カウントダウン80: 世田谷商店街連合会青年部

あと80日の夜。

お知らせ898887868584838281

烏山から、久しぶりに来パクの倉田くん。先週カンパク中に声を上げてくれ知り合ったパクチーTシャツの中谷さんが、早くも再来パク。現在バルセロナ写真展を開催中のレイちゃんとジャズつながりの方々も盛り上がってくれました。数ヶ月に一度、この何年も通ってくださっているグループは、「閉まるまで何回も来るよ」と。ありがとうございます。

IMG_0787  IMG_0788

 

倉田くんは商店街つながりで知り合いました。パクチーハウスで商店街連合会の青年部の会合をしたのがきっかけでした。

パクチーハウスの近所で、緑のパクチーバゲットやパク塩アイスを製造してくれているダズンフォーの籔本さんが、僕が店を開いて右も左も分からないころに声をかけてくださり、近隣店舗のコラボイベントをしたり、2年目には強く推薦してくれ経堂農大通り商店街の理事にもなりました。そんな動きの中で、世田谷の商店街の青年部の人たちが(パクチー好き嫌いを問わず)パクチーハウスで会合を開いてくれたのです。

その後、歳も近かったので倉田くんとはよく遊びました。パクチーハウスで毎月「倉田くんと飲む会」をしてくれたこともあるし、農大通り商店街の員外理事にもなってくれたし。また、シャルソンの初期から手伝ってくれ、ご当地シャルソン協会・事務局長も引き受けてくれました。

最近しばらくは、烏山を通るときにすれ違いばかりで、会うのは世田谷でなく地方が多かったです。

paxiblack

 

パクチーハウス店内(展示用のスペースをPieceOfPeaceプラザと呼んでいます)バルセロナ写真展開催中のレイちゃんはジャズ関係のお友達をたくさん連れてきてくれました。新しいポスターも入ったので、まだ見ていない方は是非。年内開催中です。

お友達とわいわい会話に加わらせてもらいましたが、その結果、鋭利事業(≠営利事業)という新しい言葉も生まれました。パクチーハウスを作って以来、多くのお客さんから僕のとるべき進路についてのヒントをいただいてきました。カウントダウンで毎日記録を残すことにトライしているのも、それを少しでも記録に残したいという思いからです。

paxiblack

 

先週以来2度目の中谷さんは、趣味のバレーボールと、わざわざ取り寄せる蜂蜜の話なども。自分と違う世界観を持っている人(みんなそうなんだけど)と話すのは本当に楽しいです。

カウントダウン81: パクチー・ランニング・クラブ

あと81日の夜。

お知らせ8988878685848382

静かな夜。パクチー・ランニング・クラブ忘年会は欠席もあり、3人のみ。クラブ活動としてはもっとも人数が少なかったが、その分濃い時間が流れた。

IMG_0771 IMG_0766

 

パクチー・ランニング・クラブ(パクラン)は、メドックマラソンに本気で行きたい人が集まる“走らないランニングクラブ”。走る練習は各自でして、飲む練習と情報交換を行う不定期な飲み会です。メドックマラソンというのはコース上に給ワイン所があり、ラスト3kmで生牡蠣やステーキが食べられる、まさに酔狂なフルマラソン。世界の珍マラソンの中でも知名度が高く、「一度は行ってみたい」という人が相当数います。

しかし申し込みが英語かフランス語だし、それなりに遠いし、「いつか」を「いつか」のまま放置している人が多いことに気づいたので、メドックマラソンに行く気運を上げていこうということで開き始めました。結果、毎年20-30人がパクランのメンバーとしてメドックマラソンに参加しています。

中西さんは初期のメンバーですが、まだメドックマラソンに行っていません。ただ、その後ランからトライアスロンにハマったそうで、いつでも泳げるように山から海へ引っ越したという熱の入れよう。たぶん会ったのが3年ぶりぐらいでしたので、その変貌ぶりに驚くばかりでした。

けいこさんは日本パクチー狂会を立ち上げてすぐの頃に、mixi経由でパクチーの種を渡したのが最初だったらしいです。パクチーハウス東京の立ち上げ初期から来てくれていたそうで、僕がメドックマラソンに毎年行こうとパクランを立ち上げたときにメンバーとなり、面識ができました。その後、パクランやメドックマラソンではもちろん、南アフリカのコムラッズマラソンも一度ご一緒しました。

