カウントダウン76:結局みんなつながっている

あと76日の夜。

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シャルソンつながりの小物さん、経堂つながりのヒデさんファミリー、元スタッフの中内くんとお客さん、経堂のあかねさん、ミレーナさん。函館から最近コワーキングを作ったという中村さんもご来パク。

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小物さんと会ったのは、第1回神戸シャルソンの時だから2012年11月です。同年2月に最初のシャルソンとしての「経堂マラソン」を開いて、その普及のためにたくさんの人に声をかけていました。この年10回目のシャルソンが神戸シャルソンでした。前日が別府シャルソンで、シャルソン創始者の僕は、フェリーで神戸に到着しました。

受付をして最初に会ったうちの一人が小物さんです。その日のランニングプランを話していたんですが、「この辺酒蔵多いから、後半は日本酒ツアーだな」という旨のことをおっしゃっていました。この人、シャルソン初めてなのにすごくよく分かっている!そう思ったのが僕の第一印象です。

学校の先生を集めて「SENSEI RUN」というのを毎週開催しているランナーです。感度が高く視野の広い方だなと思いました。小学校教師を勤める僕の弟に「SENSEI RUN」関東版をやるよう勧めましたが、まだ数回ぐらいじゃないでしょうか、興味ある人は僕の弟まで。小物さんは東北復興応援ランニング「ウルトラシャルソン」にも参加してくれ、また、これない時期でも毎回Tシャツを買ってくれます。ありがとうございます。

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経堂つながりのヒデさんは、数年前にソーヤ海さんのアーバンパーマカルチャーの書籍に関わった人で、自らの家(KYODO HOUSE)もその発想で半開放型にしてイベントなどを頻繁に開催しています。その設計中にPAX Coworkingのイベントに来ていただいたのが知り合うきっかけ。イベントだけでなく、時々道端でも会うご近所さんです。

PAX Coworkingで知り合い、ウルトラシャルソンカメラマンや土佐町での一日限りのパクチーフェスを一緒にやってくれた放浪のカメラマンの友人・石川拓也くんとヒデさんが、2年ぐらいまでに突然一緒に来てくれたことがありました。ニューヨーク時代に一緒だったそうです。

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ヒデさんの隣にいたグループは、元スタッフの中内くんと、彼が旅の途中でうちに遊びに来てくれた時に知り合ったお客さんらでした。なんで中内くんがこの人たちを知っているんだろう!と思ったらパクチーハウスで会っていたんですねw

一緒に来ていた安田さんはいつからの知り合いでしょう? パクチーハウスとPAX Coworkingのイベントはもちろん、洗濯機を引き取っていただいたこともありました。また京都にあるうちのお寺の縁もあったり・・・。しかもヒデさんとすでに接点があったそうです。これまたビックリ。旅人新年会に来パクしたのが最初(?)のともとんさんも安田さんのご紹介だったと気づきました。

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他にも経堂から、長年来てくれているあかねさん、最近初来パクから頻繁に通ってくれているブルガリア出身のミレーナちゃんも。ブルガリアといえばパクチーハウスで使っているパクチー蜂蜜がブルガリア産で、僕自身ブルガリアの田舎まで蜂蜜採集に行ったこともあるんです。

また、函館で今年コワーキングスペース「ミライベース」を始めたジャンボ中村さんも、東京コワーキングツアーの最後に一人で来てくれました。函館にもパクチー銀行の支店ができ、シャルソンが始まるといいなと思います!

カウントダウン77:メガジョッキと「Public’Speace」

あと77日の夜。

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前屈王子さん、神戸の義妹さんと。いつも立ち飲みスペース(Public’S’peace)を楽しんでくれる祥子さん、過去2回しか座ったことのない種市さんもご来パク。PAX Coworkingメンバーの平良さんも合流。

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祥子さんと初めて話したのがいつなのかは覚えていませんが、いつもさりげなく立ち飲みスタイルの交流スペース「Public’S’peace」や節目節目のパーティにいらしてくれます。東北復興応援ランニングイベントの「ウルトラシャルソン」を立ち上げようとしているときに、「岩手に縁があるから応援したい」と言ってくださり、勇気付けられました。それだけでなく、普段走る人じゃないのに、第2回ウルトラシャルソンに参加。パクチーハウス外でも何度もお会いしている大事な友人です。

