カウントダウン55: パトリック・バウワー氏ご来パク

あと55日の夜。

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メモリアルナイト。サハラマラソンのレースディレクターが来パクした! 来日記念のウエルカムパーティ&砂漠同窓会。サハラマラソン出場経験者が50人以上集まる砂漠ナイトだった。

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パトリック・バウワー氏は、サハラマラソンの創設者でレースディレクター。僕も2015年春に、パクチーハウス東京開業89カ月を記念して参加しました。(『パク塩でサハラを走る』参照)

30年以上前、サハラ砂漠を荷物を背負い、10日間で350km走ったそうです。その体験を分かち合いたいということで作ったレースが Marathon des Sables なのです。7日間で砂漠を250km弱走ります。

メドックマラソンに出場したい人が集う「パクチー・ランニング・クラブ」で毎月のように練習(飲む方の)を開いていたのですが、メンバーの一人レナさんが、ある日突然「サハラマラソン」に出ようと思うんです・・・と宣言しました。当時の僕にとって全くもって意味不明。他人事として「頑張ってね」と応援し、ボロボロになった脚の報告をFacebookで見たときは「よくやるなー」と正直思いました。その次の会合で完走の報告を聞いたときは本当にすごいと思いましたが、僕には関係ないと思っていました。

それから毎月、レナさんは「砂漠最高」「サハラ楽しい」「またぜひ行きたい」と常につぶやいていました。1年ぐらいでいつの間にか洗脳されたようで、「興味あり」に心境が変化していました。

メドックマラソンつながりで知り合った石田さん。彼も一年かけてサハラに行きたくなったようで、僕を誘ってきました。2014年5月末のことでした。初のパクパクマラソンとしてのコムラッズマラソン(南アフリカ)の出発直前で、しかも東北復興応援ランニング「ウルトラシャルソン」の構想というか妄想をどう実現すべきか考えている頃。思考回路を割いている余地はないときでした。改めてその時のメッセンジャーを読み返してみたら、勧誘から承諾まで5分もかかっていました。迷いがあったんですねー。

とにかく、砂漠に行きたい気持ちを突き動かされ、決めました。そして、その理由を南アフリカで89km走りながら考えたのです。出場予定月がたまたま開業89ヶ月目であることに気づき、かつ、パクチーを出す店が増え、いろいろな企業からパクチーに関するコラボレーションのご連絡を水面下でいただき始めていたので、“これからはパクチーの時代”宣言をしようと思いつきました。それまでは遠慮がちにパクチーを語っていたのですが、89カ月目からはフォロワーの存在を意識しつつ自信を持ってパクチーを語りますという宣言です。「さぁ、パクチー!」これを数字で書くと「389」となります。「389」を読み替えると「さ・ば・く」・・・。「ありえない」と言われたパクチー料理専門店を継続できていたことを、比喩的に「砂漠にパクチーを生やす」というタイトルでの報告会をして表現することにしました。(『“ありえない”をブームにするニッチ戦略: パクチーハウス東京の10年』参照)。

サハラマラソンは心から楽しみました。最初の10kmぐらいは不安が先行していましたが、壮大な景色に身を置いている自分に心が震え、それからはずっと楽しすぎる時間を過ごしました。(サハラマラソン2015まとめ参照)

出場後、この本当に素晴らしい体験を一人でも多くの人に伝えねばと思い、パクチーハウスでのイベント以外にも全国で報告会を開きました。金沢・野々市・安曇野・大阪・広島・武雄・島原などで開催しました。話を聞いてサハラマラソンに興味を持つ人がどんどん出てきました。世界一過酷なハネムーンと称して翌年参加したうえだやまと夫妻がその一例です。

彼らの完走をサポートしたいと、オーバーナイトステージの練習会を企画。一度だけのつもりが、翌年もなぜか僕に開催の要望があり、2年連続練習会の主催者になってしまいました。

そして、3年連続オーバーナイトステージ練習会を企画することに、昨日なりました。素晴らしい贈り物!!!

