カウントダウン36: ピンクの法被(大分)

あと36日。

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友人・知人多数ご来パク! 北海道、四国、九州からも! 長いこと通ってくれている常連さんのほか、シャルソン関連で吉田くん(博多)、新亀さん(小豆島)、倉田くん(烏山)など。金曜日だからか、職場ぐるみで通いつめてくれたグループもたくさん。

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会社の「パクチー会」が数組ありました。だいたいコアメンバーがいて、数人新しいメンバーを連れてくるパターンが多いです。「ある部署の飲み会」というのは珍しく、「部門横断的な集まり」となっているのが特徴。まさにパクチーがつなぐ縁なんでしょうね。いろいろな会社の全社メールで、「パクチーが好きな方、集まりましょう」みたいなメッセージが飛び交っているんでしょうね。

一人で来たり、ビールつながりで来てくれる服部さんも、この日は職場仲間と来てくれました。“座らない”種市夫妻、運動会のみかさんは高校の同級生と。富士通の同期・馬籠くんは仕事つながりの方々を連れて来てくれましたが、その中の氷室さんはすでに10回以上ご来パクで、次の来パク予定も入れてあるとのことでした。

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半年前に初来パクしてハマってくれた堀池さんは、前回に続いて佐野ちゃんと。前回試験の願掛けでパクチーを食べに来てくれ、合格の報告に来てくれました。ガス関連の資格と秘書検定1級。みんな頑張っていますね。僕が試験を受けたのはイギリス留学前のTOEFLかな。もう15年前です。今後試験というものを受けることはないでしょうが!

二人に合格のお祝いなどで話していると、入って来たのはまもなくワーキングホリデーでドイツへ行く原くんが一人でふらり。「誕生日はパクチーで消化器官を埋め尽くしたい」と。お祝いのカンパクをしました。おめでとう!

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遠くの方から目があったと思ったら愛媛から沖さんが。出会ったのは2年近く前ですかね。昨年四国に3回行ったんですが、愛媛だけは空港しか行っていないです。17年前に出張のついでに道後温泉へ行って以来、ちゃんと訪れていません。パクチーハウスを作ってからも、大三島と八幡浜に行くために飛行機まで取ったのですが、行けませんでした。遠くないうちに、広島から船で入りたいと思います。

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愛媛から海を渡った大分の、ピンクの派手な法被を着て登場したのは博多シャルソン主催者の吉田くん。僕がシャルソンを作った直後にたくさんお手伝いしてくれた商店街つながりの倉田くんが来ると言う話を聞いていましたが、まさか吉田くんと一緒とは思わなかったです。嬉しいサプライズ。ちなみに倉田くんの彼女は、翌日来パクする僕の英国留学時代の友達と大学の同級生でした。Facebookでいろんなことが分かりますね。

小豆島シャルソン主催の新亀さんが、上京のタイミングで一人で来てくれたので、このシャルソングループに座ってもらいました。ごトーチリレーの輪はどんどん広がります。

子供携帯購入のついでに立ち寄ってくれたPAX Coworking元メンバーの吉澤さん。パクチーに手もつけなかったのはまだ7年前の話。次の世代にパクチーを伝えてくれています。お子さん2人を連れて来てくれました。子どもたちと「将来の思い出に」ということで、モノクロで写真撮影しましたよ! 「モノクロで撮っても緑に見える」って言葉が印象的でした。

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前週以来の赤松さんは、ご近所の飲み仲間を連れて来てくれました。近いし、行こうと思っていたけど、なかなか来れなかった!というご近所の方は結構いるんですね。行ける時に行かないとなくなってしまうんです(笑)。とはいえ、彼女たちが飲んでいる赤堤エリアは、パクチーハウスから近いし週に2回はランニングで通っているのにそのあたりのお店には一軒も入ったことがありません。きっと閉店した後に行くんだろうなと思います。人と人、人とお店も縁です。

そのグループの一人に、パクチーペッパーの川津食品(日田市)の川津社長のお友達の松本さんがいらっしゃいました。5年前にスタッフ研修@釜山の帰りに武雄市の樋渡市長(当時)と縁ができ、その後パクチー生産を率いる江口さんをパクチー農場視察にお連れしたのですが、その武雄パクチーを使っているのが日田のパクチーペッパーです。昨年東急ハンズ新宿店で「ハンズ ぱくぱく!パクチーまつり」の商品選定をしているときに川津食品のご担当者大田さんをご紹介いただき、同僚の山本さんと何度かご来パクいただき、僕も昨年10月に川津食品の本社工場を訪ねることができました。短時間の訪問でしたが、柚子の素晴らしい香りと二代目柚子どん(川津社長)のお話に魅了され、次はゆっくり訪ねたいと誓ってあります。

