェブを通じて魅力的な店だなと思っていました。毎年神戸大学で講義させてもらっていて、講義後は関西に住む友達を集めての飲み会を設定しており、2年前に本山さんが経営していた「世界のごちそうパレルモ」で行いました。そこで初対面。料理もさることながら、お店の持つ雰囲気に惚れ込みました。毎日毎日満席というのが頷けました。

お店を訪れてから1ヶ月足らず後、本山さんのFacebookでの書き込みで、パレルモ閉店のことを知りました。新たなチャレンジをすると知って、閉店間際に急いで再訪したことを思い出します。

状況はもちろん違いますが、僕もゴールを設定したという意味で本山さんと同じ境遇にあります。だからこそ、このイベントを共催できたことはとても嬉しかったですし、終わった後飲みながらした会話は、生涯忘れ得ぬものとなりました。

ちょうど1年前にクラウドファンディングをしていました。その総仕上げに、本山さんが東京を訪れる機会があり、パクチーハウスにも来てくれました。せっかくなので興味ある人を募り、少しでも協力者が集められればなと思いつつ、本山さん在パク中に達成したらいいなと思っていました。しばらく待ってなかなか思うように行かな買ったのですが・・・ラストミニッツで見事達成。お客さんにその旨を報告してそこにいた全員でお祝いをしました。


トークでは、本山さんの旅の話から書籍を出すに至るまでのエピソードを聞きました。カード賭博に引っかかりそうになった話から現地のレストランや料理人へのアプローチ法まで、そしてお店の立ち上げから閉店に至るまでの話をたっぷり1時間半聞くことができました。

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トークが終わり営業時間に入ったら、本山さんの世界のごちそう3品を含むパーティタイム。仕込み時に、スタッフ向けに本山さんから直々に指導してもらいました。

通常予約のお客さんも交えて、楽しい時間の始まり。この日は2009年秋頃にTwitterで仲良くなった友人たちが、お子さんを連れて来たりして楽しんでくれました。年月経つのは早いですねー。トークイベントにもTwitterの頃からの友人が来ており、思わぬ再会に興奮していました。

他にラグマン鍋をしているグループと、閉店までの期間限定スタッフをしているゆきこさんのグループがいましたが、最終的にどのグループも融合していました。本山さんの本と世界のごちそうレトルトにも関心が集まっていてほぼ完売! よかったです。

Twitterからの友KOJIさんが、この店は相変わらずヤバいねと仰っていましたが、テーブルの垣根をやすやすと飛び越えるお客さんが、パクチーハウスを作ってくれているんですよ!!!

ランチと2人で打ち上げをまで満喫したので、経堂の友人たちにも一部この素晴らしいシェフを紹介できてよかったです。

カウントダウン49: 世界遺産探検家

あと49日の夜。

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世界遺産探検家のまさみ・みちる夫妻、元スタッフの宙さん・間宮さん。常連の水崎さんは大人数で盛り上げてくれました。

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4年前に旅立つ前の壮行会をパクチーハウスで開いたまさみ・みちる夫妻が戻ってきてくれました。ホイアン(ベトナム)とバリ(インドネシア)を拠点に世界を旅しながら働いている夫婦です。閉店の報を聞いて、すぐに来パクを約束してくれました。いつか行きたいと言っていただけるのも嬉しいですが、節目節目で来てくれる友人は本当にありがたいです。

パクチーハウスを開いて3年目に、別の「交流する飲食店」を開こうとチャレンジした鳥獣giga(@用賀・自然の野菜と自然の肉<ジビエ>を自分で焼く立ち飲みBBQという業態)に二人で何度も通ってくれました。まさかあそこで愛を育んでいたとは!!! 旅立った後、日本に帰ってくることは稀なので会う頻度は激減しましたが、常に動向が気になっていて、適度に連絡を取り合えています。次は僕が彼らの移働先を訪ねるでしょう。

「人生の幸せはお金にはない」ことをずっと確信した上でバリバリのビジネスマンをやっていて、計画通り不惑で旅に出たという話を聞きました。環境に適応というか毒される人が多い中、価値観をしっかり維持し洗練できる人だからこそ、魅力的な旅ができるのだろうなぁと思いました。