コムラッズマラソンは世界最古のウルトラマラソンと言われています。僕が初めてのパクパクマラソンとしてチャレンジした大会です(89km走るマラソンの第89回大会に出て8時間90分で完走)。けいこさんはコムラッズに毎年出場しており、あと数年でグリーンナンバーズクラブ(完走10回)に入るとのことです。日本人女性で2人目か3人目です。

paxiblack

メドックマラソンとパクチー・ランニング・クラブは、僕の発想、行動、人生を大きく変えました。常に面白いアイデアをもらい、思いつきに背中を押されまくることができたのは愛すべき変人の皆さんのおかげです。

営業終了後、スタッフとCOEDOの「彩 -Sai-」をいただき、一日の総仕上げ。COEDO朝霧社長には、6年前に旅人経営者の会の企画でトークイベントを行って以来、大変お世話になりました。

カウントダウン82: 商圏二万キロ

あと82日の夜。

お知らせ89888786858483 |

パクチーハウス初期からのお客さんの山口聡子さん、出会いは15年前のイランの結婚式ツアーの常連オクラくんが来てくれました。スタッフゆみちゃんが、ブラジルからお友達のガブちゃんを連れて来てくれました。

IMG_0760 IMG_0763 IMG_0764

山口聡子さんが初めて来た時、山口聡子さんと一緒だった。つまり、同姓同名。当時流行っていたmixiで知り合い、初対面の場所をパクチーハウス東京に選んでくれたのです。その話を聞いてめっちゃ興奮したのを思い出します。僕は「名前」や「ネーミング」をとても大切に思っていますし、「偶然の一致」に大きな縁を感じていますので。

山口聡子さんとの出会いがあったからこそ、「washizuの会」が起こるきっかけとなるツイートをしたり、僕自身も「恭会」を立ち上げたりしたんだと思います。

昨日は一旦自宅に帰ろうとしたところ、山口聡子さんが来パクしてくれたという連絡があって急いで戻りました。お忙しいようで30分しかいれないというのに、立ち寄ってくれて嬉しかったです。夕方までとある講座で一緒だったという高橋さんを連れて来てくれました。結局高橋さんは閉店近くまでいてくれたのでたっぷりお話しすることができました。

paxiblack

 

スタッフのゆみちゃんが地元ブラジルの友達ガブちゃんを連れて来てくれました。多店舗展開に興味のない僕は、世界唯一の存在でありたいし、世界中からお客さんが来て欲しいと思っているので「商圏二万キロ」という言い方をしています。まさに地球の裏側から来てくれて嬉しかったです。

パクチータイムはガブちゃんのためにカンパクしました。

paxiblack

 

高橋さんとしゃべっていたところ、オクラが来パク! オクラは僕が初めての海外一人旅の際に韓国・慶州で会った友人の後輩にあたります。その友人とはその後も頻繁に旅の話をする仲で、僕が学生時代に行ったイランを旅先の候補としてオススメしたことがありました。イランのイスファハンで今の奥さんと出会ったので、「結婚式を出会った場所でやりたい」と相談がありました。イラン側と1年ぐらいやり取りをして、イスファハン・アリガプ宮殿での結婚式を手伝いました。その過程でオクラとも知り合ったのでした。パクチーハウスから歩いて15分ぐらいのところに住んでいるので、友達を連れて頻繁に来てくれています。

paxiblack

昨日働いていたアルバイトスタッフの先輩も来ていました。料理を運んだ時にお互い「あれ?」という感じだったらしいですが。その先輩、修論のテーマをパクチーに絡めたとのこと。もっと早く会えればよかったですね! 僕のツイッターを見ていてくれたようですが。

 

カウントダウン83: いつでもどこでも、会える人には会える

あと83日の夜。

お知らせ898887868584

予約満席を厭わずPAX Coworkingメンバーのみっちゃんが、パクチーハウスで出会った常連の田ちゃん、プリンスらと立ち飲みスペースに。初来パクの今年4月に郡山で知り合った渡邊さんと、時々一人で来てくれる近所のひろこさんが同じグループに合流。初対面でみんな、とても盛り上がる。