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種市夫妻は最も座らないお客さん。席が空いても「Public’S’peace」にいらっしゃいます。昨年12月、そんなご夫妻に座ってもらおうと、「メガジョッキの会」を開きました。実はそれ以外にもう一回座ったことがあると、最近教えてもらいました(笑)。僕にとって興味深いお仕事されているので、閉店後も接点を持てそうです(被験者?w)。

立ち飲みxメガジョッキxパーティで接点ありそうなのに、ご夫妻と祥子さんらが初対面だったというのは意外でした。

paxiblack後から、PAX Coworkingの平良さんがメガジョッキを飲みに来てくれたので、合流。メガジョッキと「Public’Speace」はパクチーハウスの大きな流れを作ったなぁと思います。どちらも開店時はなく、メガジョッキは2008年8月30日(経堂ビアガーデンの記念すべき初回の日)から、「Public’Speace」は2009年4月7日から始まったと記憶しています。

また、閉店宣言直後に来てくれた前屈王子親子が、10日後のこの夜、神戸の妹さんと一緒に来てくれました。「とりあえず行かな」とフットワーク来てくださることに感謝します。

カウントダウン78:みんなサハラやメドックへ

あと78日の夜。

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経堂の新しいミュージックバーの開店祝いに行ってからの営業。たくさんの知人、そして旧友つながりの新しい友人も。そしてまた、バーで〆た夜。

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パクチーハウスの上にあるPAX Coworkingで開業準備したミュージックバー「bar PENTA」が午後5時にオープン。半年ほど前シカゴに視察に行かれていたので、開店祝い最初の一杯は、Goose IPAにしました。

開店直後に店に入ったのは僕を含めて4人でした。そのうちの一人が、ステージに敷いてあるオリジナルカーペットを製作した会社の方。つい1カ月ほど前、PAX Coworkingに打合せにたまたま来ていたのですが、9月でメンバーを離れたマスターが久しぶりにドロップイン利用をしていました。オリジナルのカーペットが一枚から作れると聞いて、あっという間に商談に突入。事例も作りたいということでいいお話にまとまったようです。こういう思いもかけないコラボレーションが無数に起こるのが子ワーキングです。最近カッコイイところが増えましたが、コワーキング内のコミュニケーションがぎこちないところが多く、残念。パクチーハウス東京と当時にPAX Coworkingを閉じますが、僕は色々なコワーキングに行っていい感じのコミュニケーションを作るお手伝いを今後したいとも思っています。

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開店直後に香菜子さん・登美子さんらのバリ舞踊グループ。5年前のクリスマスにガムラン演奏付きでバリ舞踊を行なってくれたグループ。海外赴任の多い奥様方で、いつも世界の色々なところから来たり、行ったり・・・。話を聞いているだけでも楽しいです。

香菜子さんと最初に会ったのは、たしか2010年のパクチーの日の数日前。パクの内弁当を買いたいと連絡があり、基本的にテイクアウトはしていない旨をまず伝えると、「私はパクチーの子と書いて香菜子なんです」という趣旨のことをおっしゃったので非常に印象に残っています。その後ずーーっと、お名前からして気になる存在です(笑)。

ちなみにパクチーハウスがテイクアウトおよび残った料理の持ち帰りをしていただいていない理由は、「この場所で食べて欲しい」からです。その分で売上を上げるより、その場で起こる何かが人生のチャンスになるかもしれないからです。珍しい料理、話題の料理を食べてもらうことより、ここで起こるアクシデントに重きを置いています。

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5月に初来パクしてその翌日にシブヤ大学の肩書に関するワークショップに来てくれた森岡さんは、その後毎月来てくれています。直後にモロッコを旅して、サハラマラソン行こうよと言い続けてきましたが、この夜まさかの出場宣言! こうしてみんな、人はサハラへ行くんです。いつも面白い人を連れてきている本人は至って普通に面白すぎる人! たくさん笑わせてもらいました。