川津食品訪問の前日に、僕は博多シャルソンに参加していました。そう、ピンクの法被の吉田くんが主催してました。吉田くんが一人で主催では不安なので(笑)、博多に住む僕の友人・福岡さん(サハラマラソン2015でテントメイトでした)を紹介。一緒に主催してもらいました。川津食品へは、その福岡さんとドライブで行きました。

巡り巡って派手な法被の力もあり、そんな縁も垣間見えました。来店直後から法被を見て、松本さんが大分だなと思っていたそうです。僕がゆっくり話せたのは帰られる前だったのですが、ピンクのお陰で話題が出てつながりました。吉田くん、大人気。よかったね!

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ご近所から、海老沼さんも。美味しい社会貢献の塩原さん(しおさん)も楽しんでくれてよかった! 後から高尾酒人さんも合流。

その他、北海道は美唄から二十年来の友人ミニーと、2日前の鷲巣さんの投稿をみて寄ってくれた茂木さん(3年前に鷲巣さんとご来パク)も。

盛りだくさんで書ききれたか・・・心配ですw

カウントダウン37: 江戸時代、パクチーが寿司の薬味

あと37日。

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「江戸時代にパクチーが寿司の薬味として使われていた」という文献のありかを解読してくれた江下さん、パクチーハウス89カ月記念の見知らぬ他人と囲む鍋で友達になった真鍋さん、どこでもヨガのりっちゃんなど、10年の中の「要所」で関わってくれた方々がご来パク。

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仕込み時間にスタッフから声がかかり、PAX Coworkingから下に降りると江下さんが来られていました。「夜の予約なのに早いな」と思ったら、差し入れを!!! 江戸時代の『料理塩梅集』に載っているパクチー(こえんどろ)を使った押し寿司を再現して持って来てくれました。まかない時にみんなでいただきました。あっさりして美味しかったです!

昨年夏に、『料理塩梅集』がオンラインで参照できると知って、それを読み解くFacebookイベントを作ってお客さんに呼びかけました。日常業務で古文書を扱っているという江下さんがそれに乗ってくれ、あっという間に該当箇所を指摘。解釈も作ってくれました。現在寿司というと江戸前寿司をほとんどの人がイメージしますが、『料理塩梅集』は江戸前寿司ができる前の本。ここに載っているのは米を使わないすしです。詳しくはこちらをどうぞ→ http://paxihouse.com/blog/2017/08/paxi-sushi-origin/

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しばらくして江下さんの隣の席だったのは真鍋さん。パクチーハウス東京89カ月記念として、パク塩の効果を示す人体実験としてサハラマラソンの報告会をその前夜祭でやり、89カ月当日は見知らぬ他人と囲む鍋をしました。その時に来てくれたお客さんの一人です。この日は大学時代の同級生と来てくれました。

旅の話からサハラマラソンの魅力に話は流れ、「ありえない」と言ってましたので、二人がサハラマラソンに行く日も近い気がします。

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どこでもヨガの大田りっちゃんが、農大時代の同級生とまた来てくれました。また、種を守る活動をしている西川先生も名古屋からお越しいただきました。

ラストオーダー間際に近所の薬屋さん店長の磯辺さんも久しぶりのご来パク。サハラマラソン2017完走者で先日から閉店までの短期間スタッフになってくれた西田くんが昨年2月に初来パクした際に、磯辺さんたまたまお越しになりました。この日勤務4日目の西田くんが磯辺さんに再会! サハラマラソン完走報告をしていました。

 

カウントダウン38: タイミング

あと38日。

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ご近所から後藤さん、関西から上林くん、静岡から影山さん。PAXメンバーの飯島さん、高さん、元メンバー鷲巣さんも。新たな出会いとして近所の大学から講義の依頼もいただく。知人が色々な縁でつながっているし、つながっていく。

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開店直前に立ち飲みでも着席でも、1人で来たいと連絡がありました。話し振りから知っている人だなぁと思って待っていたら、たぶん7年ぐらい前に初来パクしてくれた後藤さんでした。どういう流れで会ったんだっけなと思い聞いてみたら、元PAX Coworkingメンバーの吉澤さんのオーケストラつながりとのこと。あーそうでした。初めてお会いした時に、他の皆さんより早く帰られるので聞いたらこれから仕事だと。当時世田谷花卉市場に勤めていらしたのです。市場の朝は早いって言うけど、朝というか深夜になる前ぐらいから始まるんだなぁと驚いたのを思い出します。