旅人経営者の会で出会ったAnother Japanの山崎くん、エスビー鬼頭さんとブルックリンダイナーわっきーもご来パク。濃い週末。

カウントダウンで書いているみなさん、お知らせを見て来てくれていると思い込んでいたけど、半分ぐらいはたまたま来て、閉鎖のお知らせにビックリ。

IMG_0754  IMG_0755 IMG_0753

 

 

PAX Coworkingのみっちゃんは、1年半ほど前に初めてPAX Coworkingに来ました。最初は数回ドロップイン(一時利用)で、やがてメンバーになりました。デザインセンスがあり、発想が面白い人。会社で仕事するよりも、すでにたくさんある「やりたいこと」を始めた方が伸びると思い、独立を強く勧めました。PAX Coworkingのメンバーにプレゼンしてもらい、応援する会を数ヶ月前にやったのですが、他のメンバーが思っている以上に色々なもっており、すでに独立して仕事しているメンバーもたじたじ(笑)。そしてめでたく今年の夏に独立し、一挙にいろいろな事業を始めています。パクチーハウスにもちょくちょく来てくれ、僕と共通の友人もたくさんできました。後述のプリンスや田ちゃんはそのうちの2人です。

プリンスは経堂の飲み友達であり、パクチーハウスに頻繁に飲みに来てくれるお客さん。常連さんでプリンスのことを知らない人はいないのでは・・・と思うぐらいです。何百回も会いすぎて、いつが最初なのか思い出せないですが。

田ちゃんも初めて会ったのはいつでしょう? 世界に数枚しかないパクチーアロハシャツをいち早く購入してくれたり、僕が各所で行って来たイベントやワークショップにも参加してくれている人です。パクチーハウスで出会ったお客さんに、外でやるイベントで会うと、なんというか家族のように親近感を感じてリラックスできるのです。なお、田ちゃんは、僕がウルトラシャルソンで東北を走っている時に横でレンタカーですれ違うったこともある縁の深さです。

この3人は発表前夜にも来てくれていました。思わず「明日さー」と言ってしまいそうな状況でした。

paxiblack

 

郡山で会った渡邊さんとは、今春、郡山の地下屋台村で出会いました。東北の復興応援としてウルトラシャルソンというランニングイベントを2014年から行っており、震災被災地を走って線でつなぎつつ、地元の方々や復興支援で活躍している人の話を聞き発信していこうという趣旨。釜石から始めて、第6回は郡山→鮫川→いわきというルートでした。

そのスタート地点というか前夜祭の際に、すぐ後ろに座っていたことで話したのがきっかけ。なんと世田谷在住というかパクチーハウスに「行きたいと思ってた」というご近所さん。スタート前からそんな縁のある人と出会えて盛り上がったのでした。「閉店」のお知らせを聞いて来てくれたのかと思ったら、全く気づかなかったそうで。このタイミングで再会できてよかったです。その直後に来た、やはりご近所の方もみっちゃんグループに合流。羨ましいぐらい盛り上がっていました。

渡邊さん、うちがよく知っている白河のパクチー農家さんもご存知で、またここでも繋がるなーと感動しました。週末地域おこし活動もしているようなので、またどこかで接点持てればと思っています。

paxiblack

営業中、他にも懐かしい顔が。3年半前に旅人経営者の会の企画で、若手旅人経営者の会と称して二十代で旅系のビジネスを立ち上げた人たちをたくさん集めたピッチイベントをPAX Coworkingで行いました。Another Japanという日本国内の体験ツアーを外国人に提供するサービスをやっていた山崎くんとそれ以来の再会でした。現在は富山県高岡市で伝統工芸を守る活動をしています。彼がたまたま連れて来たのがロシア出身の方で、現在進行中のロシア特集やエントランスにある緑のマトリョーシカ、バイカルアイスマラソンの写真に喜んでくれました。

そして、閉店間際、スパイス料理の名店ガラムマサラでのスパイス忘年会(?)からの帰りに、エスビー鬼頭さんとブルックリンダイナーわっきーが立ち寄ってくれました。それぞれの視点で、パクチーハウス閉店についてお話ししてくれるのが楽しいです。

いつでもどこでも、会える人には会える。

カウントダウン84: 肩書きから始まるコミュニケーションの可能性!