パーティ中、パトリックが抽選で1名を今年のサハラマラソンに招待すると発表しました。そして、なんと・・・うちのスタッフしげちゃんが当選しました。

しげちゃんは昨年9月に、閉店までの半年間パクチーハウスを一緒に作りたいということで僕から協力を依頼し、旅から戻ってきたスタッフです。スタッフに心身ともに健康になってほしいと思い4年ほど前から始めた「ランニング手当」(月100km走ると手当がもらえます)にも積極的にチャレンジし、他のスタッフを引っ張ってくれています。僕のサハラマラソンの話に、自分もいつか出たいと言っていたので、この日のランチタイムに「いつにするの?」と聞いたら「来年ぐらいですかね」と。

それが急に、今年の話になりました。スケジュールを確かめてみると、抽選の瞬間からちょうど89日後に、しげちゃんはサハラマラソンを完走することになります。

楽しんでほしい。そして、絶対完走してほしい。オーバーナイトステージ練習を含め、砂漠を楽しめるようなサポートをしたいと思います。パトリックは本当に神様のような存在。パクチーハウス東京の最終章を彩ってくれ、しかもスタッフの人生をますます面白い方向に導いてくれました。

パクチーハウスを作ってよかった! サハラに行ってよかった! パトリックありがとう!

クスクスの砂丘
しげちゃんが作ったクスクスの砂丘に、パトリックも大喜びでした。

 

カウントダウン88: 砂の会

あと、88日の夜。

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サハラマラソン完走者の山戸えーちゃん、上田くん、西田くん、カニ星野さんが来てくれた。(砂の会)

カナダから元スタッフのひなも、現スタッフのふーちゃんと来てくれた。

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山戸えーちゃんは5年前のクリスマスに初来パク。連れて来てくれたのは当時長崎外語大学でプロジェクト科目という授業形態を開発していた成瀬先生。その後2年半ほど、その科目のアドバイザーみたいなことをさせてもらった。成瀬さんの後輩として来パクしたえーちゃんは当時某四つ星ホテル勤務。

「ホスピタリティを学びたくてホテルに入社したが、マニュアルばかりでそれがない」と嘆いていたので、「現代のホスピタリティはゲストハウスにあるよ」と言って国内最大のゲストハウスグループであるカオサンの小澤社長を紹介したら、気づいたら転職していた。

上田くんは、カオサンの京都の店舗でパクチー麺を外国人ゲストに提供するという話になったときにパクチー麺を買いに来てくれたのが初来パクだったようだ。その後小澤さんと僕で作った「旅人経営者の会」などのイベントで時々会うようになった。

2014年にウルトラシャルソンという東北復興応援ランニングイベントを始めることにしたとき、その趣旨に賛同してくれたのが小澤さん。そして、面白そうとその後毎回参加してくれたのがえーちゃんと上田くんだった。カオサンが社員研修として2人を派遣してくれ、彼らと東北の被災地沿岸を750kmぐらい走った。その間に彼らは結婚した。

僕がパク塩の商品開発の一環でサハラマラソン250kmを完走した後、面白いから出なよと2人に勧めたら絶対に行かないですよと言った。それなのにその数ヶ月後、パクチーハウスで行った2人の結婚披露パーティで「新婚旅行はサハラマラソン」と宣言していた。そして見事2人で完走。面白い人たち。

来年2月に夫婦で営むゲストハウス「Hostel Chapter Two Tokyo」をオープン。

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カニ星野さんは、えーちゃんと上田くんの夫妻と同じ第31回サハラマラソンに出場したランナー。昨日の晩話して知ったが、ラン歴はまだ4年ぐらいらしい・・・。サハラマラソンだけでなく、今年は36時間で250kmを走るギリシャのスパルタスロンを完走。そしてその翌週にハセツネを軽々完走してしまったという・・・。

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西田くんは第32回サハラマラソン完走者。今年の初めにサハラマラソンの話を聞きたいと来パク。適当な(笑)アドバイスをして勇気付け、東京シャルソン2017にも出てもらった。今年の東京シャルソンには難民の方々に参加してもらったが、それを段取りしてくれた細田くんと同じ大学だっただけでなく「面白い先輩に話を聞く」という趣旨ですでに出会っている仲だった。

また、シャルソンを初期から応援・出場してくれているコワーキング界のレジェンド松井つるみさんが、東京シャルソンのパーティに直前に会った人たちを連れて来てくれた。その一人も西田くんの大学の先生だった。一見大人しそうな普通の大学生に見えるが「持ってる」人であり、アルバイトでサハラマラソンにかかる全費用を捻出した不屈の人(かな?w)。

