ウルトラシャルソン2015報告書

2015年に行なった第3回および第4回ウルトラシャルソンの報告書です。

パクチーハウス東京を運営する株式会社旅と平和の、新しい形の東北復興支援事業です。以下のリンクから保存または閲覧できます。

ウルトラシャルソン2015報告書

 

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第3回ウルトラシャルソン
7月3日(金)石巻〜女川シャルソン 22.52km +3.21km (12人/ 16人)
7月4日(土)女川〜雄勝シャルソン 34.8km (14人 / 18人)
7月5日(日)雄勝〜石巻シャルソン 50.5km (11人 / 16人)
7月6日(月)石巻〜東松島シャルソン 20.19km (14人 / 16人)
合計 131.22km

第4回ウルトラシャルソン
8日21日(金)ウォームアップラン:月観の松〜矢本 3.64km (14人 / 17人)
8月22日(土)矢本〜塩釜〜七ヶ浜シャルソン 5.68km+30km (20人 / 21人)
8月23日(日)七ヶ浜〜多賀城〜仙台シャルソン 30.17km (23人 / 30人)
8月24日(月)番外編:仙台城(青葉城)訪問(11人)
合計 69.49km

パクチー収穫&足柄牛BBQ@松田町

パクチーを収穫し、足柄牛のBBQを楽しみませんか?

5月21日(土) 先着10名さま限定のイベントです。神奈川県松田町にて。

神奈川県松田町では、まちぐるみでパクチーを使った町おこしに取り組もうとしています。先日、初めてのパクチーが育ちました。パクチーハウス店主Kyo paxiは松田町からほど近い秦野市の出身。地元でのパクチーによる展開に少しでも協力したいと思い、第一弾としてパクチーと名産の足柄牛のBBQをしようということになりました。

美味しいパクチーと美味しい足柄牛を楽しみながら、パクチーハウス東京から小田急線で約1時間の新しいパクチー生産地・松田町を堪能しませんか。人数超限定となりますが、パクチーが好きな人、すぐ近くにある自然に興味のある人はぜひご参加ください。

参加表明はFacebookのイベントページにて。確認後、主催者よりの連絡で参加確定です。基本先着順ですが、順番が分からない場合は抽選といたしますので、参加表明のほかイベントページになにか投稿していただけると助かります。

[パクチー収穫&足柄牛BBQ@松田町]
日時: 2016年5月21日(土)11:00集合
集合場所:小田急線新松田駅
会費: 6000円(移動および足柄牛BBQの飲食代込み)
主催:松田活性化協会・日本パクチー狂会
協力:パクチーハウス東京
お申し込み: https://www.facebook.com/events/512670555592003/

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パク塩でサハラマラソン完走

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2015年4月 パクチーハウス東京店主、ひんぎゃの塩にフランス産最高級乾燥パクチーを配合した「パク塩」サンプルを持ってサハラマラソンに出場。そして完走。
2015年4月 エスビー食品にてサハラマラソン完走報告を含む社員向け“パクチーライブ”を敢行。「パク塩」製造への大きな第一歩
2015年11月 エスビー食品によるOEMでひんぎゃの塩にフランス産最高級乾燥パクチーを配合した「パク塩」の発売を発表
2015年12月 「パク塩」販売開始
2016年1月 「パク塩」でのウルトラランナーのサポートを開始
2016年3月 サハラマラソンのオーバーナイトステージ練習会(京都→有馬温泉)で「パク塩」が大人気
2016年4月 7人が「パク塩」を携帯してサハラマラソンに参加。全員完走。

  

麺のルーツ・ラグマン

完全無欠のパクチー主義者Kyo paxiです。

今月発売の『dancyu』(2016年5月号)で、「パクチー偏愛主義」という特集が組まれ、パクチーハウス東京の「パクソースのパスタ」も掲載されている。ぜひ買ってお読みいただきたいのですが、パクチー特集以外にも楽しい記事が盛りだくさんでした。

特に僕が「いいね!」と思ったのは「東京だからこそ食べられる現地の味〜東京じゃない」という石田ゆうすけさんによる特集記事。7年半自転車で旅した中で忘れられない味として、ウガリ(ケニア)・ラグメン(中国・新疆)・ソペス(メキシコ)を出す東京の店を紹介している。