あと84日の一日。

お知らせ8988878685

パクチーハウス元料理長・宙さんと朝ビール。お昼はシャルソンに初回から付き合ってくれているブルックリンダイナーのわっきーのところに。その後、走って永田町へ行き、ETICのスサノオプロジェクトで出会いと再会。

パクチーハウスに戻って、娘の幼稚園時代のママ友にご挨拶。と思ったら隣にいた1ヶ月ぶりのお客さんに頼まれ即興「肩書ワークショップ」。また、Facebookのチェックインをもとに帰り際話しかけたお客さんは、10年間ずっと来続けてくれているお客さんでした。

IMG_5053 IMG_0716

 

宙さんはパクチーハウスの2年目の終わり頃と、震災の後にいた元スタッフで、今年の秋まで5年間平間で無国籍居酒屋を営んでいました。ユーラシア大陸を自転車で横断したこともあり、初めて見た瞬間に「採用!」と決めました。料理長時代はだいぶぶつかりまくったが、詳細割愛(笑)!

2ヶ月前に下呂市に移住して、料理とビールをテーマに地域おこしに取り組んでいます。そうか、あれだけいろいろやっているのにまだ2ヶ月か、という感じ。活動的でパッション溢れる料理人です。用事の合間に少し時間が空いているというので、朝ビール。よき時間でした。

paxiblack

ランチはシャルソンがまだ名づく前から(「経堂マラソン」でした)協力してくれた駒沢のブルックリンダイナーへ。ジャーパクバーガーをいただいて、パクチーハウスの経堂の店舗閉店の報告をしました。

僕は、イノベーションは連続性から生まれるものではないと思っています。過去3回、会社を辞めると決めたときも、次を決めぬまま。自分なりに悩み、考える時間が大事なのです。その時間を持つためにも、最高潮の時に自ら決めることが必要なのです。

paxiblack

 

続けて永田町までランニング。平和学を修めた、英ブラッドフォード大学大学院時代の後輩に誘われ、ETICのスサノオプロジェクトの会合に参加しました。200人で熱気ムンムン。以前から、いろいろな人経由で話を聞いていたものの出会っていなかった方3名を含め、面白そうな人とたくさんお話ししました。

「パクチーハウスされているんですか? 以前から行きたかったんですよ!」
「ぜひお越しください。あと84日で閉めますから!」
「えっ?」
の繰り返しです。

元スタッフの安井くんと、今年の東京シャルソンにて招待選手にした難民の方々を紹介してくれたWELgee渡部さんとも再会しました。そしてWELgeeのサポートで研修を終え、滞在ビザと仕事の目処がついた招待選手Rさんとも笑顔で再会。これは嬉しかったですね。

paxiblack

パクチーハウスに戻り、娘の幼稚園時代のママ友にもパクチーハウスの閉鎖をお知らせ。隣の席に教育者の研究会で1ヶ月ほど前に来パクされた方がいらしたので一緒に飲みました。研究会のミニ講演で、僕が肩書きから開ける未来の話をしたのが印象的だったそうで、肩書きの話を頼まれ短めに話をしたら、ワークショップするための紙も用意してあって驚きました。

こういうノリで活動する人大好きです。高校時代から20年ぐらい仲の良い女子会のようでしたが、肩書きをひねり出すことで全く知らなかった一面も垣間見れ面白かったとおっしゃっていました。肩書きから始まるコミュニケーションの可能性!