カウントダウン89:ぱくぱく!パクチー

あと89日の発表をした夜。

サムスル渡邉さんとネコワーキング創業者の広瀬さんが来パクしてくれました。

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渡邉さんは9年以上前、発売されたばかりの『ぱくぱく!パクチー』を入手したことをブログに書いてくれました。それが縁で(コメント欄で)連絡を取り、会食したことで知り合った人。インドネシアにルーツがあり、数年前にインドネシアに家族で移住。今はベトナムも含め3拠点で活動している友人です。

パクチーハウス東京でランナーの講演会を企画してくれ、僕はウルトラマラソンという言葉をそこで初めて聞きました。持久走大会ですっかり走ることに嫌気がさしていた僕は、走ることを完全否定していましたが、その講演内容に感銘を受け、講師の方に敬意を表するため、翌日約20年ぶりに“一度だけ”のつもりで過去最高の10kmを走りました。(身体が動かず、歩くのと変わらないぐらいだったと思いますが・・・)

その後いろいろな間違いが起こり、毎年メドックマラソン(フランスのワインと美食のフルマラソン)に出るようになり、パク塩の普及のためサハラ砂漠マラソンに出場したり、毎月300km走るようになったのは、渡邉さんのブログ記事がきっかけです。

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ネコワーキングの広瀬さんと初めて会ったのは東日本大震災の約3ヶ月後。東京初のコワーキングスペース「PAX Coworking」を作って1年が経とうという頃でした。誰も知らなかったコワーキングを始め、ほぼ同時に作ったファンキーな業態の飲食店を半年で潰した直後にあの地震が起こりました。

パクチーハウスの営業を3日間停止し、家賃だけ払っていた用賀の物件に一週間だけ移転。その後経堂に戻りました。初めて会うお客さんから大量に東北地方への縁をいただき、年に何度も通うきっかけができたのもこの頃。この年の6月ぐらいから今に至るまで、パクチーハウスはほぼ毎日満席のお店となりました。

世の中の動き的にもコワーキングが求められるに違いないと思いつつ、“孤”ワーキングをしている日も多かったのですが、そんな折に来てくれたのが広瀬さん。僕のアイデアに共感してくれ、ネコのいるコワーキングスペースをその半年後ぐらいに立ち上げました。コワーキング関連のイベントによく来てくれ、まだまだコワーキング仲間の少なかった当時、広瀬さんを含むごく少数のアーリーアダプターの人たちの存在が僕の精神的な支えとなっていました。

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経堂のタイ料理の名店・タイ屋ソンタナの共同創業者こいちさんと現オーナー店長の工藤さん、最近開業された鉄板焼肉大当りのメンバーのみなさんにもご来パクいただきました。ありがとうございました。

9月3日からの空席情報 #paxiinfo

この一週間は毎日空席あります。ご予約はお電話ください(03-6310-0355)。

3日(日) 残15。当日のお客さんも多いので、確実に来たい方はご予約を。

4日(月) 残30席。サハラマラソン出場予定者来パク。あの松浦くんも!

5日(火) 残25席。お待ちしています。

6日(水) 残25席。次々入って来ると思うので、ご予約お早めに。

7日(木) 残20席。

8日(金) 残10席。ご予約はお早めに。予約が取れなければ立ち飲みスペースもどうぞ。

9日(土) 残20席。

10日(日) 残38席。ほとんど空いてる!

11日(月) 残20席。

 

店主Kyo paxiは、7日から11日朝までメドックマラソン開催のボルドー訪問のため不在。11日午後はコンファレンス・ビジネス・マスターズ・シンポジウムにてお話させていただきますので、お時間ある方はこちらもどうぞ!

 

関連イベント

#すしパク 銀座・寿司さいしょさんとのコラボイベント開催しました

Twitterの初期の頃から親しくさせていただいている「寿司さいしょ」(銀座)さんと、 #和食とパクチーの融合 のためのコラボイベントを開催しました。

大田市場での仕入れから同行させてもらい、市場での朝食、仕込み、皇居ランetc…丸一日一緒に時間を過ごしながら本場に備えました。

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さいしょさんからのレポートが届いたので、ここにシェアしておきます。

 

自分のまちが好きになり、旅先をもっと楽しめるシャルソン

【cinemo PAX vol.2】前武雄市長・樋渡啓祐さんと考える【地方都市の活性化】〜映画『幸せの経済学』見て、トークして、パクチーパーティ!