一緒に来ていた河合さんは、この日はお客さんとして飲んでいたスタッフ・麻里絵ちゃんの友達でした。パクチーハウスに入ってすぐに盛り上がっているのを見て、周りもどよめきました。結構そういうことがたくさんある店ですが、その度に周囲も嬉しいサプライズです。

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隣に楽しそうなグループがいました。来パク時から目があって、その後3回ぐらい目があったので少し時間が空いた時にまじまじと見てみたら、話しかけてくれました。僕が20年ほど前に参加した世界青年の船(内閣府主催)の同期の多和田夫妻が主筆の離島経済新聞(リトケイ)のスタッフを勤めている松本さんという方でした。

多和田くんと最後に会ったのは4年前の那覇だなぁと懐かしく思い出していたら、松本さんが今は日田(大分)にいますよと教えてくれました。2カ月前日田にいたんですよ!惜しかったです。多和田くんの奥さんとは、本人経由でなくその前に知り合っていました。リトケイをしながらプロデュース(?)していた『せたがや区民手帖』の取材で来てくれてたんです。

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先日、多拠点居住に関するトーク&パーティで初めて会い、4日後には佐久(長野)のワークショップにも来てくれ、さらにはPAX Coworkingの忘年会にも参加してくれた山下さんが、サハラマラソンランナーの神山さんと来パク。山下さん、「出ない」って言ってたけど、数年もかからないだろうと思います。ものすごい行動力のある鍼灸師さん。楽しみにしています。

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3年ほど前に、パクチーハウスで出会い、メドックマラソンに出たいという話をしていた武田さんから嬉しい報告をいただきました。最近ついにサブ4(フルマラソン4時間以内)を達成したので、来年はメドックマラソンに出たいとのこと! その時からパクチー・ランニング・クラブに入ってくださっていたのですが、来年はついにボルドーで会えるんでしょうね。楽しみです。

 

なんだかもう、すべての人はメドックマラソンかサハラマラソンに、最終的には行ってしまうのではないかと思ってしまいます。

そして、スタッフと一緒にもう一度「bar PENTA」に行って一日を〆ました。酔い一日でした。

 

カウントダウン79: 自らパクチーハウスをやってください!

あと79日の夜。

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落チ語リの彩ちゃん、銀座ソーシャル映画祭の西村さん、京都から生春巻好きの植田さんが来パクしてくれました。

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彩ちゃんがやっている「落チ語リ」というのは彼女の創作演芸。

落語にしては動きすぎ
芝居にしては役を兼ねすぎ
朗読にしては本が無い
それが
彩遊戯の落チ語リ(いろどりゆうぎのおちがたり)

丹念に作り上げた創作演芸を1回か2回だけ演じています。場所はさまざま。舞台を探すのではなく、舞台を作って、飲食店やコワーキングスペース、銭湯などさまざまな場所でやっています。最近世界中で流行っているクラフトビールみたいな感じです。メジャーなところとは全然違う、趣深い味わいです。

彩ちゃんと会ったのは、数年前に僕に会いに来てくれたシェフ・清水さんの縁でした。清水さんとはサラリーマンから飲食の世界に転身したという共通点があり、しかもそのサラリーマンというのが僕の古巣・富士通で、僕が入社する前の日までいたという偶然がありました。当時、清水さんが仕事していたバーに食事に行った際に隣にいた2人組のうちの一人が彩ちゃんでした。思えばすごい縁ですね。

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銀座ソーシャル映画祭の西村さんとは、昨年「cinemo PAX」というタイトルで“映画見てトークしてパクチー食べる”ランチ会を何度か開催した時の縁で会いました。銀座ソーシャル映画祭も、同じ「cinemo」という市民上映の仕組みを使って運営されています。

「cinemo PAX」のオープニングとして、「cinemo」運営のユナイテッドピープル社長の関根健次さんを招いてパーティをした際に、西村さんが初来パクしてくれました。「cinemo PAX」には、節電生活/「ない」暮らしの稲垣えみ子さん、TSUTAYA図書館とパクチーで名高い前武雄市長の樋渡啓祐さん、新橋のペルー料理の名店「荒井商店」の荒井隆宏さんなどがゲストで来てくださいました。

各地で行われている「cinemo」の自主上映に、今後もぜひ注目して行きましょう!