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閉店を発表した数日後に朝ビールした元料理長・宙さんも立ち飲みスペースに。メガジョッキ軽く2杯。地域おこし協力隊で下呂へ移住して3カ月強だが、旅人料理人としてできる社会変化を巻き起こそうとしています。1カ月前に会ってから相当の行動をし、チャレンジを繰り返していますね。同じく元スタッフの間宮さんも合流。うちに入ったのも宙さんの紹介でしたね。来るべき2度目の世界一周に向けて、各地でパフォーマンスをするためのスキルを磨き始めたとのこと。また良い旅をしてほしいなぁ。

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常連の水崎さんのグループは、パクチーもヒートアップ!でスタート。一気に12杯作りました。飲み終えた後に残ったパクチーに、パクジンハイボールを入れるのがめちゃうまいと、皆さんでいつも楽しんでくれています。メニューを組み合わせることでできる黄金の組合せがいくつかありますが、これもその一つです。シャーベットにパクジンをかけるのも密かな人気です。

久しぶりの柳田さんは、6年前にコワーキングフォーラム関西が終わった後の打ち上げで会った方でした。共通の友達が何人かいることやSNSで情報発信することで、ちょっとした縁ができた人と長い時間をかけてコミュニケーションが取れるというのは面白いですね。

 

 

カウントダウン50: タイミング

あと50日の夜。

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妻の誕生日で客席に。えがおファームの清岡さん、東日本大震災後に東北と関わり昨年移住した底上げの矢部さんなどソーシャルな方々。また、メドックマラソン/パクチー・ランニング・クラブ関連で加古さん、厚東さんも。立ち飲みに三上さんと橋本さん、若山さんなど常連のみなさん。そして、20年ぶりの高校同級生・杉崎くんも!!!

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妻の誕生日をパクチーハウス東京で祝えるのも最後ということで、家族で一テーブル占拠させていただきました。「ありえない」と言われたパクチーハウスの立ち上げとお客さんであふれるお店の閉店という僕の次のチャレンジをサポートしてくれています。毎晩やっている僕のお客さん向けのスピーチを、息子と娘に見てもらいたいというのもありました。

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えがおファームの清岡さんとNPO法人底上げの矢部さん。どちらもパクチーハウスで知り合った、ソーシャルな活動を率いている方々です。えがおファームは無肥料・無農薬のおいしい野菜作りを、底上げは東日本大震災で被災した気仙沼で若者の行動支援をしています。どちらも閉店して時間ができたら訪れたいと思っていたら、たまたま同じ日に来店してくれていました。

ちょうど1年前に丸の内朝大学のお仲間と来パクしていただいたことで知った清岡さん、多方面で共通の知人がおり、いつか会うのは必然だったと思います。とはいえ、パクチーハウスのお客さんとして3度(かな?)お会いしただけで、あとはウェブでの発信を通じて注目しています。初めてやりとりしたときに、ご自身のことを「畑違いから畑へ」と表現されていたことが印象的。坂戸でゆっくりお話ししたいです。

矢部さんは新卒で決まっていた内定を辞退して震災直後の3月から復興支援をしています。昨年ついに東北へ移住しました。出会いは2014年10月にパクチーハウスの立ち飲みスペースで。2回目のウルトラシャルソンで気仙沼へ行く当日の夜に、気仙沼で活躍する矢部さんのグループに会いました。ウルトラシャルソンは7回に分けて釜石から犬吠埼まで890kmをコンプリート。今年は「再会」をテーマに出会った人を訪問していこうと思っていたので、またここで会えて幸せでした。矢部さんも宮古から気仙沼までリレーマラソンをしているとのこと。ウルトラシャルソンが次のフェーズに進むのにまたいい縁ができたなと思いました。

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3年前のメドックマラソンでお会いした加古さんと、昨年10月にパクチー・ランニング・クラブで初来パクした厚東さんは実は20年来の友達ということで一緒にご来パク。同じグループにPAX CoworkingメンバーのJellicoの旦那さんである小島さんもいました。2019年のメドックマラソンを一緒に走ることになりました(よね?笑)。