まもなく開催!

前武雄市長の樋渡さんのことはよく知っている方が多いと思いますが、僕がしていることをパクチー以外知らない方も多いと思いますので、当日までにいくつか投稿させていただきます。(その4)

パクチーを愛するあまりエクストリームランニングに足を踏み入れてしまった僕ですが、個人的に走るのが好きになっただけでなく、メドックマラソンをヒントにしながらたくさんの人にランニングの楽しさを知ってもらうために作ったものがあります。それが「シャルソン」です。

シャルソンは、ソーシャル・マラソンを略してできた言葉です。走る楽しみはスピードだけでなく、景色を見たり移動すること、つまり自分の力で旅ができるということでもあります。公園や河原を走っているとき、疲れたら歩いたっていいし、きれいな花があったら立ち止まってもいい。気持ちよければ予定より多く走ればいいし、毎日コースを変えることもできます。

しかし、「マラソン大会」は基本的に速く走ることが良しとされます。コースを選ぶこともできません。いわゆる持久走大会で“走らされた”体験からランニングが嫌いだった僕は、走れるようになってもその延長線上にあるマラソン大会を積極的に楽しむことができませんでした。一方、シャルソンの発想の原点ともなったメドックマラソンはワインを飲むために「立ち止まる」ことが革命的だったし、制限時間ギリギリまで食事やワインを堪能できることが、僕のマラソンに対する思い込みを壊してくれました。

メドックマラソンに出場した際、その日本版を開きたい、と考えました。メドックマラソンにあるコミュニケーションが、僕がパクチーハウスやPAX Coworkingでやろうとしているのと同様に現代日本の閉塞感をぶち破ると直感したからです。しかし、冷静に考えてみると公道の使用許可を警察に申請し、そこで酒を提供するということが簡単に認められるとは思えません。数年単位の時間を使ってそれを実現させることもアリだとは思いますが、それでできるコミュニケーションが必要なのは数年後でなく今だと思ったので、即座にそれを実行することにしました。メドックマラソンの要素をシンプルに抽出し、僕のような小さな飲食店を一つだけ経営している人が簡単にできるイベントを作ろう、そしてそのイベントにより地域に貢献できればなお良いと。そうして「シャルソン」の仕組みを考案しました。

パクチー料理屋とコワーキングスペースという“マニアック”なことをやっているのが僕の会社です。それぞれの空間に、国内外からさまざまな人がやってきます。経堂にたくさんの人を連れてきていると言ってくれる人もいたのですが、うちの店に来て、仕事なり食事をして、そのまま帰ってしまう人がほとんどでした。そういう意味では経堂まで来てもらってはいるものの、経堂に貢献しているとは言い難いと悩んでいました。行き帰りに商店街を見てはどうですかという提案をしたり、ウェブにちょっとした周辺案内を載せたこともありますが、大多数の人は忙しい日常の中で目的を果たしたら家路につきます。シャルソンを生み出そうとしているとき、この僕の悩みがポイントになりました。「小さなマラソン大会を開き、僕が行き先を決めるのではなく、ランナーの皆さんに好きなように動いてもらい、経堂なり世田谷区の魅力を発掘してもらおう。そしてそれを再発信できれば、自分たちが存在する地域のためになるだろう」。こうして走ることを地域の魅力再発見につなげるためのシャルソンが生まれました。

年1回ぐらい、ちょっと変わったランニングイベントとしてできれば面白いかなと思って始めた「シャルソン」でしたが、第1回で僕も主催者兼ランナーとして42.195kmを走りました(走る距離は自分で決めて良いため、必ずしもそれだけの距離を走らなければならないわけではありません)。そして、自分も他の参加者達も思ったことは、「シャルソン」は簡単に誰でもどこでもできるし、もっとやりたい!ということでした。すでに5年以上店を運営していた経堂や10年以上住んでいた世田谷を知っているつもりになっていましたが、一日中絶え間なく「発見」があるのを驚き、かつ楽しみました。