その中で「ラグメン」にスポットを当てたい。僕は自分自身が旅先でそう聞いてきたので「ラグマン」と呼び、パクチーハウス東京では「ラグマン鍋」というアレンジ料理を提供している。

「世界一の麺料理だ!」と思うぐらい旨かった。

これには同感。というか、ラグマンの説明をするときに必ず言っているフレーズが石田さんの文章にあって感激した。ラグマン鍋は世界で一番美味しい麺料理と、世界で一番楽しい日本の鍋という文化を融合してパクチーを加えたものですと、作りながらいつも解説している。

うどんに似た麺に〝ラム肉の野菜炒め〟を載せた料理で、ウイグル族は毎日のように食べている。実際、田舎に行くとラグメンしかないことも多く・・・

僕はラグマンが本当に気に入り、1日4食これを食べていた。なぜ4食かというと、うまいから毎食食べていたからであり、中国国内にある時差も関係している。中国は全土で「北京時間」を採用している。新疆ウイグル自治区は2時間ほどずれた場所にあるのだが時計は北京時間なので、感覚的に2時間ずれた生活をしている。しかし、素人旅行者の僕はついつい北京時間の朝に起き、ウイグルの人たちの早朝に朝食を求めていた。必然的に昼も夜も2時間早めに食事をとることになるが、夜は夜でいろんな人たちと飲むので早く寝るわけではない。そして〆のラグマンだ。朝昼晩しっかり食べ、飲んだ後にラーメンを食べたというとイメージしやすいだろうか。

「うどんに似た麺」は、うどんからアレンジして作ったパクチーハウス東京オリジナルのパクチー麺を使用。本場の麺を打つときには卵を混ぜるらしいのだが、元々パクチー麺には卵を使っていないので、麺を入れると同時に溶き卵を入れてラグマンを完成させることにしている。

ラグマンはラーメンとミートソースの起源と言われている。東に行ってラーメンになったということで、日清食品の安藤百福さんもラグマンを新疆へ食べに行ったとたしか日経新聞『私の履歴書』に書かれていた。そしてずっと西へ行ってミートソースができたという。『東京カレンダー』がこんな記事を書いてくれている。

僕が食べまくったラグマンは、いつも大盛りの料理だった。巨大な丼にうどんでいうところの3玉分ぐらいの麺が入っていたと記憶している。パクチーハウス東京のラグマン鍋がお腹が苦しくなるような量に設計しているのもそのためだ。せっかく来たからといろいろな料理を食べてラグマン鍋も食べたいというお客さんが結構いるけど、僕の本音としてはラグマン鍋に集中してほしい。一度になんでもかんでもやろうとしないで、一つのことだけをするのが人生を楽しんだり成果を上げるために大切だと、僕はサハラマラソンで学んだ。お客さんにもそうしてほしいと思っている。「余計なもの注文するなよ」とまでは言わないけどね。

ラグマン鍋は事前予約で、4人以上から人数分のご注文のみ承っています。それはここに書いたストーリーを遵守するため。パクチーハウス東京の料理は、僕の旅と繋がっている。

 

石田さんの記事「東京じゃない」で紹介されていた「こんなにすごい麺料理なのに、なんで東京にこの一店舗だけなんだろう」というシルクロード・タリムウイグルレストラン(初台)にぜひ行ってみましょう。僕も近々!

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ぱくぱく!パクチーナイト 2016【5/11お台場にて】

 

今年もやります。パクチーライブ。

ぱくぱく!パクチーナイト 2016

5月11日(水)19時〜お台場・東京カルチャーカルチャー」 にて。

 

『創業前から「ありえない」「信じられない」「アホ」と言われたパクチー料理専門店も足掛け10年目!この間にパクチーは「誰も知らないマイナーなハーブ」から「好き嫌いがはっきりする食材」へと世の中での評価が変わり、“パクチーブーム”と言われるようにもなりました。
パクチー料理専門店に注目が集まりがちですが、居酒屋やラーメン屋、イタリアンその他、これまでパクチーと無縁と思われていた飲食店が、パクチー料理を数品出すことも珍しくなくなりました。パクチーはブームから、すでに文化となりつつあります。
とはいえ、世の中にあるパクチー情報は間違いだらけ。日本パクチー狂会時代から蓄積してきた情報で、世界でなぜパクチーが必要とされ、世界中で食べられてるのか、豊富な情報と適当な感性で話します!』