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パクチーハウスの生春巻を愛してくれている植田さん、なぜか彼女が来る日はいつも早々に売り切れてしまうのです。余る日も結構あるのですが・・・。昨日は一人2本ずつ食べていただき、笑顔を見れて嬉しかったです。

植田さんと、もう2グループから、閉店について残念だという話から、結構長いことお話しさせていただきました。お客さんがたくさん来ていただいている中での店舗閉鎖という意思決定ですが、結構パクチーが広がって来た現状を見て、さらに普及させるために僕自身が動く必要があるという判断のもとの「無店舗展開」です。見通しは全くありませんが、パクチーハウス東京の料理を愛してくれるみなさまや、パクチーハウスの料理を店で出して行きたいと思ってくれる飲食店のみなさまのために、分かりやすい形でのレシピ公開など少しずつやって行きますので、ぜひ自らパクチーハウスをやってください!

カウントダウン80: 世田谷商店街連合会青年部

あと80日の夜。

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烏山から、久しぶりに来パクの倉田くん。先週カンパク中に声を上げてくれ知り合ったパクチーTシャツの中谷さんが、早くも再来パク。現在バルセロナ写真展を開催中のレイちゃんとジャズつながりの方々も盛り上がってくれました。数ヶ月に一度、この何年も通ってくださっているグループは、「閉まるまで何回も来るよ」と。ありがとうございます。

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倉田くんは商店街つながりで知り合いました。パクチーハウスで商店街連合会の青年部の会合をしたのがきっかけでした。

パクチーハウスの近所で、緑のパクチーバゲットやパク塩アイスを製造してくれているダズンフォーの籔本さんが、僕が店を開いて右も左も分からないころに声をかけてくださり、近隣店舗のコラボイベントをしたり、2年目には強く推薦してくれ経堂農大通り商店街の理事にもなりました。そんな動きの中で、世田谷の商店街の青年部の人たちが(パクチー好き嫌いを問わず)パクチーハウスで会合を開いてくれたのです。

その後、歳も近かったので倉田くんとはよく遊びました。パクチーハウスで毎月「倉田くんと飲む会」をしてくれたこともあるし、農大通り商店街の員外理事にもなってくれたし。また、シャルソンの初期から手伝ってくれ、ご当地シャルソン協会・事務局長も引き受けてくれました。

最近しばらくは、烏山を通るときにすれ違いばかりで、会うのは世田谷でなく地方が多かったです。

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パクチーハウス店内(展示用のスペースをPieceOfPeaceプラザと呼んでいます)バルセロナ写真展開催中のレイちゃんはジャズ関係のお友達をたくさん連れてきてくれました。新しいポスターも入ったので、まだ見ていない方は是非。年内開催中です。

お友達とわいわい会話に加わらせてもらいましたが、その結果、鋭利事業(≠営利事業)という新しい言葉も生まれました。パクチーハウスを作って以来、多くのお客さんから僕のとるべき進路についてのヒントをいただいてきました。カウントダウンで毎日記録を残すことにトライしているのも、それを少しでも記録に残したいという思いからです。

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先週以来2度目の中谷さんは、趣味のバレーボールと、わざわざ取り寄せる蜂蜜の話なども。自分と違う世界観を持っている人(みんなそうなんだけど)と話すのは本当に楽しいです。

カウントダウン81: パクチー・ランニング・クラブ

あと81日の夜。

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静かな夜。パクチー・ランニング・クラブ忘年会は欠席もあり、3人のみ。クラブ活動としてはもっとも人数が少なかったが、その分濃い時間が流れた。

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パクチー・ランニング・クラブ(パクラン)は、メドックマラソンに本気で行きたい人が集まる“走らないランニングクラブ”。走る練習は各自でして、飲む練習と情報交換を行う不定期な飲み会です。メドックマラソンというのはコース上に給ワイン所があり、ラスト3kmで生牡蠣やステーキが食べられる、まさに酔狂なフルマラソン。世界の珍マラソンの中でも知名度が高く、「一度は行ってみたい」という人が相当数います。