「シャルソン」は簡単で、参加者だけでなく主催者も楽しく運営できるイベントです。ご当地シャルソン協会が各地の運営のサポートもしており、過去4年半で全国で120回ほど参加されるまでになりました。地域活性や地方創生をお考えの方は、ぜひシャルソンで地元愛を育て、たくさんのお客さんを呼んでください。

ご当地シャルソン協会
http://cialthon.at/
ご当地シャルソンについて(パクチーハウス東京ウェブサイトから)
http://paxihouse.com/blog/social-running/
今、シャルソンが熱い! (Naverまとめ)
https://matome.naver.jp/odai/2143452587480207301

ビール腹克服から始まったランナーズコミュニティ

【cinemo PAX vol.2】前武雄市長・樋渡啓祐さんと考える【地方都市の活性化】〜映画『幸せの経済学』見て、トークして、パクチーパーティ!

開催まであと3日!

前武雄市長の樋渡さんのことはよく知っている方が多いと思いますが、僕がしていることをパクチー以外知らない方も多いと思いますので、当日までにいくつか投稿させていただきます。(その3)

パクチーハウス東京のウェブサイトのトップに「世界のビールとパクチー料理」と書いています。僕は旅を通じてたくさんのビールにも出会いました。また、パクチーハウス東京では琥珀エビスという日本のナショナルビールでは最高峰(筆者談)のビールをメガジョッキ(1リットル)で提供しています。

そう、僕はビールが大好き。いつもガブガブ飲んでいます。そして35歳になった時(6年前)には、お腹に大量の脂肪を蓄えることができました。いわゆる「ビール腹」です。適当に運動してみたりもしましたが、効果はありませんでした。高校生までの持久走大会が大嫌いだった僕は「走る」ことを当時全否定していました。しかし、偶然パクチーハウスで催されたウルトラランナーの講演会を聞き、その内容に感動。当人に敬意を表して1度だけ走ってみようと思いました。翌朝、早起きして過去(といってもその20年ぐらい前)走った最長距離(10km)にチャレンジ。絶対やりきると決めたので完走しました。全身筋肉痛になったものの、身体が動かなさすぎて息が切れるスピードでは走れなかったです。歩くのより少し早いか、もしかしたら遅いスピードでボテボテ走りました。心臓が苦しいとか、横っ腹が痛くなるとか、僕が走ることのマイナス要因として捉えていたことが起こらなかったんです、遅すぎて。そしてSNSに「走るのが好きな人の気持ちが少しわかった。走らないけど」という趣旨のことを書きました。それからが今の時代の恐ろしいところ。それを読んでたくさんの人からお誘いが・・・(笑)。全て断るつもりでしたが、「朝走ってビールを飲む会」だけは断りきれませんでした。

久しぶり過ぎるランニングで得たポジティブな感覚(息が上がらないスピードで走れば気持ちいい)を意識して、無理せず走り始めたらあら不思議。数ヶ月で走ることが楽しくなり、ついでにお腹の蓄えは無くなりました。走れるならやりたいことが前から一つだけありました。それはメドックマラソンへの出場。メドックマラソンは給水所にワインが置いてあり、38km地点ぐらいから生牡蠣やステーキが食べられる“美食マラソン”です。まさに“酔狂”という言葉が似合うこのマラソンに「一度だけ出てみたい」と思いフランスへ旅立ちました。そして、現場にていい意味で期待を裏切られました。このメドックマラソンは「飲みながら走る」ことが特徴と言われていますが、それだけではありませんでした。ワインがちゃんとグラスで出てくるため、走っている途中で「立ち止まる」ことになります。日本で一本数万円するものが出ることもあり、グラスを回してみたり他の参加者と乾杯したり。仮装が義務付けられていることもあり、「自然と会話が始まる」のです。メドックマラソンの本質は「コミュニケーションがある」ことだと気づきました。これは移動しながら6時間半続くパーティです。

交流する飲食店を営む僕にとって、それは衝撃的でした。楽しいパーティは数多ありますが、6時間半も楽しみ続けられるものはそう多くないです。一度だけ人生経験として出場するだけでなく、これを人生の一部にしたいと思いました。初出場の39km地点で生牡蠣を食べまくっている時には、そのために毎年出場することにしようと決意しました。日本に帰り、この楽しみを多くの人とシェアしたいと思い、メドックマラソンに本気で行きたい人だけが集まるランニングサークルとしてパクチー・ランニング・クラブを作りました。それから毎年、メンバー20-30人と一緒に出場しています。