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*会場はパクチーハウス東京ではないのでご注意ください。お申し込みはイープラスから。

*写真は前回イベントレポートを書いてくださったイベニアさんよりお借りしました。

日本でサハラマラソンをやってみた

“世界一過酷”と形容される サハラマラソン完走から1年 。

パクチーハウス東京の「89」カ月を記念して、

パクチーを扱う店も増えてきたので、
それまでは“遠慮がちに”パクチーを語ってきましたが
89カ月を機に自信を持ってパクチー語らせてもらいますよ
さぁパクチー(389)の時代ですというネタで

砂漠(389)に行って1週間で約250kmを走りました。

そして、その報告会を「砂漠にパクチーを生やす」と題して、

不可能と思われるていることもその気になって時間をかければなんとかなるかもしれない

というメッセージを伝えたいと思いました。

パクチー料理専門店も「ありえない」という評価からのスタートでしたので。

 

そして水分補給と砂漠での調理にパク塩を使うことで
ウルトラアスリートにとってのパク塩の有用性を身を以て証明するという
目的もありました。

そしてできたのがこの企画:パク塩でウルトラマラソンを走ろう

 

こうしたネタを含めつつ、旅の一環としてサハラマラソンに出場したのですが、
その体験は素晴らしいものでした。
その後多くの人にサハラマラソンの素晴らしさを力説し、
今年は何人もの友人が出場することになりました。
(そして全員完走! おめでとう)

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彼らを応援する気持ちと、
より面白いことをしてやろうという気持ちで、
「サハラマラソンX」というイベントを作り、やりきりました。

 

サハラマラソンと同じ距離を、毎日走ろうというシンプルなもの。
しかし、走るだけでなく日常生活を送りながらなので、
サハラにいるときよりもっと過酷になるだろう
“世界一過酷より過酷”というわけです。

 

こんな人が経営しているパクチーハウス東京をよろしくお願いします。

 

・サハラマラソンXイベントページ

https://www.facebook.com/events/1617830248478991/
・各ステージの記録
1: Stage1: 34km 郡山など
2: http://beemanet.com/kyoblog/2016/04/mdsx-2016-stage2.html
3: Stage3: 37.5km 東京砂漠
4: http://beemanet.com/kyoblog/2016/04/mdsx-2016-overnightstage.html
5: http://beemanet.com/kyoblog/2016/04/mdsx-2016-marathonstage.html
C: http://beemanet.com/kyoblog/2016/04/mdsx-2016-charitystage.html

「cinemo PAX」始めます〜親友・小森くんより

「映画で旅する」ことを目的に、パクチーハウス東京では「cinemo PAX」というプロジェクトを始めます。それに先駆けてその仕組みを提供してくれるユナイテッドピープルの関根健次さんを招いて、4月16日(土)にトーク&パクチーパーティをします。

僕たちの説明では分かりにくいかもしれないので、友人たちがイベントをシェアした際に書いた文章をブログでいくつか紹介します。

親友・小森くんより

世界平和は好きだけど、僕は世界のどっかにいるまだ、知らない人のことを思うより、真横にいる家族や友達と全力で付き合うことが、世界平和につながったらいいなぁと思っています。もちろん、純粋な旅も好きだけど、僕自身、色んな所に住むことで、そこに会いに来てくれたり、会いに行った友達や家族、とは、朝まで付き合うつもりで、いつも前後2日をオフにして、会える日を待ち焦がれています。
とはいえ、新しい人との出会いをめんどくさがる性格でもある僕に、その性格を知った上でKyo Sataniは、いつも新しい人を紹介してくれる。そんな佐谷の行動は、世界平和に繋がっているんだと合点がいきました。
そんな、佐谷が、映画をいつでもどこでも開催できる仕組みを作った人と、トークします。ぜひ、お越しを!
また、最近一緒に仕事してるHirokazu Kishidaに、常日頃から、『移動式人間映画館』になれと言っているんですが、岸田もこの話を聞いて、早く『移動式人間映画館』になってほしいと思います。
では、お時間ある方は、ぜひ、ご参加を!