しかし申し込みが英語かフランス語だし、それなりに遠いし、「いつか」を「いつか」のまま放置している人が多いことに気づいたので、メドックマラソンに行く気運を上げていこうということで開き始めました。結果、毎年20-30人がパクランのメンバーとしてメドックマラソンに参加しています。

中西さんは初期のメンバーですが、まだメドックマラソンに行っていません。ただ、その後ランからトライアスロンにハマったそうで、いつでも泳げるように山から海へ引っ越したという熱の入れよう。たぶん会ったのが3年ぶりぐらいでしたので、その変貌ぶりに驚くばかりでした。

けいこさんは日本パクチー狂会を立ち上げてすぐの頃に、mixi経由でパクチーの種を渡したのが最初だったらしいです。パクチーハウス東京の立ち上げ初期から来てくれていたそうで、僕がメドックマラソンに毎年行こうとパクランを立ち上げたときにメンバーとなり、面識ができました。その後、パクランやメドックマラソンではもちろん、南アフリカのコムラッズマラソンも一度ご一緒しました。

コムラッズマラソンは世界最古のウルトラマラソンと言われています。僕が初めてのパクパクマラソンとしてチャレンジした大会です(89km走るマラソンの第89回大会に出て8時間90分で完走)。けいこさんはコムラッズに毎年出場しており、あと数年でグリーンナンバーズクラブ(完走10回)に入るとのことです。日本人女性で2人目か3人目です。

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メドックマラソンとパクチー・ランニング・クラブは、僕の発想、行動、人生を大きく変えました。常に面白いアイデアをもらい、思いつきに背中を押されまくることができたのは愛すべき変人の皆さんのおかげです。

営業終了後、スタッフとCOEDOの「彩 -Sai-」をいただき、一日の総仕上げ。COEDO朝霧社長には、6年前に旅人経営者の会の企画でトークイベントを行って以来、大変お世話になりました。

カウントダウン82: 商圏二万キロ

あと82日の夜。

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パクチーハウス初期からのお客さんの山口聡子さん、出会いは15年前のイランの結婚式ツアーの常連オクラくんが来てくれました。スタッフゆみちゃんが、ブラジルからお友達のガブちゃんを連れて来てくれました。

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山口聡子さんが初めて来た時、山口聡子さんと一緒だった。つまり、同姓同名。当時流行っていたmixiで知り合い、初対面の場所をパクチーハウス東京に選んでくれたのです。その話を聞いてめっちゃ興奮したのを思い出します。僕は「名前」や「ネーミング」をとても大切に思っていますし、「偶然の一致」に大きな縁を感じていますので。

山口聡子さんとの出会いがあったからこそ、「washizuの会」が起こるきっかけとなるツイートをしたり、僕自身も「恭会」を立ち上げたりしたんだと思います。

昨日は一旦自宅に帰ろうとしたところ、山口聡子さんが来パクしてくれたという連絡があって急いで戻りました。お忙しいようで30分しかいれないというのに、立ち寄ってくれて嬉しかったです。夕方までとある講座で一緒だったという高橋さんを連れて来てくれました。結局高橋さんは閉店近くまでいてくれたのでたっぷりお話しすることができました。

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スタッフのゆみちゃんが地元ブラジルの友達ガブちゃんを連れて来てくれました。多店舗展開に興味のない僕は、世界唯一の存在でありたいし、世界中からお客さんが来て欲しいと思っているので「商圏二万キロ」という言い方をしています。まさに地球の裏側から来てくれて嬉しかったです。

パクチータイムはガブちゃんのためにカンパクしました。

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高橋さんとしゃべっていたところ、オクラが来パク! オクラは僕が初めての海外一人旅の際に韓国・慶州で会った友人の後輩にあたります。その友人とはその後も頻繁に旅の話をする仲で、僕が学生時代に行ったイランを旅先の候補としてオススメしたことがありました。イランのイスファハンで今の奥さんと出会ったので、「結婚式を出会った場所でやりたい」と相談がありました。イラン側と1年ぐらいやり取りをして、イスファハン・アリガプ宮殿での結婚式を手伝いました。その過程でオクラとも知り合ったのでした。パクチーハウスから歩いて15分ぐらいのところに住んでいるので、友達を連れて頻繁に来てくれています。