この突発ワークショップの途中に、永田町から上述の平和学の後輩が来パク。一緒に参加しながら話しました。彼は京都でサムライカフェ&バー「士心」という飲食店というか実は教育施設を運営しています。トリップアドバイザーで京都のナンバーワンレストランに選ばれて89%ぐらいのお客さんが旅人だそうです。

 

僕がいる間にFacebookで何度かチェックインしてくれたお客さんがいらしたので帰りがけに声をかけたら、開店直後ぐらいからいらしてくれている方でした。手食カレーやタコパクはもちろん、震災後に3ヶ月ほど、しかも超不定期営業をしていた幻のバインミーランチのことも知っていてくれて嬉しかったです。

パクチーハウスは店舗は消滅しても、記憶に残り続けると思います。そして、体験が積み重なることで世界は動いていくのです。店とかお金とかはなくなるけど、経験値が減ることはありませんから。

カウントダウン85: 東証一部所属のホームレス

あと85日の夜。

お知らせ89888786

フジヤマンボ!からの友人で会社設立にも協力してくれた小板橋くん、富士通時代の先輩方がご来パク。また、移働サラリーマン矢野さんと経堂の友・木村さんも来てくれた。

また、初めてお会いしたのだが、パクチー銀行・安曇野支店のパクチーパーティに去年参加したという方が滋賀からご来パク。繋がるご縁は嬉しいですね。

IMG_0700 IMG_0699

 

小板橋くんは僕が初めて会社を辞めた頃からの付き合いだから、もう17年ぐらいになる。フジヤマンボ!という、年1回富士山に登ることを中心によく一緒に遊んだグループの一員。悩める二十代を共有しました(笑)。彼は数年努力して会計士に、僕は仲間に刺激を受け、2度目・3度目のユーラシア大陸横断をし、イギリスで平和学の修士号を取ることを決めた時代です。

一緒に796s(ナックルズ)というゲリラ的野球サークルを立ち上げたこともあります。昔から言葉を数字に置き換えるのが好きだったんですね、僕は。

paxiblack

 

富士通時代の先輩方は、僕の最初の上司Wさんと、関西地区の新卒採用の際に1ヶ月ぐらい住まいまで共有したKさん、そして僕が辞める年に入って来たKくん。

Wさんは社会性のない僕に社会人の常識を教えてくれたというか、僕のやり方に合わせて会社の面白い使い方を教えてくれた人。最初の配属でそういう上司に巡り合ったのはラッキーでした。なんというか、だいぶ泳がしてくれましたので。Kさんは一時期を共有したことでその後も一緒に鍋をしたりもしたし、僕が不安なままイギリス留学のため渡航した時、たまたまロンドンに赴任していたのでイギリスで生きる知恵をたくさん授けてくれました。イギリス行く前は「俺ほどドメスティックな人間はいない」と言ってらっしゃいましたが、富士通勤務の後に世界的な企業のアジアパシフィック人事部門代表なども歴任されていました。

paxiblack移働サラリーマン矢野さんとは今年の初めにパクチーハウスで出会ったばかり。まだ会ったのは5回ぐらいですが、考えが合うというのかいつも突然登場したは面白い話を持って帰って来てくれます。

出張が多いとかではなく、自分の意思で行ったことのないところに1−2週間ごとにいきつつ、オンラインで仕事をしています。自由な会社、という訳では必ずしもなく、自由に動けるように社長と交渉して今の立場を築いたそうです。しかも所属している会社が東証一部に指定替えしたそうで、「東証一部所属のホームレス!」と喜んでいました。

そこへ、経堂でシェアハウスや塾をしながら「美味しい社会貢献」(現在はオンライン)を運営している木村さんが合流。というか矢野さんとは初対面だけど。木村さんが起業前に世田谷区の創業センター経由でこちらを知ってくれ、パクチーハウスの定休日(当時は月曜日)を使ってイベントしてくれたことなど、懐かしく思い出しました。

 

 

 

カウントダウン86: 意思の力

あと86日の夜。

お知らせ898887

PAX Coworkingの忘年会を開催。また、猿岩石の森脇さんと高知のスーパーウーマン西川さんにご来パクいただきました。スタッフ君ちゃんもお友達と。

IMG_0673 IMG_0682  IMG_0688

 

PAX Coworkingはパクチーハウスから生まれたオフィス。「パーティするように仕事する」と言う妄想を抱いて考えること8ヶ月と9日で、Coworkingという概念に出会いました。アメリカで生まれ、ヨーロッパに概念が達しつつあった頃で、まだ少なかった各地のスペース運営者とコワーカーがメーリングリストで協力しながら面白い場づくりの知恵を共有しているシーンに加わり、東京で最初のコワーキングスペースを開くことになりました。