 

“映画で旅する” トーク&パクチーパーティ

https://www.facebook.com/events/810965382342731/

 

「cinemo PAX」始めます〜ドキュメンタリー作家・岸田浩和さんより

「映画で旅する」ことを目的に、パクチーハウス東京では「cinemo PAX」というプロジェクトを始めます。それに先駆けてその仕組みを提供してくれるユナイテッドピープルの関根健次さんを招いて、4月16日(土)にトーク&パクチーパーティをします。

僕たちの説明では分かりにくいかもしれないので、友人たちがイベントをシェアした際に書いた文章をブログでいくつか紹介します。

Documentary4 inc. 岸田浩和さん

佐谷 恭から教えてもらった。cinemo(シネモ)という、映画上映プラットフォームに関するトークライブ。かなり興味深い。このシネモは、国内外の優れた、尖った、でもなかなか映画館で掛からないドキュメンタリー作を、「市民上映会」を通して上映し、多くの人に見てもらおうという仕組みらしい。近くでこんな上映会があるよとお知らせが来るのと、上映会を主催したいひとが、「上映会するから来て」と告知し集客できるプラットフォームになっているようだ。制作者は、映画を撮っても配給に乗らなければお金が回収できない、ひとに見てもらえないという悩みが多いと思うので、これは良い仕組みだと感じた。

また、「誰でも、上映の主催者になれる」と言う点もすばらしい。映画は、テレビやネット動画と違って、多くの人が一つのスクリーンを囲んで視聴するので、1つの共有体験から対話が生まれることが特別だと思う。「映画を通して、人が集ったり、新しいコミュニケーションが生まれ、そこから社会の課題解決が生まれていく」というのは、制作者の願いでもあるし、広まって欲しい動きだと思う。旅と平和を掲げるパクチーハウスの佐谷とのtalkというのも興味深い。とにかく行くことにします。

“映画で旅する” トーク&パクチーパーティ
https://www.facebook.com/events/810965382342731/

パクチーハウス店主に経歴詐称疑惑

4月1日発売の『週刊文春』でパクチーハウス東京の店主が経歴を詐称している可能性が指摘されている。

ショーンPこと、ショーン・パクアイドル佐谷は、所属していたとされる京都大学での出席率が極めて低かったと数年前から指摘があったが、留学先のイギリスでも大学院の講義より酒場での目撃率が高かった。また、修士論文の指導教官とも意見が合わず、論文の骨子を決める前に英国から出国したとの記録が残っている。

パクチーハウス東京は当初からその存在が「ありえない」とされながら、設立の発表から8年9カ月経った今も店舗運営を続けている。3年続けばいい方とされる飲食業において、新聞、テレビ、雑誌などの取材を890回以上も受け過剰に存在をアピールする同店には実に怪しい「事実」が積み重ねられている。

京都大学総合人間学部卒業?

京都大学総合人間学部の入学式でショーンPと知り合ったという現ハノイ大使館勤務の男性I氏によると、ショーンPは常に大学を通り過ぎて三条木屋町方面へ向かっていたという。「大学で会うとしたら学割証を取りにくるときぐらいでしょうか。頻繁に国内外をウロウロしていましたよ」と指摘。「朝ごはんは米に限る」といいながら米どころ宮城県出身者らと朝から日本酒を飲むことも。ショーンP本人がインタビューなどでも「大学生活4年間のうち通算すると1年ぐらい海外を旅していました」と述べているが、国内の旅も含めるとほとんど京都にはいなかったことになる。卒業式には顔を見せたが、なぜかアフリカの民族衣装を着ていたそうだ。

大学の教官からもこんな声が上がっている。「卒論発表会の時期をずらしてくれと言うんです。そんな学生は前代未聞。結局ごり押しで一人卒論発表会を行なって、ほかの多くの学生が仕上げに苦労している頃にはインド洋を船で渡っていましたよ」。誠に勝手である。

大学の試験をレポートに変えてほしいと何度も依頼された中国人講師(当時)も嘆く。「私が設定した試験日に『受けられない』と言うのです。あなたの出身国にも行くし中国語で旅行記を書くから認めろと強く主張されました」。帰国後は授業時間を使って中国語で書いた旅行記を音読。大学の講義を自らの発音チェックに私物化していたようだ。

その他、「講義は眠い」と自分勝手な発言を繰り返し、ゼミ形式の授業ばかり登録していたという。ほとんどの学生が発言しないのをいいことに、「授業初日に場を仕切って自分の好きなテーマでの発表を決めてしまう。発表のない日は姿を現さないこともあった」(前出指導教官)。また、海外一人旅から帰る度にゼミに突然顔を出し、持論を展開。『書を持って旅に出よう』と、純粋な他の学生たちを洗脳した。寺山修司の『書を捨てよ町に出よう』のパロディだが、この頃からパクり癖は変わっていないようだ。

英ブラッドフォード大学大学院(平和学専攻)?