厚東さんは上海で二胡奏者の今井美樹ちゃんと一緒だったとか。美樹ちゃんは僕が日本パクチー狂会を作った直後ぐらいからの友達で、 #和食とパクチーの融合 を実現するためのお店を紹介してくれたり、オープン直後に演奏会をしてくれたりもしました。厚東さんと初めて話した時に「前から話は聞いてたよ」と言われました。

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立ち飲みスタイルの交流スペース「public’S’peace」も大盛況でした。

7ヶ月ほど前初来パクの三上さんと橋本さんは、初めて会ったときにパクチーだけでなく僕の周辺活動を知っていて、初日から仲良くさせていただきました。また、全然違う場所(多治見シャルソン)で会った伴野さん(先週名古屋からご来パク)と以前一緒に仕事をしていたそうで、Facebookのタイムラインも複雑に絡み合っています。橋本さんの沖縄生活は興味あるなー。これも4月以降楽しみにしていることの一つです。

メガジョッキの会の若山さんもご来パク。だいたいいつもご予約で来られていましたが、閉店前ということで来られるタイミングが少し変わったり。「public’S’peace」から、パクチーハウスの別の風景を楽しんでくれてたと思います。

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そして、僕もメガジョッキの2杯目を終えた頃、スタッフから「高校時代のお友達が来てますよ」と伝えられました。秦野高校の1年8組(男クラ)の仲間。卒業後に京都に遊びに来てくれるなど、大学生時代までは数度再会していましたが、それから20年の月日が流れていました。僕の初出演ドラマであるテレビ東京の『吉祥寺だけが住みたい街ですか』を見てパクチーハウスのこと、僕がやっていることを知ったということでした。閉店などのことは全く知らず、来てみて驚いたそうです。2ヶ月遅かったら再会できなかったかもしれない! いいタイミング!

そういえば、杉崎くんは僕が大学時代に日経新聞に取材してもらった「現代の巡礼」というコラムも見つけてくれたこともありました。僕のイラン旅の体験が記事になりました。そして、今の仕事を聞くと、また縁がつながりました。昨年9月に新設のコンファレンスホールでのパネルディスカッションでご一緒させていただき、その後パクチーTシャツでベトナムにて講演などしていただいている東浦さんと、数年前まで同じ部署だったそうです。杉崎くんの連絡先も分かったし、またこれからの楽しみが増えました。

カウントダウン51: 大活動時代

あと51日の夜。

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大浦くんと「ハンズ ぱくぱく!パクチーまつり」の責任者の中大路さん、多方面でつながりのあるたまきさん、東京コワーキング研究会から7年ぶりの三宅さんなど来パク。

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開店直後に友人大浦くんがメガジョッキ。サハラマラソンにTeam PAXiとして一緒に出た石田さんのつながりで3年前に知り合ったのですが、その後全国各地でニアミスし、ついに京都で会ってビールを飲んでから仲良くなりました。第5回ウルトラシャルソンでは下見にも付き合ってくれ、岩沼に住む親戚を紹介してスピーカーになってもらいました。この日後から合流した東急ハンズの人たちを連れて来てくれたことがきっかけで、東急ハンズ新宿店で「ハンズ ぱくぱく!パクチーまつり」が開催されることになりました(それを受けて広島店でも)。

拙著『“ありえない”をブームにするニッチ戦略: パクチーハウス東京の10年』の元になったマーケティングの学会に読んでくれたのも大浦くんでした。フットワークの軽さと感度の高さから、無店舗展開を始めたら色々一緒にやることになる、気がします。

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この日は営業開始直後から忙しめでしたが、メガジョッキを注文した女性2人組がいらしたので厨房から最初の料理を運んで話しかけようとしたら、たまきさんでした。たまきさんと初めて会ったのは5年ぐらい前? 僕と同姓同名・・・ではないんですがほぼ一緒にサタニキヨさんという人と連絡が取れ、初めてご来パクいただいた時に一緒に来られていました。その後、ウルトラシャルソンで大変お世話になった木の屋石巻水産の松友さんと一緒に来パクしていてビックリしたのですが、なんと大学の同級生ということでした。ナミビアのサハラレースで優勝(2016)した飯野さんを紹介していただいたこともあり、ウルトラランナーにも共通の友達がたくさんいます。

paxiblack徒歩89歩のところに住んでいる伊藤さんがラグマン鍋で今年二度めのご来パク。「ご飯会」という集まりでいろいろなところを食べ歩いている方々とのことでした。