僕が「仕事場」を作ろうと思ったのは、パクチーハウス東京でお客さんから聞いたお話のおかげです。オープン当初から“交流する飲食店”というサブタイトルをつけ、海外のゲストハウスのように人と人とが自然に話して楽しく飲んで欲しいと気軽な気持ちで考えていました。人と人が話をすると、楽しみだけでなくいろいろなものが生まれます。ある方は、パクチーハウスのパーティで会った人と意気投合して会社を作ったし、またある方は、隣の人の話を聞いてキャリアについて考え始め、まさかの(その人談)転職をした日に僕にお礼を言いに来てくれました。一日数時間の食事の時間はもちろん、10時間近くの時間を費やす仕事の時間に革命を起こさなければ。そう思ってできたフレーズが「パーティするように仕事する」だったのです。

誰もコワーキングという言葉を知らない最初の一年は、お客さんや友人に無理矢理声をかけて行ったイベントの日以外は“孤”ワーキング状態でした。でもそのおかげで、すでにその概念が浸透しつつあるヨーロッパやその萌芽が出る直前のアジアの先駆者達と知り合うことができ、彼らの力で多くの方が海を越えてPAX Coworkingとパクチーハウス東京にやって来ました。

PAX Coworking、2年目の終わり頃には週に50人以上もコワーキングスペースの開設に興味ある人が来たことも。日本の各地で講演もさせてもらい、それを聞いた人がパクチーも食べに来るという好循環も生まれました。

現在、日本にも890ヶ所ほどコワーキングスペースがあると言われています。現在のPAX Coworkiingはご近所さんのコミュニティ。しかし、驚くほど多様な仕事と多様なアイデアを持つ人ばかりで、僕の脳みそがいつもぐるぐる動く仕事場です。

paxiblack

とある友人の紹介で来てくれたのが、猿岩石の森脇和成さん。会うのは初めてでしたが、注目の企画としてテレビではよく見ていました。僕が初めてユーラシア大陸を横断する際に、1−2ヶ月先をヒッチハイクしていました。西から東へ旅している人で、猿岩石の2人に会ったという人多数。どこのゲストハウスでも話題になっていました。それから20年以上が経ち、やっと出会うことができました。同い年でご近所ということで強いシンパシーを感じました。

paxiblack

閉店間際に連絡をくれて来てくれたのは、高知県香美市の西川さん。7月に土佐町の黒丸という集落で開いたパクチーフェスに来れなかったのでと10月に会いに来てれました。たまたま翌週近くに行く用事があったのですぐに再会を果たしたのですが、そのことをめっちゃ喜んでくれたようです。また上京の機会に立ち寄ってくれました。

面白い人、動く人とは、意思があれば何度でも出会えるものです。近くに住んでいてもなかなか会えない人も多いですね。パクチーハウスとPAX Coworkingは経堂の店舗を来年3月10日に閉めますが、その後は意思のみの力で出会いと再会を繰り返すことになるのでしょう。

誰かにとってはどこにでもいる人に、また誰かにとってはどこにもいない人に、なって行くのだと思います。

 

カウントダウン87: パクティーのパッケージデザイナーご来パク

あと87日の一日。

お知らせ8988

PAX Coworking 元メンバーの吉澤さんが一日ドロップインしに来てくれました。夜はTwitter初期からのご近所さん前屈王子ご家族、どこでもヨガの大田りっちゃん、NPO法人れんげ舎の長田さんと関係者のみなさんが来てくれました。

また、カンパク前のスピーチをしているときに、「俺の誕生日8月9日です」とおっしゃるお客さんがいて、後ほど話をしてみると同い年の方でした。同い年のパクチーの日生まれ!!! 声を発することで繋がる出会いがあります。

yangpax

PAX Coworking元メンバーの吉澤さんとの出会いは、東日本大震災後の4月。地震の影響だけでなくその直前半年間に東京で最初のコワーキングスペースを始めたり、鳥獣gigaというパクチーハウスに匹敵するぐらい面白い飲食店を立ち上げて潰したり、震災の月が初めての消費税納税の月だったりで会社経営は大ピンチでした。