ショーンPは大学卒業後、大手電機メーカーと立ち上げ直後のベンチャー企業で勤務した。このわずか5年の間に南インドを半周したほか、ユーラシア大陸を2度も横断したという。当時の日本の一般企業の常識からしてありえない。そして、自らのテーマである「旅と平和」をテーマに論文を書くとして婚約者を置いてイギリスに渡った。

イギリスでは“平和学が初めて大学の専攻になった”というブラッドフォード大学の大学院で平和学専攻コースに入ったことが判明している。同じコースに所属し、修了後は国連機関を渡り歩いている日本人の同級生N氏に話を聞いた。「社会人経験がある方だったので頼りにしていましたが、ウサギ肉を捌いて食べようと言い出すなど、突拍子もない印象があります。また、私が出席できなかったHuman Rightsの講義の内容を尋ねとき、『人権に関する話だったよ』というのです。講義の内容を全く理解していなかったんでしょうね」。

イギリスの大学院は9月に始まり5月に全ての講義・ゼミが終わる。その後夏休みなどはなく、そのまま論文執筆期間に突入し、入学からちょうど1年ぐらいで過程を終えることになる。休みがほとんどないため、アメリカ等の教育機関に比べて早く卒業できる。課題提出も多く、かなり忙しい日々を送るようだ。そんな中、ショーンPは「寮にいても腐る」といって週のうち4日ほどブラッドフォードから逃避していた。スコットランドやウェールズのパブでクレジットカードを使った記録が多数残っている。ショーンPの英語力のなさは同級生の発言などから明らかで、分かりそうで分からないイングランドにいるより、訛りの強い地方に行くことで安心感を得ていたようだ。ショーンPはシベリア鉄道に乗車した体験談においても「酒を飲めば言語はいらない」と発言している。

ショーンPの大学院での論文を指導すべき立場にあった英国軍出身のドクターDは、振り返る。「英国におけるマスターコース(MA=修士課程)は講義で習ったことを発展させて論文にするのが通常。独自の理論を展開したいという彼と十回ほど打合せしましたが話になりませんでした」。「旅と平和」で論文を書かなければ意味がないと叫んで席を立ったショーンPについて、ドクターDは「松岡洋右のパクりかしら」と思ったという。ショーンPはドクターDに一方的に別れを告げて帰国した後、締め切り直前に電子メールで論文を提出したそうだが、ドクターDはその論文の評価について、小誌からの取材には明言を避けた。

占領という横暴

ショーンPは成人直後ぐらいより、自らの誕生日を自分で祝う会を開催している。イギリスに渡る直前の「壮行会」とイギリスから帰る直前の「送別会」も、自分で企画している。「誰も開いてくれないから」なのか。寂しい限りである。

二十代のショーンPは居酒屋で頻繁にトラブルを繰り返していた。周囲の客を巻き込んで乾杯をしようとしたり、店内にいる他の客にやたらと話しかけるので、「他のお客さまにご迷惑となりますので」とあらゆる店舗で繰り返されていた。これに対し「みんな楽しんでいるんだから迷惑ではない」と常に暴言を吐いていた。

remember-gday「壮行会」での蛮行は特に有名だ。予約をして席を取ると「2時間制」とされることに激高し、予約をしないで居座る作戦を思いついたらしい。渋谷にあるアイリッシュパブに「個別で」来店するよう友人たちに促し、店側に気づかれぬよう店を「占領」しようというのだ。結局3時間ほどでその作戦は成功し、店にいる客の89%以上を知っている状態になった時点で、見知らぬ客にも話しかけた。「友だちになろう」と。その後店内の異常な状態を感じた店員たちに制止される前に演説を始めた。約10分。パブリックな場を「占領」したと宣言した。

同様の手法はブラッドフォードでも実行した。日本に比べると英国での知り合いが少ないという理由で、大学の図書館や校舎の至る所に大学の許可無くビラを貼りまくった。結果として暇を持て余す学生がやたらと集まった。普段はあまり大学生が出入りしない、地元民に人気の「ウエザースプーン」というパブの年齢層を一気に下げ、普段落ち着いて飲んでいるイギリス紳士たちが驚愕。この日も夜更けに「占領」を宣言したが、朝方まで飲んだショーンPは「記憶にない」と言い張った。

ライブドア事件に関与?