横に一人でふらりと来てくれた方がいました。なんと、影山さんじゃないですか! 2010年9月に静岡県立大学の国保研究室主催のオープンゼミで講演した時に初めてお会いした方。閉店に関して僕が考えることについてのブログをシェアしてくれ、3月10日までに来てくれそうなことは把握していましたが、不意に目の前に現れると嬉しさが込み上げました。いろいろな予定調整していただいて嬉しいです。

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次第に忙しくなり、厨房から出るのがままならなくなって来ました。その頃、public’S’peaceを見ると鷲巣(兄)さんが手を振っていました。鷲巣さんはPAX Coworkingのメンバーで、それ以前に別の縁で弟さんも知っており、しかも静岡マラソン出場時にご実家に泊めていただきご両親も知っているという関係です。影山さんがたぶんいつも歩いているところのすぐ近く出身。

お互い接点はこれまでなかったかなぁと思いつつ、影山さんが帰られるときに追いかけて鷲巣さんも呼んで一緒にパチリ。こういうのも縁ですね。せっかく厨房を離れられたので、影山さんを送り鷲巣さんと話し始めたら、上林くんが立ち飲みをしていました。

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上林くんは、僕が大学時代の後半2年間住んだ下宿で向かいの部屋にいた人。一乗寺にある小野皮膚科の3〜4階を貸し出していると言う異例の物件でした。そこに僕は2年間「入院」していました(笑)。

2年前、PAX Coworkingのメンバーを離れてしばらく経った鷲巣さんと渋谷でクラフトビールを飲んでいるときに、スタッフから連絡がありました。「病院で一緒だった上林さんという人が来ているよ」と。渋谷から急いで経堂に向かって再会したのでした。

鷲巣さんを無理矢理経堂に連れていく訳にも行かず、予定より早めに切り上げてしまって申し訳ないとずっと思っていましたが、パクチーハウスに同じタイミングで来るという偶然によって結びつくことになりました。奇跡みたいw

前回も上林くんと来てくれた太田くんも。その後トライアスロンを始めたそうで、また話を聞きたいなと思いました。

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PAX Coworkingメンバーの高さんはご夫婦で。「パク天食べておきたい!」ということで。嬉しいです。コワーキング会計士として独立後長いことメンバーでいてくれました。コワーキング普及前、守秘義務の多い職種はコワーキングとかありえないと、コワーキングを利用したこともない人がよく言ってくることがありました。コワーキングでする仕事とクライアント先でする仕事を分ければいいし、士業こそ色々な発想の人たちと混じり合って企画を立てていくべきだと仰っていて、とても心強かったです。

高さんと初めて会ったのは、東日本大震災の数カ月後でした。パクチーハウスもコワーキングもどうなっちゃうんだろうと思いながら、ランチ営業を一人でやりながらコワーキングを3F(PAX)から2F(paxi)に移し、一時的に「PAXi Coworking」をやっていた時です。バインミーを食べた後、「電源とWiFi使えるんですか?」と聞かれ、そのまましばらく仕事をして帰られました。出会いの一つひとつは希望であり、行き詰まったら悩むより行動したほうがいいと、学んだ頃です。

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先週雪の中家族で来てくれたPAX Coworkingメンバーの飯島さんが、この日は昔の同僚と。飯島さんの昔の同僚ですが、僕もよく知っている加藤さんという人。

6年以上前ですが、Facebookの関連書籍で取材してもらいました。お客さんにパクチーマンになって写真を上げてもらうというのが当時斬新だったようで。最近インスタ映えという言葉が跋扈していますが、パクチーマンになってパクチーハウスにチェックインするだけで、いつもの数倍の人が見てくれ、しかもコメント欄でその人を中心に色々な方がつながり、次のパクチー会開催が決まってしまうという流れができていました。インターネットを始めた1995年からオンラインをオフラインの補間として利用して来た僕は、mixi→twitter→facebookと自然な流れで利用し、それぞれのアーリーアダプターの方々と親交を深めて来ましたが、多分初めて加藤さんにそういうことの意味を分析してもらったんだと思います。

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一年前に渋谷にある東京カルチャーカルチャーでの「ぱくぱく!パクチーナイト新年会2017」に来てくれた方にも会いました。無店舗展開について語るイベントを落ち着いたらやってもいいなと思うんですがどうでしょうか。

また、30秒だけ話したいという方がいらっしゃったので、落ち着いた後お話をしに行ったら、近所の大学の先生でした。これまで講義の中でパクチーハウスや僕の話を何度も出してくれたことがあるそうで、来年度一度講義してくれないかとの依頼。ここ数年明治大学と神戸大学でレギュラーでやらせてもらっているのですが、学生さんたちに話すのは好きなので、喜んで引き受けました。