パクチー・ランニング・クラブは走らないランニングサークルです。トレーニングは各自でできるので、不定期で飲み会(メドックマラソンの半分!)を開き、フランスへ行くというモチベーションを互いに維持し合っています。ワインも飲みますが、だいたいスタートはメガジョッキです。そして、大いに酒に酔い、気持ちが大きくなります。国内外の様々な“気がふれている”マラソン大会の話題になり、“酔った勢いで”申し込んでしまう人が続出します。僕も、そんな楽しき仲間と知り合うことで、いろいろなマラソンに出場しました。主なものは以下の通りです:

  • コムラッズマラソン(南アフリカ)
    平和(PAX)のために89km走る、世界最古のウルトラマラソン大会。2014年に開かれた第89回大会に出場し、8時間90分で完走。勝手にパクパク(89×89)マラソンと名付けました。
  • サハラマラソン(モロッコ)
    パクチーハウス東京が開業89ヶ月の2015年4月、ありえないと言われたパクチー料理店をパクる人が出てきたので、そろそろ自信を持ってパクチー屋を経営してもいいかなと思い始めました。「さぁ(3)、パクチー(89)の時代です」との宣言代わりに砂漠(389)を一週間で250km走るこのマラソンに出場し、パク塩開発の人体実験をしました。
  • バイカルアイスマラソン(ロシア)
    バイカルアイスマラソンは凍ったバイカル湖の上を一直線に走るフルマラソンです。シベリア鉄道の廃線になった部分89kmを観光列車としている区間があるのですが、そこに向かって一直線に走るこのマラソンは「パクに向かってまっしぐら」だと思い、パクチーに対する愛を表現しに行きました。

ちょっとしたきっかけから、ウルトラマラソンにまで手を出してしまいましたが、僕はあくまでパクチー普及に命をかけつつ楽しくランニングをするファンランナーです。樋渡さんに初めて会った時から、同じランナーということで勝手に親近感を感じさせてもらっていました。

 

 

パク塩開発秘話

楽天のオウンドメディア「それどこで買ったの?(SoRe Doko)」に寄稿した文章の評判がよかったので、こちらからもシェアします。

パクチー関連商品の開発は、パクチー普及のための一手段でありますが、その過程には必ず“パクチーだけじゃない”さまざまなストーリーがあります。

パク塩の場合は、サハラ砂漠でした。

ぜひご一読を!

 

第5回ウルトラシャルソン報告書

5月26日(木)〜29日(日)の5日間で第5回ウルトラシャルソンを行いました。

シャルソンの仕組みを使った東北応援プロジェクト。東北のまちを線で繋ぎながら、その過程で被災地の「いま」を見て、地元の方々とお話しし、被災地で活動を続けている人のお話を聞いて来ました。

今回のルートは名取から福島の約150km。初めてのオーバーナイトステージも体験しました。

第5回ウルトラシャルソン報告書


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「3年」を過ぎたからこそ始めた“ポジティブな復興支援”としてのウルトラシャルソン。年2回の開催で東日本大震災による津波被災地沿岸を少しずつ南下。第5回目の開催時には「5年」が過ぎていました。釜石から南下を始め、4回で435kmを走破。前回やっと東北の玄関口である仙台に到達。第5回はその仙台からスタートしました。

福島のルートを決める際、さまざまなことを考えました。津波の被災地をずっと巡って来ましたのでほとんどが沿岸部を走って来ました。福島に入り、どの道を通るのか。

結論から言うと、ここで大きく内陸に入ることにしました。立ち寄る地点を考慮するとどうしても長距離になるため、初めてのオーバーナイトステージを敢行。「闇の中」を走りました。

ゴールに選んだのは、郡山市。震災と原発で、自分や知人がさまざまな変化を経験した方の多い土地。郡山のまちおこしとしての「郡山シャルソン」とゴールを共有する初めての「W(ダブル)シャルソン」となりました。

「もう5年前だしな」という声を多く聞きました。過去4回との大きな違いでした。「復興」したかどうかは程度の差がありますが、「生活」を立て直しているのは確かです。とてつも長い被災地の距離を順番に走って来ましたが、「次」来るときは様子はまた一変していると思います。