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閉店までの限定日本特集「さば味噌とパクチーのうまイモん」を仕上げて持って行ったら、先日も来てくれていた田口さんでした。来パクする話を前夜聞いていましたが、あまりに忙しくて飛んでしまっていたので、ほっこりしました。

一緒に来てくれていたのが7年ぶりの三宅さん。コワーキングがまだまだ知られていない時に少しでも多くの人にコワーキングについて知ってほしいと考えて開催した「第1回コワーキング研究会」に来てくれて以来だったそうです。7年ぶりでしたがFacebookで薄く繋がっていたのと、その研究会の時に参加した方々から間接的に話が伝わってきたりしてなんとなく状況は知っていました。僕のルーツがある京都に移住したみたいなので、今度は京都で会いたいですね。

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お互いさまざまな活動をしている人同士が、いろいろな場面で出会い・再会する。旅であり、それを再現したパクチーハウスであり、さらに生活=仕事にその要素を持ち込んだコワーキングの仲間とは、今後どんな活動をしても自然な流れで再びつながっていくんだろうなと思いました。

大学時代にプノンペンで出会った人とバラナシで再会したことがありました。その時はその「奇跡」に大層驚きましたが、その「確率」はともかくとして、それに似たようなことが毎日のように起こるのが、これからの大活動時代の現象となるでしょう。(と書いていたら、PAX Coworkingの現メンバーと元メンバーがパリでばったり会って飲んだという話が聞こえてきました)

 

 

 

 

カウントダウン52: 息子から父への手紙

あと52日の夜。

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コワーキングつながりのネコワーキング広瀬さん・大宮7F星野さん、オバマ大統領お父さん、鈴木さんがコロラドからのご友人と、そして世界青年の船の後輩にあたる方も。閉店間際に経堂の酒人さん、豆女さん、ビリヤニ大澤くんも。

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コワーキングで繋がったネコ広瀬さんと7F星野さんが久しぶりの再会の場所に選んでくれました。もうすぐ閉店の案内を見てということだけど、こうした再会を生むのは楽しいです。12月11日の閉店発表の日に久しぶりの来パクだった広瀬さんと、実はパクチーハウスが初めてだった星野さんに、「君らが来てくれるように閉店を決めたんだよ」と冗談を言っていますが、例えば30年続けたらその間会えないかもしれない。「いつでも会える安心感」と「期間限定の危機感」。僕は後者の虜になってしまっています。

星野さんは自分がコワーキングスペースを開く少し前、全国のコワーキングスペースを行脚して運営者にインタビューをしていました。そして色々な話を引き出し、大宮に7Fというスペースを作り、今では数あるスペースの中でもかなりメジャーとなっています(6Fと8Fも)。

paxiblack前日来たオバマ大統領の父上も来パク。親子で2連続来パクとは全く知らなかったそうなので、ウエルカムカードを息子に書いてもらっていました。息子から父への手紙(笑)。

大統領の父上、パクチーが数年前までは全く好きでなかったとのこと。大統領とファーストレディーが実家に帰って来てはうまいうまいと食べていたのが最初は信じられなかったそう。2人の結婚式に「No paxi no life」のフラッグを貸し出したのですが、息子夫妻からその後もなんどもパクチーの話を聞き、ある日一緒にご来パク。その後パクチー好きになり、息子に何も言わず何度もご来パクしてくれています。

この日のカンパク時の僕のスピーチの際に、ご自身の栽培体験なども語ってくれました。

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常連の鈴木さんがコロラドから旅行中のご友人夫妻を連れて来てくれました。海外からの友達をお気に入りの場所として連れて来てくれるというのは最高。鈴木さんと出会ったのは1年半ぐらい前のことでした。八百屋マルヤスの宮澤さんがパクチー料理の研究に来てくれたとき、一人で寂しそうだったので一緒に飲むことにしました。その時に隣の席にいらしたので話をしたら、色々共通点があり、仲良くなりました。

うっしぃ店長の高校時代の友人矢野さん、12月に開いた移働と多拠点居住のタケカワさんもご来パクありがとうございます!