これからの希望を見出すために、週に数回、ランチタイムにバインミーの提供を始めました。激烈的に昼ビールをオススメして2割ぐらいがメガジョッキを飲むという特殊な空間になりました。1日限定12食としていましたが、ワンオペだったので厨房から注文を聞く始末。来パク客が集中するとお客さんとちゃんと話す時間はありませんでした。

吉澤さんはご家族3人で来てくれていました。今や小学生になったお子さんは生まれた直後でした。いただいたご注文がバインミー1食と生ビール一杯。数がおかしいなと思いつつ、聞いている時間もなかったのでとりあえず準備して提供。他の方への対応をしているうちに帰られました。ほとんど会話もしていないのですが、少し気になっていました。

ランチタイムを終えてTwitterを確認すると、パクチーハウスに行ったけどパクチーを食べなかったという旨の投稿を見つけました。写真や内容からそのご家族だということが分かりました。そしてパクチーは苦手だから食べたくないということも。だからバインミー食べずにビールだけにしたのか!!! 日本パクチー狂会の会長として、こういう「パクチーが食べられないと思い込んでいる人」(会長の公式見解として、世界にはパクチーが嫌いな人は一人もおらず、まだその魅力に気づいていないだけだ、といのがあります)を矯正せねばということで、オンラインでのやり取りが始まりました。

「いろんな食べ方があるから絶対大丈夫!」という説得が奏功し、ゴールデンウィーク後半に何人かお友達を連れて来てくれました。そして、いろいろな食べ方を実体験。そのときに火を通せば(パク天・パクソースのパスタなど)美味しいと感じたそうです。それから2週間後に再来パクしてくれ、料理の解説をしながら同行者に説明しているのを見てビックリしました。すぐ近所に住んでいたのもあり、ちょくちょく僕のイベントに参加してくれ、やがてコワーキングのメンバーにもなりました。

paxiblack

前屈王子はTwitterの初期の頃知り合い、まだまだ店が安定しない頃いろいろ助けてもらいました。奥さまは実は、パクティーのパッケージを作ってくださった方。今、物販はしていませんが、ドリンクメニューのパクティーのところにそのデザインが残っています。

お子さんを生まれたすぐ後から連れて来てくれて、どんどん大きくなっています。昨日はヤンパクをもりもり食べていて、感激しました。

paxiblack

どこでもヨガのりっちゃんは、パクチーハウスで1年半ぐらい前に「どこでもヨガ★パクチーハウス編」を主催してくれた方。パクチーハウスから一番近い東京農業大学出身で、その近くでイベントをしたいと言ってくれたのがきっかけでした。

ヨガして、旅の話して、カンパクして食事する楽しい空間を作ってくれました。その後もちょくちょくご来パクいただいています。

paxiblack

れんげ舎の長田さんとは出会ってまだ半年弱。宮崎県日之影町の町おこしのヒントを探すという東京視察の中で、PAX Coworkingやパクチーハウス東京への訪問に同行されていたのが最初でした。長田さん自身も多様な活動の中で、「場づくり」の支援をしています(れんげ舎の中核事業)。

9月には、コンファレンスビジネスマスターズシンポジウムという、赤坂インターシティコンファレンスのプレオープンイベントで一緒にパネルディスカッションのパネラーをさせていただきました。とてもかしこまったイベントでしたが、長田さんを含む4人全員が柔軟性に溢れまくっていたため、楽しくて刺激的な時間を過ごすことができました(こちらでYOUTUBE録画をご覧いただけます)。

次は檜原BASEで面白いイベント(飲み会)やる予定。楽しみです!

paxiblack

その後、個人的にパクチー入りの自家製ソーセージを出しているドイツビールのお店インゴビンゴと、いつもさりげなくパクチーメニューが置かれているオーガニックイタリアンワインのお店・リコピンを訪ねて帰りました。

12月下旬の空席情報 #paxiinfo

パクチーハウス店長うっしぃです。
先日、発表がありましたように、パクチーハウスは3月10日で店舗営業を終了させることになりました。
それ以降はプロジェクト・パクチーハウスとして展開していく予定です。
この経堂の地で、パクチーを丸ごとぞんぶんに楽しんでいただけるのもあと3ヶ月ほど。
年内は29日まで営業しております。(年始は1月5日からになります)
是非みなさん、いらして下さいね!