英国からの帰国後、ショーンPは近鉄バッファローズ買収に名乗りを上げた直後のライブドアに入社する。英国ではほとんど授業を理解できなかったにもかかわらず、「日本語での情報源は貧弱すぎる」とし、“世界の視点”から日本を読み解くニュースサイトがほしいと願った。当時はインターネットでは新聞社のウェブサイトぐらいしか最新情報を入手する術がなかった。読売新聞とのやり取りに辟易しネット初の報道機関を作るというライブドア社長(当時)の堀江貴文氏に面会し、構想を伝えたところ「やれば」との返事で入社を認められた。

LANケーブルを引くところからライブドア・ニュースの立ち上げを担ったショーンPは、直後に「ニッポン放送買収」「代表者の参院選出馬」「代表者の逮捕」という事態に立て続けに直面した。「報道部門は広報とは異なるので、会社の肩を持つことなく中立」との立場で、同僚とともに内部にいながら客観的な記事を出した結果、社内から非難も出た。一方ですべての全国紙、キー局が丸パクりで報道するのを見てほくそ笑んでいた。

ショーンPはライブドア入社直後、目的や中身を考えることもなしに「社長になりたい」「起業したい」「上場したい」と話す他の社員たちを冷めた目で見ていた。しかし、在籍中に長男を授かったことが分かるやいなや、「子どもと一緒に成長したい」と“なんとなく起業”を目指してしまうことになったことから分かるように、他人の影響を受けやすい性質を持っている。

非常識

結局、「起業したい」という妄想が具体的なアイデアになる前に、ショーンPはライブドア退社を決めた。ちょうどいいタイミングでライブドア・ニュースという報道機関の閉鎖が決まったため、「事件に巻き込まれてリストラされた」と見ることもできるが、タイミングから見ると退社は本人の身勝手な行動にすぎない。

結婚の際も、子を授かった際も「無職」状態であったショーンPは、現代日本の基準から鑑みると非常識極まりない男だといって差し支えないだろう。しかも、持ち前の厚かましさから、多くの中小企業診断士や外食コンサルタントの「パクチー料理店だなんて気がふれている」という意見に耳を貸さなかった。

肩書きを利用する処世術

在籍期間などについて各社・各校に問い合わせたが「OBの個人情報について公開いたしかねます」との返事で、真偽のほどは不明だ。しかし、経歴が正しいかどうかは別として、パクチーハウス東京を開くまでの「事実」を見れば、どういう人間か推測できる。

大学の講義や中学高校の進路講話などにも招かれることの多いショーンPは「株式会社旅と平和 代表取締役」「パクチー銀行 頭取」「日本手食協会 理事長」などさまざまな肩書きを持つ。しかし、賢明な読者ならお分かりと思うが、ショーンPのいう「肩書」は自称にすぎない。講義を聴いた大学生や氏が運営するコワーキングスペースの利用経験者が「肩書きは自分で創るものだ」という主張に惑わされて、親の反対を押し切って就職活動を止めてしまったり、ダチョウ肉の普及で起業する者などが後を絶えないことは、社会的に問題があると言って差し支えないだろう。

(文=佐谷恭)


ショーンPの経歴の真偽については今後の詳しい調査が待たれるが、当人主宰の「毎年恒例の花見」で、ご自身で確認してみてはいかがだろう。参加者に制限はないそうだから、行ってみるのも一興だ。代々木公園原宿門に、4月2日(土)午後1時集合。編集部が入手した情報によると、毎年4月の第一土曜日の同じ時間、同じ場所で開催しており、「桜の開花時期に左右されない」そうだ。
https://www.facebook.com/events/951949741504544/


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