カウントダウン39: 時計は常にパクチータイム

あと39日。

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39日か、佐久か・・・と思っていたら佐久の江原さんがいた! 東証一部上場所属のホームレスも、マジシャンも、南極観測隊出身者も! イノベーションに関する調査で来パクの方もいたので、会社訪問まで確定。

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シフトに入っていなかったので、自宅で晩ご飯を食べた後、パクチータイムに間に合うようにこの日2度目の通勤ラン。盛り上がっててよかったー。8時ちょうどぐらいに到着。入り口の扉を開けたところで聞き慣れた声が・・・。

神戸に「移働」の旅に出ていて、帰り際に急遽徳島も立ち寄ったと江原さん。Facebookでそこから佐久へ帰るということを書かれていたのを見たのですが、まさか立ち寄ってくれているとは!!! 嬉しいサプライズでした。閉店まで39日ということでこの日のカウントダウン89stagramネタを「砂丘」と「佐久」にしていましたが、江原さんの姿を見て通じ合っている感じがしました。

江原さんが「public’S’peace」で話しかけた人たちも楽しい人ばかり。そのうち一人の高橋さんは、会社でイノベーションに関する調査をしているとのことで、いくつかある候補からパクチーハウスを選んでくれました。いつでも何でも質問してという旨のことを話した上、「報告書つくるの面倒だったら僕を呼び出せばいいから」と伝えたところ、会社訪問もあっという間に決定しました!

これまで企業での講演やコラボ商品の開発をさまざまやって来ましたが、そのうちの半数はこうしたノリで決まってきました。スタートアップから一部上場企業まで、立ち飲みスペースには話が早い人が多いというのが僕がこれまでの人生を通じて得た教訓です。

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カンパクの前にちょっと長めにスピーチして、大混雑の店内にメガジョッキを持って切り込みます。元旅行会社のOBグループの皆さんは、閉店までにいつもよりさらに頻度を上げてご来パクしてくれています。築地でマグロの卸をしている方などもいらして、魚とパクチーの可能性について話しました。

隣の席には深瀬さんと同僚の方が佐野さんと。その隣にはマジシャンたんじさんが書道家や宝塚、歌手の皆さんと。さらに隣には森岡さんが連れてきてくれた渡辺さん、その隣には面白い会(仮称)のキクちゃんが。そして大テーブルには細貝さんがmそれぞれ友達を連れてきてくれました。

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東証一部上場のホームレス矢野さんは、年末年始のカンボジア報告を携えてやってきました。しかも、いつもに増して奇抜な髪型! 時計は常に8:09をさしていました。矢野さんに今後のノマド活動のために佐久でコワーキングを運営する上述の江原さんを紹介したら、前の晩徳島県美馬市のゲストハウス「のどけや」で話題に出たのが矢野さんということでした。そういえば、1年前に矢野さんが初めて来た時も、のどけやオーナーの柴田さんが僕の話をしてたということで来てくれたんでした。

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店内が少し落ち着いたタイミングで第57次南極観測隊のグループを他のお客さんに紹介。南極で、地質調査をしていた人、インターネットを繋げていた人、そして南極料理人の人。旅先としても特異なので、みんな興味津々でした。3人とも一言ずつ体験を語ってくれました。ありがとうございました!

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イスファハン結婚式つながりのオクラがその後、ふらりと来パク。続いて、パトリックの付き人レナさんが、今年のサハラマラソン完走者の三明さんを連れて来パク。三明さんは忍者の格好で走ったそうで、完走後に戻ったパリでも忍者の格好だったそうです。閉店まで2カ月だけ期間限定スタッフをやっている西田くんの砂漠でのテント仲間でした。。

レナさんらは20時前、僕が来る前に来パクしてくれたようですが、ピークタイムで立ち飲めず。下のべこたんで呑んで待っていてくれました。その間に赤羽で早くから飲んでいた東中さんがFacebookでのボヤきを見て合流していました。

・・・というわけで安定の・・・深酒に突入でした。

 

予約数減らします

パクチーハウス東京、3月10日の閉店が迫ってまいりました。

2月の予約はあっと言う間に埋まってしまいました。3月もこのまま行くと同じような状況で営業が終わってしまいそうなので、予約数を大幅に減らすとともに、7名さま以上の予約をお断りすることにします。
また、予約可能日にあっという間に席が埋まると思いますので、メール・SNSでの予約受付を廃止します。