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10時前に、経堂の高尾酒人さんがCOEDO毬花を飲みに来てくれました。それを知った豆女工藤さんがガラムマサラでの会合後に合流。さらに、ガラムマサラのホールマネージャーで元パクチーハウススタッフのビリヤニ大澤くんも。大澤くんは僕の日本パクチー狂会をパクって日本ビリヤニ協会を作りましたが、その後のビリヤニの躍進は、彼を直接知らない人でも知っていることと思います。活動的な変人。大澤くんに「10年よく続けましたねー」と褒めてもらいました。

そして、楽しい仲間と深夜まで深酒。睡眠時間・・・。

 

ご予約について

多数のご予約ありがとうございます。

12月11日の閉店(無店舗展開)宣言以降、多数のご予約をいただいています。2016年末にぐるなび総研「今年の一皿」でパクチー料理が選ばれる前の数年間の状況と同様になっています。

予約が開始する日(1カ月前から)の14時に仕込みでスタッフが入店してから、数時間で埋まってしまうこともあります。メールでのご予約もいただきますが、読む前に埋まることが多々あります。時間も空間も限られていますので、ご了承ください。

メールの処理は届いた順番にいたしますが、読む以前にいただく電話を優先させたいただいています。

ご予約できなかった場合でも店内窓際にある立ち飲みスタイルの交流スペース「public’S’peace」でお楽しみいただけます。先着順とはなりますが、どうぞご利用ください。

予約状況を知らせてほしいという要望がございますが、更新している時間がありません。不正確なまま放置することになるので、ウェブ上に公開することはしません。当日の空席情報はFacebookページに投稿しますので、ご覧ください。

 

 

カウントダウン53: メドック・サハラ・南極

あと53日の夜。

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サハラ関係者、その元にあるメドックマラソンの友人たち、そこに極地つながり(?)で南極観測隊の人も。人の縁が重なりまくり、世界中で友達を共有できる仲間が増えた。

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サハラマラソン創始者パトリックバウワーのフランスへの帰国を見送った後に来てくれたレナさんと尾西くんからの連絡で営業スタート。「これから行くよ!」と。尾西くんは14日のパーティにどうしても来れず、感謝の気持ちを手紙に綴りました。それを読んでパトリックは号泣し、とても喜んでくれたそうです。パーティ直前の、近所のフレシュネスバーガーでの出来事でした。

その話を聞いて、仕事を休んで大阪から日帰りでパトリックに会いにきたとのことです。こういうパッションと即座の行動がいいですね。その勢いのままご来パクいただいたことを本当に嬉しく思います。

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月1回ぐらいの常連の秋山さんが8人で来てくれました。あと1〜2回来てくれるとのこと。また、「あなたが何やっても応援するから」と仰ってくれました。こういう風に声をかけられるのはありがたいし、そういう気持ちでご来パクいただいているみなさんを前に、経営不振でもないのに閉店することは申し訳ないと(ちょっとだけ)思うことはあります。が、僕が大学生の頃までと時代はすっかり代わり、限りある時間や資源で生きるべき現在は、増築でなく一旦完全に壊して全く新しい物を作るべきではないかと思っています。子供のレゴと一緒です。パーツは限られています。

なお、この秋山さんのご子息もサハラマラソンのフィニッシャーです。

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やがて来たのは3カ月ぶり、インドから一時帰国中のオバマ大統領。パクチー・ランニング・クラブのメンバーで、ボルドーに一緒に行ったこともあります。予約していたので席はあったのですが、一応座りますと言ってから30分弱。立ち飲みスペースに向かって行きました。それから同じグループのメンバーを一人ずつ招集。結局その後は座らずに立ち飲みで終えたのでした。

オバマ大統領は6〜7年来てくれてる常連さん。この日はファーストレディと同級生と来てくれました。近年は東北に赴任したり、インドに長期出張が多かったりですが、パクチーハウスの節目節目に来てくれています。

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立ち飲みスペースに一人で来られていたのは(正確に言うと、立ち飲みスペース横の席に座っていたけどサハラ関係者に巻き込まれ立ち上がったのですがw)、南極観測隊の西山さん。以前南極へ行く前の研修中に、有志の方々が毎月パクチーハウスに来られていたことがありました。それから2年近くが経っています。