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昨日働いていたアルバイトスタッフの先輩も来ていました。料理を運んだ時にお互い「あれ?」という感じだったらしいですが。その先輩、修論のテーマをパクチーに絡めたとのこと。もっと早く会えればよかったですね! 僕のツイッターを見ていてくれたようですが。

 

カウントダウン83: いつでもどこでも、会える人には会える

あと83日の夜。

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予約満席を厭わずPAX Coworkingメンバーのみっちゃんが、パクチーハウスで出会った常連の田ちゃん、プリンスらと立ち飲みスペースに。初来パクの今年4月に郡山で知り合った渡邊さんと、時々一人で来てくれる近所のひろこさんが同じグループに合流。初対面でみんな、とても盛り上がる。

旅人経営者の会で出会ったAnother Japanの山崎くん、エスビー鬼頭さんとブルックリンダイナーわっきーもご来パク。濃い週末。

カウントダウンで書いているみなさん、お知らせを見て来てくれていると思い込んでいたけど、半分ぐらいはたまたま来て、閉鎖のお知らせにビックリ。

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PAX Coworkingのみっちゃんは、1年半ほど前に初めてPAX Coworkingに来ました。最初は数回ドロップイン(一時利用)で、やがてメンバーになりました。デザインセンスがあり、発想が面白い人。会社で仕事するよりも、すでにたくさんある「やりたいこと」を始めた方が伸びると思い、独立を強く勧めました。PAX Coworkingのメンバーにプレゼンしてもらい、応援する会を数ヶ月前にやったのですが、他のメンバーが思っている以上に色々なもっており、すでに独立して仕事しているメンバーもたじたじ(笑)。そしてめでたく今年の夏に独立し、一挙にいろいろな事業を始めています。パクチーハウスにもちょくちょく来てくれ、僕と共通の友人もたくさんできました。後述のプリンスや田ちゃんはそのうちの2人です。

プリンスは経堂の飲み友達であり、パクチーハウスに頻繁に飲みに来てくれるお客さん。常連さんでプリンスのことを知らない人はいないのでは・・・と思うぐらいです。何百回も会いすぎて、いつが最初なのか思い出せないですが。

田ちゃんも初めて会ったのはいつでしょう? 世界に数枚しかないパクチーアロハシャツをいち早く購入してくれたり、僕が各所で行って来たイベントやワークショップにも参加してくれている人です。パクチーハウスで出会ったお客さんに、外でやるイベントで会うと、なんというか家族のように親近感を感じてリラックスできるのです。なお、田ちゃんは、僕がウルトラシャルソンで東北を走っている時に横でレンタカーですれ違うったこともある縁の深さです。

この3人は発表前夜にも来てくれていました。思わず「明日さー」と言ってしまいそうな状況でした。

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郡山で会った渡邊さんとは、今春、郡山の地下屋台村で出会いました。東北の復興応援としてウルトラシャルソンというランニングイベントを2014年から行っており、震災被災地を走って線でつなぎつつ、地元の方々や復興支援で活躍している人の話を聞き発信していこうという趣旨。釜石から始めて、第6回は郡山→鮫川→いわきというルートでした。

そのスタート地点というか前夜祭の際に、すぐ後ろに座っていたことで話したのがきっかけ。なんと世田谷在住というかパクチーハウスに「行きたいと思ってた」というご近所さん。スタート前からそんな縁のある人と出会えて盛り上がったのでした。「閉店」のお知らせを聞いて来てくれたのかと思ったら、全く気づかなかったそうで。このタイミングで再会できてよかったです。その直後に来た、やはりご近所の方もみっちゃんグループに合流。羨ましいぐらい盛り上がっていました。

渡邊さん、うちがよく知っている白河のパクチー農家さんもご存知で、またここでも繋がるなーと感動しました。週末地域おこし活動もしているようなので、またどこかで接点持てればと思っています。