立ち飲みスタイルの交流スペース「public’S’peace」を大幅に拡充します。つまり、予約なしで入れる確率が飛躍的に高まります。

なぜこうしようと思ったかというと、パクチー料理を食べることだけでなくたまたま居合わせた人と話をするのがパクチーハウスの醍醐味だからです。「交流する飲食店」というサブタイトルをつけているのは、僕が体験した、海外のゲストハウスのような気軽にコミュニケーションを取れる場所が、現代の日本に必要だと思ったからです。僕が起業した理由は、日本の社会を変え、世界を平和にするためです。

パクチーハウスで人生が変わった、価値観が変わったという人がたくさんいます。僕自身も、お客さんとの会話を積み重ねた結果、東京初のコワーキングスペース「PAX Coworking」を作ることになったし、6年間で180回ほど開かれたまちおこしランニング「シャルソン」も考案できたし、サハラ砂漠マラソンにも参加するきっかけをいただきました。着席よりずっと話がしやすい、動きやすい「public’S’peace」で、ご自身の人生か世界の将来をよくするヒントを見つけてください。これがパクチーハウスの経堂での店舗での、僕からの最後のプレゼントです。

なお、限られた数の予約席の名称を「シルバーシート」に変更します。

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89カ月記念パーティ!!!

 

 

カウントダウン40: フィアンセ募集中

あと40日。

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世界青年の船のつながりのある田名辺さん、パクチーハウスで知り合った尾崎さんとプリンス、幕張シャルソンからのつながり木下さんがご来パク。

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前週の大雪から一転。同じ月曜日とは思えないほど、開店当初から注文が入りました。この日は厨房で料理を作りまくりました。パクチータイムを過ぎても隙がなく、21時前にようやくカンパクに漕ぎ着けました。

途中、シャルソンに興味がある人がとスタッフに言われていたので話しかけてみると、世界青年の船のOBの田名辺さんという方でした。ちょうどこの日、第30回世界青年の船の出航を見送りに横浜へ行った帰りだったそうです。シャルソンの解説を簡単にしつつ、世界船その他旅の話を少々。良い時間でした。

田名辺さんが帰られた後、窓際にいらした二人の女性もお会計を済ませていたので話してみると、モロッコで知り合って以来時々一緒に旅しているということでした。秘境に行くのが好きなんですと仰っていたので、忘れ物を取りに来た田名辺さんを紹介しておきました。

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幕張シャルソンで出会った木下さんは、職場の同僚の方々を連れて来てくれました。世田谷シャルソン→東京シャルソンにも参加してくれ、いつも友達を連れて来てくれています。ちなみに、パクチーハウス東京でやる最後の東京シャルソンは2月25日(日)です。

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出会ってから4年半ぐらい(?)の尾崎さんと会うのは久しぶりでした。初めて会った時に経堂のプリンスから「なんで知ってるの?」と突っ込みが来たのが懐かしいです。しょっちゅう来てくれるプリンスと尾崎さんは十数年前からの知り合いとのこと。思わぬところで縁は繋がるものですよね。

尾崎さんも相当動いている人なので、店を閉じた後、どこかでゆっくり話せればと思っています。プリンスはフィアンセ募集中です。

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営業終了して帰ろうとしたところ、PAX Coworkingメンバーの久保さんが立ち寄ってくれたので、片付けて城山通り角にある地下のバー「一(はじめ)」へ。久しぶりにゆっくり話しました。閉店を決めるに当たった心理状況などを色々質問していただき、考えをまとめることができたというか、また新しいアイデアをたくさん得ることができました。

僕が常にアイデアをブラッシュアップできているのは、お客さんとの絶え間ない会話と1000件を超える取材のおかげです。よき質問は、よき答えを生むと思います。

カウントダウン41: パクチーネイティブはどのような世界を創るか

あと41日。

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通勤ラン中にまだん陶房へ。営業に入ると、日曜日なのでお急ぎの様子の方多し。常連の入口さんが娘さんのパクデビュー、愛知から日帰りで永田さんご来パク。

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数日前から風邪の初期症状が出る予感の手前なので、積極的に朝ランをしています。毎日だいたい10km走る僕は、行きか帰りに少し回り道して距離を稼ぎますが、体調を維持するためには朝ランが一番。桜上水方面まで行って、経堂駅北東にあるまだん陶房に立ち寄りました。

一年ほど前にまだん陶房リニューアルのクラウドファンディングでいただいた体験チケットで、年末に家族で陶芸体験したのですが、李さんが直々に届けてくれたのでそのお礼でした。李さんの作品がパクチーハウスの洗面台に使われているのはカウントダウン71で書いた通りです。

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永田さんは愛知から、半年に一度ぐらい通い続けてくれている常連さん。初めて来られた時にきちんとお話ししたかどうか定かではないですが、よく覚えているのは2013年9月に、後にスタッフとなる武くんが新潟から初来パクしたときのこと。日本各地から来てくれてありがたいなーと思ったためです。