昭和基地は南緯69度にあるそうです。南極点まで2000km以上離れているんですね。四角い地図ばかり見て南極の距離感など考えたことがなかったので、意外な感じがしました。僕は次のパクパクマラソンで北極に行こうと思っていますが、南極点にもいつか到達したいと、お話ししていて思いました。

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PAX Coworkingのメンバー・久保さんもご来パク。娘さんと、娘さんの高校の同級生の重岡さんを連れて。重岡さんは長野県のコワーキングスペースを使った事業のサポートの仕事をしていて、店長うっしぃが昨秋富士見町「森のオフィス」訪問時に、僕は12月に佐久市の「iitoco」で肩書きのワークショップを開催したときに出会っている人です。なんかもう、世の中狭いですよね。

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「極地」とか「同級生」とかいろいろな縁がありますね。営業が終わって予約のメールをチェックしてみたら、パクチーハウスで出会ってパリに移住した方から連絡が入っていました。メドックマラソンでパリを経由したときにもお世話になったこの人も来月ご来パク予定です。

カウントダウン54: パクチーが生む人のつながり

あと54日の夜。

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パクチー部、部会。その他常連さん、新規さんたくさんご来パク。

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サハラロスかもしれないです。

サハラマラソンで知ったのは、大きなことを成し遂げる為にはできるだけやることを減らした方がよいということ。砂漠を250km走るというのは大層なことだけど、サハラマラソン中にやることと言えば毎日次の野営地まで移動すること一つのみ。携帯も通じないので、何かを中断することもないのです。砂漠での体験は、その後の人生の意思決定に大きく作用します。

砂漠から帰って、完走の報告というミッションがあってすぐに忙しくなったからか、他の参加者が言っていたような「サハラロス」は感じませんでした。それから3年が経とういうこの日、サハラマラソン創始者のパトリックが来パクしてくれて、極地で同様の素晴らしい経験をした人50人以上と楽しい時間を過ごした結果、砂漠に早く帰りたいと・・・。

パトリックがパッションと夢の必要性を語っていたが、会場にいた人みんな、それが滲み出るどころか溢れ出ているんですよね。サハラにいた時は進むことだけ淡々と考えていたけど、一気に50人もそんな人に会ったから特異な1日だったんでしょうね。

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・・・と思いつつ、またたくさんの人がご来パク。ありがたいことです。数年間不定期で開催されている「パクチー部」の会合もありました。「パクチー部」「パクチー会」「パクチー党」など色々なグループがありますが、昨日の國枝さんのパクチー部は山田みっちゃんのパクチー会と並んで、パクチーハウス東京における二大巨頭です。

日本パクチー狂会というグループ(とウェブサイト)を作ったことが、パクチーハウス東京という飲食店に発展しました。人と人とが集まると生まれるエネルギーは計り知れません。「パクチー」という特殊なものにフォーカスした結果、所属や立場を超えるさまざまなグループを作るきっかけとなったことを嬉しく思います。

 

 

カウントダウン55: パトリック・バウワー氏ご来パク

あと55日の夜。

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メモリアルナイト。サハラマラソンのレースディレクターが来パクした! 来日記念のウエルカムパーティ&砂漠同窓会。サハラマラソン出場経験者が50人以上集まる砂漠ナイトだった。

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パトリック・バウワー氏は、サハラマラソンの創設者でレースディレクター。僕も2015年春に、パクチーハウス東京開業89カ月を記念して参加しました。(『パク塩でサハラを走る』参照)

30年以上前、サハラ砂漠を荷物を背負い、10日間で350km走ったそうです。その体験を分かち合いたいということで作ったレースが Marathon des Sables なのです。7日間で砂漠を250km弱走ります。

メドックマラソンに出場したい人が集う「パクチー・ランニング・クラブ」で毎月のように練習(飲む方の)を開いていたのですが、メンバーの一人レナさんが、ある日突然「サハラマラソン」に出ようと思うんです・・・と宣言しました。当時の僕にとって全くもって意味不明。他人事として「頑張ってね」と応援し、ボロボロになった脚の報告をFacebookで見たときは「よくやるなー」と正直思いました。その次の会合で完走の報告を聞いたときは本当にすごいと思いましたが、僕には関係ないと思っていました。