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営業中、他にも懐かしい顔が。3年半前に旅人経営者の会の企画で、若手旅人経営者の会と称して二十代で旅系のビジネスを立ち上げた人たちをたくさん集めたピッチイベントをPAX Coworkingで行いました。Another Japanという日本国内の体験ツアーを外国人に提供するサービスをやっていた山崎くんとそれ以来の再会でした。現在は富山県高岡市で伝統工芸を守る活動をしています。彼がたまたま連れて来たのがロシア出身の方で、現在進行中のロシア特集やエントランスにある緑のマトリョーシカ、バイカルアイスマラソンの写真に喜んでくれました。

そして、閉店間際、スパイス料理の名店ガラムマサラでのスパイス忘年会(?)からの帰りに、エスビー鬼頭さんとブルックリンダイナーわっきーが立ち寄ってくれました。それぞれの視点で、パクチーハウス閉店についてお話ししてくれるのが楽しいです。

いつでもどこでも、会える人には会える。

カウントダウン84: 肩書きから始まるコミュニケーションの可能性!

あと84日の一日。

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パクチーハウス元料理長・宙さんと朝ビール。お昼はシャルソンに初回から付き合ってくれているブルックリンダイナーのわっきーのところに。その後、走って永田町へ行き、ETICのスサノオプロジェクトで出会いと再会。

パクチーハウスに戻って、娘の幼稚園時代のママ友にご挨拶。と思ったら隣にいた1ヶ月ぶりのお客さんに頼まれ即興「肩書ワークショップ」。また、Facebookのチェックインをもとに帰り際話しかけたお客さんは、10年間ずっと来続けてくれているお客さんでした。

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宙さんはパクチーハウスの2年目の終わり頃と、震災の後にいた元スタッフで、今年の秋まで5年間平間で無国籍居酒屋を営んでいました。ユーラシア大陸を自転車で横断したこともあり、初めて見た瞬間に「採用!」と決めました。料理長時代はだいぶぶつかりまくったが、詳細割愛(笑)!

2ヶ月前に下呂市に移住して、料理とビールをテーマに地域おこしに取り組んでいます。そうか、あれだけいろいろやっているのにまだ2ヶ月か、という感じ。活動的でパッション溢れる料理人です。用事の合間に少し時間が空いているというので、朝ビール。よき時間でした。

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ランチはシャルソンがまだ名づく前から(「経堂マラソン」でした)協力してくれた駒沢のブルックリンダイナーへ。ジャーパクバーガーをいただいて、パクチーハウスの経堂の店舗閉店の報告をしました。

僕は、イノベーションは連続性から生まれるものではないと思っています。過去3回、会社を辞めると決めたときも、次を決めぬまま。自分なりに悩み、考える時間が大事なのです。その時間を持つためにも、最高潮の時に自ら決めることが必要なのです。

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続けて永田町までランニング。平和学を修めた、英ブラッドフォード大学大学院時代の後輩に誘われ、ETICのスサノオプロジェクトの会合に参加しました。200人で熱気ムンムン。以前から、いろいろな人経由で話を聞いていたものの出会っていなかった方3名を含め、面白そうな人とたくさんお話ししました。

「パクチーハウスされているんですか? 以前から行きたかったんですよ!」
「ぜひお越しください。あと84日で閉めますから!」
「えっ?」
の繰り返しです。

元スタッフの安井くんと、今年の東京シャルソンにて招待選手にした難民の方々を紹介してくれたWELgee渡部さんとも再会しました。そしてWELgeeのサポートで研修を終え、滞在ビザと仕事の目処がついた招待選手Rさんとも笑顔で再会。これは嬉しかったですね。

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パクチーハウスに戻り、娘の幼稚園時代のママ友にもパクチーハウスの閉鎖をお知らせ。隣の席に教育者の研究会で1ヶ月ほど前に来パクされた方がいらしたので一緒に飲みました。研究会のミニ講演で、僕が肩書きから開ける未来の話をしたのが印象的だったそうで、肩書きの話を頼まれ短めに話をしたら、ワークショップするための紙も用意してあって驚きました。

こういうノリで活動する人大好きです。高校時代から20年ぐらい仲の良い女子会のようでしたが、肩書きをひねり出すことで全く知らなかった一面も垣間見れ面白かったとおっしゃっていました。肩書きから始まるコミュニケーションの可能性!