その後、名古屋のタイ料理店のスタッフ研修だったり、東京へ来る機会に時々寄ってくれています。来パクして扉を開けた瞬間から見せてくれる素敵な笑顔を見ると、こちらもいつもハッピーな気持ちになります。

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入口さんも長いこと来てくれている方。ご結婚後、出産されてしばらく産休に入っていました。この度、娘さんのパクチーデビューということで連れて来てくれました。10年やっているとお客さんのライフステージの変化もあり、それでも付き合いが続いていることが嬉しいです。物心つく前からパクチーを食べているパクチーネイティブが、今後どのような世界を創るのか、楽しみです!

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その他、インドネシアdeクリスマスwithワヤン から通い続けてくれているというお客さんも。店に来るきっかけは多様ですね。色々やっておいてよかったと思いました。

カウントダウン42: 地球一周してスタッフ採用

あと42日。

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山田みっちゃんの定例パクチー会も38回目。新たな縁も加わりました。うちのスタッフはお客さんを介して地球一周して縁ができた人もいるんだなぁ。

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常連山田みっちゃんの定例パクチー会も38回目でした。今回はラグマン鍋。主催はみっちゃんで、彼女が店を予約するのですが、ごく稀に店舗主催と思う人もいて・・・今回は小浜大統領ご両親と2日前のものづくり学校での講演に来てくれたフルハタさんが合流しました。何があっても縁は広がり続けますね。人数が増えた分狭くなってしまいましたが、その分濃密な時間・空間を過ごしていただいたと思います。第39回もその場で決まっていました!

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丸テーブルには地球を救う“手食”カレーライスの頃からの常連さんで、当時パクチーハウスから89mのところに住んでいたゆうこちゃん。青年海外協力隊を受けようとしていた時、行き先について相談されました。彼女が希望していた職種では、エクアドルとブータンとモザンビークがあるという話だったと記憶していますが、どこに行くべきかと問われました。その当時、僕はどこにも行ったことはありませんでした。が、大学時代に世界青年の船を通じて知り合った親友Hiroが水資源開発の専門家としてモザンビークに赴任したばかりだったので、「モザンビークなら友人を紹介できるし、もしかして僕も行くかも」と答えました。ゆうこちゃんは晴れてモザンビークに行くことになりました。

その後、初めてのパクパク!マラソンでコムラッズマラソン(南アフリカ)に行くことを決め、その隣のモザンビーク訪問も決めました。ゆうこちゃんとはそこで再会することに。モザンビークはポルトガル語圏です。その時、任期が終わったら、もう少し海外で仕事をしたいという話をしていました。ゆうこちゃんはモザンビークの後、ブラジルへわたりました。そこで同じ職場にいたのが、昨年6月からパクチーハウスのスタッフになったブラジル人ゆみちゃんです。ゆみちゃんは色々な偶然が重なって東京農業大学への留学が決まり、ゆうこちゃんの導きのもと、パクチーハウスを訪れてくれました。スタッフの採用、これまで色々な縁がありましたが、ゆみちゃんの場合は地球一周してここにたどり着いたということですね。

同じ丸テーブルに日本パクチー狂会時代からの知り合いのトシくんもいました。

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開店当初から来てくれていて、また、とあるパクチー関連商品の開発者としても仕事をしたことのある梅澤さんは、いつものごとくたくさんのパクチー好きを集めてくれました。メンバーの一人から「それはコムラッズですよね?」と話しかけられました。僕がいつもパクチーハウスで被っているキャップはコムラッズマラソンの防止なんですが、それに気づく人は稀です。サハラやシベリアではこの帽子により会話が生まれたことがありますが。話しかけてくれた北川さんはランニングシューズコンサルタントという仕事を自分で作られたそうです。ご自身の病気の体験から、ランニングがもたらす豊かさと幸福を多くの人に経験してほしいと活動されているようです。

また、シンガーソングランナーという肩書きを持つ方もいらっしゃいました。2年ほど前に来られた時に、パクチーのうたを作っていいですかというような会話をしたようで、僕が「色々な人が作ってくれると嬉しい」と答えました。その後、すぐに作っていただいたようですが、ようやく迎えた再来パクの機会に、披露してくれました。

その他、パクチー入浴剤の試作をくださる方もいました。FMヨコハマの小室さんとも再会。まもなくFMヨコハマの『Baile Yokohama』という番組で幸福に関するインタビューを受けつつ、パクチーハウス閉店についても語る予定です。お楽しみに!