お電話での予約は03−6310−0355までお願いします。

本ページで空席がある場合でも、当日の来パクの方で席が埋まることが多いので、確実に座りたい人はお電話ください。立ち飲みスペースもありますので、とりあえず来るのが吉!というかパク!

12月13日(水) 残2席
14日(木) 残25席
15日(金) 満席!
16日(土) 満席!
17日(日) 満席!
18日(月) 残18席
19日(火) 残30席
20日(水) 残18席
21日(木) 残19席
22日(金) 満席!
23日(土) 満席!
24日(日) 満席!
25日(月) 満席!
26日(火) 満席!

27日(水) 残19席

28日(木) 満席!

29日(金) 満席!

(12月26日更新)

カウントダウン88: 砂の会

あと、88日の夜。

お知らせ89

サハラマラソン完走者の山戸えーちゃん、上田くん、西田くん、カニ星野さんが来てくれた。(砂の会)

カナダから元スタッフのひなも、現スタッフのふーちゃんと来てくれた。

IMG_0660

山戸えーちゃんは5年前のクリスマスに初来パク。連れて来てくれたのは当時長崎外語大学でプロジェクト科目という授業形態を開発していた成瀬先生。その後2年半ほど、その科目のアドバイザーみたいなことをさせてもらった。成瀬さんの後輩として来パクしたえーちゃんは当時某四つ星ホテル勤務。

「ホスピタリティを学びたくてホテルに入社したが、マニュアルばかりでそれがない」と嘆いていたので、「現代のホスピタリティはゲストハウスにあるよ」と言って国内最大のゲストハウスグループであるカオサンの小澤社長を紹介したら、気づいたら転職していた。

上田くんは、カオサンの京都の店舗でパクチー麺を外国人ゲストに提供するという話になったときにパクチー麺を買いに来てくれたのが初来パクだったようだ。その後小澤さんと僕で作った「旅人経営者の会」などのイベントで時々会うようになった。

2014年にウルトラシャルソンという東北復興応援ランニングイベントを始めることにしたとき、その趣旨に賛同してくれたのが小澤さん。そして、面白そうとその後毎回参加してくれたのがえーちゃんと上田くんだった。カオサンが社員研修として2人を派遣してくれ、彼らと東北の被災地沿岸を750kmぐらい走った。その間に彼らは結婚した。

僕がパク塩の商品開発の一環でサハラマラソン250kmを完走した後、面白いから出なよと2人に勧めたら絶対に行かないですよと言った。それなのにその数ヶ月後、パクチーハウスで行った2人の結婚披露パーティで「新婚旅行はサハラマラソン」と宣言していた。そして見事2人で完走。面白い人たち。

来年2月に夫婦で営むゲストハウス「Hostel Chapter Two Tokyo」をオープン。

paxiblack

 

カニ星野さんは、えーちゃんと上田くんの夫妻と同じ第31回サハラマラソンに出場したランナー。昨日の晩話して知ったが、ラン歴はまだ4年ぐらいらしい・・・。サハラマラソンだけでなく、今年は36時間で250kmを走るギリシャのスパルタスロンを完走。そしてその翌週にハセツネを軽々完走してしまったという・・・。

paxiblack

 

西田くんは第32回サハラマラソン完走者。今年の初めにサハラマラソンの話を聞きたいと来パク。適当な(笑)アドバイスをして勇気付け、東京シャルソン2017にも出てもらった。今年の東京シャルソンには難民の方々に参加してもらったが、それを段取りしてくれた細田くんと同じ大学だっただけでなく「面白い先輩に話を聞く」という趣旨ですでに出会っている仲だった。

また、シャルソンを初期から応援・出場してくれているコワーキング界のレジェンド松井つるみさんが、東京シャルソンのパーティに直前に会った人たちを連れて来てくれた。その一人も西田くんの大学の先生だった。一見大人しそうな普通の大学生に見えるが「持ってる」人であり、アルバイトでサハラマラソンにかかる全費用を捻出した不屈の人(かな?w)。