この突発ワークショップの途中に、永田町から上述の平和学の後輩が来パク。一緒に参加しながら話しました。彼は京都でサムライカフェ&バー「士心」という飲食店というか実は教育施設を運営しています。トリップアドバイザーで京都のナンバーワンレストランに選ばれて89%ぐらいのお客さんが旅人だそうです。

 

僕がいる間にFacebookで何度かチェックインしてくれたお客さんがいらしたので帰りがけに声をかけたら、開店直後ぐらいからいらしてくれている方でした。手食カレーやタコパクはもちろん、震災後に3ヶ月ほど、しかも超不定期営業をしていた幻のバインミーランチのことも知っていてくれて嬉しかったです。

パクチーハウスは店舗は消滅しても、記憶に残り続けると思います。そして、体験が積み重なることで世界は動いていくのです。店とかお金とかはなくなるけど、経験値が減ることはありませんから。

カウントダウン85: 東証一部所属のホームレス

あと85日の夜。

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フジヤマンボ!からの友人で会社設立にも協力してくれた小板橋くん、富士通時代の先輩方がご来パク。また、移働サラリーマン矢野さんと経堂の友・木村さんも来てくれた。

また、初めてお会いしたのだが、パクチー銀行・安曇野支店のパクチーパーティに去年参加したという方が滋賀からご来パク。繋がるご縁は嬉しいですね。

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小板橋くんは僕が初めて会社を辞めた頃からの付き合いだから、もう17年ぐらいになる。フジヤマンボ!という、年1回富士山に登ることを中心によく一緒に遊んだグループの一員。悩める二十代を共有しました(笑)。彼は数年努力して会計士に、僕は仲間に刺激を受け、2度目・3度目のユーラシア大陸横断をし、イギリスで平和学の修士号を取ることを決めた時代です。

一緒に796s(ナックルズ)というゲリラ的野球サークルを立ち上げたこともあります。昔から言葉を数字に置き換えるのが好きだったんですね、僕は。

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富士通時代の先輩方は、僕の最初の上司Wさんと、関西地区の新卒採用の際に1ヶ月ぐらい住まいまで共有したKさん、そして僕が辞める年に入って来たKくん。

Wさんは社会性のない僕に社会人の常識を教えてくれたというか、僕のやり方に合わせて会社の面白い使い方を教えてくれた人。最初の配属でそういう上司に巡り合ったのはラッキーでした。なんというか、だいぶ泳がしてくれましたので。Kさんは一時期を共有したことでその後も一緒に鍋をしたりもしたし、僕が不安なままイギリス留学のため渡航した時、たまたまロンドンに赴任していたのでイギリスで生きる知恵をたくさん授けてくれました。イギリス行く前は「俺ほどドメスティックな人間はいない」と言ってらっしゃいましたが、富士通勤務の後に世界的な企業のアジアパシフィック人事部門代表なども歴任されていました。

paxiblack移働サラリーマン矢野さんとは今年の初めにパクチーハウスで出会ったばかり。まだ会ったのは5回ぐらいですが、考えが合うというのかいつも突然登場したは面白い話を持って帰って来てくれます。

出張が多いとかではなく、自分の意思で行ったことのないところに1−2週間ごとにいきつつ、オンラインで仕事をしています。自由な会社、という訳では必ずしもなく、自由に動けるように社長と交渉して今の立場を築いたそうです。しかも所属している会社が東証一部に指定替えしたそうで、「東証一部所属のホームレス!」と喜んでいました。

そこへ、経堂でシェアハウスや塾をしながら「美味しい社会貢献」(現在はオンライン)を運営している木村さんが合流。というか矢野さんとは初対面だけど。木村さんが起業前に世田谷区の創業センター経由でこちらを知ってくれ、パクチーハウスの定休日(当時は月曜日)を使ってイベントしてくれたことなど、懐かしく思い出しました。