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シブヤ大学の肩書きワークショップで知り合った篠原さんが大阪から。同じ時に知り合った田中さんと田中さんのマレーシア人のお友達Boonさん、そして樋渡啓祐さんをゲストに地方活性についてのイベントで会った赤松さんも。店の営業だけでなく、僕がしてきた活動も含め、人の縁が広がって行ったことを実感。だから場づくりはするけれど場所には固執をしないのです。

先日友人が、「店舗がなくなっても佐谷さんには普通に会える気がする」とSNSで書いてくれましたが、僕もそう思っています。20年前だったらこういう展開はしなかったでしょう。

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北海道在住の矢上夫妻がお母さんらとちょうど1カ月ぶりの来パク。まだ2回目だけど、そんな感じがしない、きっと北見でそう遠くないうちに何かやることになるでしょう。漠然とした永続でなく、期間が決まっているから、話が早いのかもしれません。

カウントダウン43: ソウルからサプライズ

あと43日。

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いろいろな場所で騒いできて、パクチーハウスでもさんざん盛り上がっているシーンを見てきたけど、これでもかという活況。店内の一体感がすごかった。Public’S’peaceや相席、パーティで繋がって行った20人が“メニュー全制覇”の会を。他のテーブルもどんどん繋がって行った。元スタッフのエリムちゃんが、韓国はソウルからサプライズで来パク。カムサハムニダ!

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仕込み中にスーツを来た営業マンが来ました。逆光で顔が見えにくかったのですが、近づいてみると!!! 波佐見町(佐世保と武雄の間ぐらい)から丸田さんが来パク。丸田さんとは2カ月ほど前に、長崎大学で行われた思いやりライト運動とそれに伴うソーシャルアクションに関するイベントで一緒に講演した仲。突然のサプライズ閉店宣言に、飛んで来てくれました。仕事の合間を縫って、食事もできない時間なのに、「写真で見たこの空間に身を置きたかった」と言ってくれました。波佐見町でシャルソン、楽しみですね。

丸田さんは約20年前に、飲酒運転による暴走車に轢かれて妹を亡くしたそうです。あかね基金を通じて、交通事故のない社会づくりのための活動をしています。

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この日も満席でしたが、予約がすべて19時から。当日のお客さんが public’S’peace に来てくれましたが、最初はまさに嵐の前の静けさといった様相でした。ほとんどすべてのお客さんが19時から30分の間に来パク。

最大のグループは「パクチーハウス de 新年会」。ご予約は昨年暮れでしたが、いつからか20人でパクチーハウスの料理をすべて食べ尽くすというノリに変わっていました。このグループを構成するのはパクチーハウスの常連さんがほとんどですが、Public’S’peaceや相席、パーティを通じてどんどんつながっていった仲間です。共通点は「メガジョッキまたはノンアルコール」極端な人が多くて楽しいです。

幹事はつっちーでした。僕がリサイクルワン(現レノバ:再生エネルギーの会社)で一緒だった姉つっちーの弟であり、直接つながっていないものの、富士通の後輩にあたる人です。

新年会グループの後ろに、黒バッジの陣内さんがいたので、つっちーグループに紹介しておきました。またここから何かが生まれるでしょう。

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年末最終営業日に来てくれたゆうがくん、みゆきちゃん、さよりちゃんがラグマン鍋を食べに来てくれました。安定のメガジョッキ。パクチーカチューシャを作って来てくれました! だいぶ古くなったパクチー帽だけじゃない。より多くの人数でパクチーになれます。

そして、その横には南極観測隊帰りのみなさん。南極に生えたパクチーの写真を見せてもらいました。感動です。日本の南極観測隊の方々がいく昭和基地は南緯69°地点にあるのですが、僕が行きたい南極点の周辺(南緯89°)はそこから2000km以上離れているんです。ただ、経験ある皆さんに、南極点について聞いたら、そこへのアプローチの仕方をあっさり教えていただきました。時機はいつ来るでしょうか。

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カンパクを終えてしばらくした頃、public’S’peaceに2人のお客さんが(いつの間にか)入っていました。まだスタッフが誰も案内していないということだったので、近づいてみると(サプライズなので顔を道路側に背けてました)、以前パクチーハウスのスタッフだった韓国人エリムちゃんでした。ビックリしました。ソウルからのサプライズ来パク!