それから毎月、レナさんは「砂漠最高」「サハラ楽しい」「またぜひ行きたい」と常につぶやいていました。1年ぐらいでいつの間にか洗脳されたようで、「興味あり」に心境が変化していました。

メドックマラソンつながりで知り合った石田さん。彼も一年かけてサハラに行きたくなったようで、僕を誘ってきました。2014年5月末のことでした。初のパクパクマラソンとしてのコムラッズマラソン(南アフリカ)の出発直前で、しかも東北復興応援ランニング「ウルトラシャルソン」の構想というか妄想をどう実現すべきか考えている頃。思考回路を割いている余地はないときでした。改めてその時のメッセンジャーを読み返してみたら、勧誘から承諾まで5分もかかっていました。迷いがあったんですねー。

とにかく、砂漠に行きたい気持ちを突き動かされ、決めました。そして、その理由を南アフリカで89km走りながら考えたのです。出場予定月がたまたま開業89ヶ月目であることに気づき、かつ、パクチーを出す店が増え、いろいろな企業からパクチーに関するコラボレーションのご連絡を水面下でいただき始めていたので、“これからはパクチーの時代”宣言をしようと思いつきました。それまでは遠慮がちにパクチーを語っていたのですが、89カ月目からはフォロワーの存在を意識しつつ自信を持ってパクチーを語りますという宣言です。「さぁ、パクチー!」これを数字で書くと「389」となります。「389」を読み替えると「さ・ば・く」・・・。「ありえない」と言われたパクチー料理専門店を継続できていたことを、比喩的に「砂漠にパクチーを生やす」というタイトルでの報告会をして表現することにしました。(『“ありえない”をブームにするニッチ戦略: パクチーハウス東京の10年』参照)。

サハラマラソンは心から楽しみました。最初の10kmぐらいは不安が先行していましたが、壮大な景色に身を置いている自分に心が震え、それからはずっと楽しすぎる時間を過ごしました。(サハラマラソン2015まとめ参照)

出場後、この本当に素晴らしい体験を一人でも多くの人に伝えねばと思い、パクチーハウスでのイベント以外にも全国で報告会を開きました。金沢・野々市・安曇野・大阪・広島・武雄・島原などで開催しました。話を聞いてサハラマラソンに興味を持つ人がどんどん出てきました。世界一過酷なハネムーンと称して翌年参加したうえだやまと夫妻がその一例です。

彼らの完走をサポートしたいと、オーバーナイトステージの練習会を企画。一度だけのつもりが、翌年もなぜか僕に開催の要望があり、2年連続練習会の主催者になってしまいました。

そして、3年連続オーバーナイトステージ練習会を企画することに、昨日なりました。素晴らしい贈り物!!!

パーティ中、パトリックが抽選で1名を今年のサハラマラソンに招待すると発表しました。そして、なんと・・・うちのスタッフしげちゃんが当選しました。

しげちゃんは昨年9月に、閉店までの半年間パクチーハウスを一緒に作りたいということで僕から協力を依頼し、旅から戻ってきたスタッフです。スタッフに心身ともに健康になってほしいと思い4年ほど前から始めた「ランニング手当」(月100km走ると手当がもらえます)にも積極的にチャレンジし、他のスタッフを引っ張ってくれています。僕のサハラマラソンの話に、自分もいつか出たいと言っていたので、この日のランチタイムに「いつにするの?」と聞いたら「来年ぐらいですかね」と。

それが急に、今年の話になりました。スケジュールを確かめてみると、抽選の瞬間からちょうど89日後に、しげちゃんはサハラマラソンを完走することになります。

楽しんでほしい。そして、絶対完走してほしい。オーバーナイトステージ練習を含め、砂漠を楽しめるようなサポートをしたいと思います。パトリックは本当に神様のような存在。パクチーハウス東京の最終章を彩ってくれ、しかもスタッフの人生をますます面白い方向に導いてくれました。

パクチーハウスを作ってよかった! サハラに行ってよかった! パトリックありがとう!

クスクスの砂丘
しげちゃんが作ったクスクスの砂丘に、パトリックも大喜びでした。