「閉店が残念なので、時間を作って来ました」というのは嬉しいですね。学生時代のアルバイト先が無くなるという意味で寂しい気持ちはあると思います。でも、僕が思うに、パクチーハウスは懐かしむ場所であるよりも、何かを始める場所でありたいのです。失意の閉店ではなく、得意の無店舗化ですので。この大きな流れの中で再会するスタッフやお客さんと、これから行くことの数々。これがパクチーハウスを閉じる意義だと思っています。

カウントダウン44: イエローイエロー

あと44日。

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奈良の地黄町からイエローさんがPAX Coworkingドロップイン利用からのご来パク。僕はその後世田谷ものづくり学校へ公園へ。戻るとガラムマサラのハサンさん、仙台のコワーキング・ノラヤの宗方さん。パクチーハウス始めるずっと前から友人の紹介で知った田嶋さんも。池尻での講演からも9人一緒にご来パク! いつも通り盛り上がってた!

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朝、イエローさんから連絡。「東京来てます!」と。イエローさんは黄色に特化したアーティスト。パクチーハウスとPAX Coworkingの常連であり、僕が出張で出かけた際に偶然近くにいて、出先で何度も会ったことがあります。店舗が「なくなっちゃう」と、「もう会えない」人と「いつでも会える」人に別れると思いますが、イエローさんは完全に後者ですね。

「僕が黄色に特化できたのは、佐谷さんがパクチーに特化していることが大きかった」と言ってもらったことがありますが、イエローさんの行動と発言は僕の十歩先を行っています。数年前にナショナルクライアントの仕事を全て断り、「黄」に関する地名に移住。ちょっとここでは書けないけど、仕事の選び方に関してもとても参考になる発想を持っています。

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夕方、パクチーハウスを離れ、烏山川緑道・目黒川緑道を経由して世田谷ものづくり学校へ。残雪が氷となって残っていますので、氷上を走る練習を兼ねて、いつも通りの移動ランです。初めてものづくり学校を訪ねたのはパクチーハウスをオープンする直前。当時ここに店舗があったペンキ屋さん(Porter’s Paints:現在は移転)で、貝殻混じりのペンキを購入。パクチーハウスの立ち飲みスタイルの交流スペース「public’S’peace」(窓際の樽のところ:略称PSP)の壁は、そのペンキを使って塗装しています。

ここを訪れた目的は「世田谷bazukuri井戸端会議」で講演するため。東京で最初のコワーキングスペース「PAX Coworking」でしてきたコミュニケーションスペースの運営とその背景についてと、それを作る発想の原点となったパクチーハウスの設立秘話などをお話ししました。場づくりを専門とする人が多数集まり、質疑応答も活発で楽しかったです。最後にやっと(笑)出た質問で、閉店すると発表したことで起きた変化や、今後の可能性について話しました。

終了後、希望者を募ってパクチーハウスへタクシーで移動。合言葉は「ヘイ、paxi」。

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経堂に戻ると超満員。いつもありがとうございます。開店時から店にいると少しずつ席が埋まり雰囲気に慣れていくのですが、途中で入ると皆さんの熱気に一気に包まれていつも以上に気分がアガリます。幸いPSPが空いていたので10人で入れました。

ものづくり学校での講演の成果もあり、飲める人は全員メガジョッキでスタート。コミュニケーションに関心のある人ばかりで、色々な話ができて面白かったです。僕は「場所を捨てる」わけですが、「場づくり」をやめるわけではありません。というか、もっと積極的に「場づくり」をすることになるでしょう。そういう意味で、講演の機会を与えていただきとてもありがたいです。

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経堂のインド料理の名店・ガラムマサラのハサンさんも来てくれていました。PAX Coworkingのメンバーとともにランチタイムに何度もお世話になっているだけでなく、毎週パクチーを使ってくれています。経堂系ドットコムで須田さんが書いていますが、スパイスの効き具合と創作スパイス料理が美味しいお店です。ハサンさんは時々一緒にお酒を嗜む飲み友達でもありますが、毎回必ずどうやって終わったか覚えていません!

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まだコワーキングという言葉がメジャーになる前ににコワーキングスペースを始めた3人も。仙台・ノラヤの宗形さんが上京するということで集まってくれていました。パクチー銀行ひばりヶ丘支店長も勤めるHanareの新妻さん、元トラベラーズ・コワーキングのおぎさわさんと。まだまだコワーキングが僕の妄想か幻想でしかなかった頃に、それぞれのアイデアとコミュニティづくりを通して理想のコワーキングに向かってくれた皆さんです。

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元スタッフ豊田くんの友達の曽川くんや、初期の初期に何日か手伝ってくれたライブドア時代の同僚マリーのお友達田嶋さん、元マップの会のみなさんなども。他にも何年もよく来てくれださった方々が次々に声をかけてくれました。

短い時間でほんのご挨拶程度の会話ばかりとなってしまいましたが、この期間に「再会」できたみなさんと、閉店後また引き続きおつきあいを続けていきたいと思っています。