あと86日の夜。
PAX Coworkingの忘年会を開催。また、猿岩石の森脇さんと高知のスーパーウーマン西川さんにご来パクいただきました。スタッフ君ちゃんもお友達と。
PAX Coworkingはパクチーハウスから生まれたオフィス。「パーティするように仕事する」と言う妄想を抱いて考えること8ヶ月と9日で、Coworkingという概念に出会いました。アメリカで生まれ、ヨーロッパに概念が達しつつあった頃で、まだ少なかった各地のスペース運営者とコワーカーがメーリングリストで協力しながら面白い場づくりの知恵を共有しているシーンに加わり、東京で最初のコワーキングスペースを開くことになりました。
僕が「仕事場」を作ろうと思ったのは、パクチーハウス東京でお客さんから聞いたお話のおかげです。オープン当初から“交流する飲食店”というサブタイトルをつけ、海外のゲストハウスのように人と人とが自然に話して楽しく飲んで欲しいと気軽な気持ちで考えていました。人と人が話をすると、楽しみだけでなくいろいろなものが生まれます。ある方は、パクチーハウスのパーティで会った人と意気投合して会社を作ったし、またある方は、隣の人の話を聞いてキャリアについて考え始め、まさかの(その人談)転職をした日に僕にお礼を言いに来てくれました。一日数時間の食事の時間はもちろん、10時間近くの時間を費やす仕事の時間に革命を起こさなければ。そう思ってできたフレーズが「パーティするように仕事する」だったのです。
誰もコワーキングという言葉を知らない最初の一年は、お客さんや友人に無理矢理声をかけて行ったイベントの日以外は“孤”ワーキング状態でした。でもそのおかげで、すでにその概念が浸透しつつあるヨーロッパやその萌芽が出る直前のアジアの先駆者達と知り合うことができ、彼らの力で多くの方が海を越えてPAX Coworkingとパクチーハウス東京にやって来ました。
PAX Coworking、2年目の終わり頃には週に50人以上もコワーキングスペースの開設に興味ある人が来たことも。日本の各地で講演もさせてもらい、それを聞いた人がパクチーも食べに来るという好循環も生まれました。
現在、日本にも890ヶ所ほどコワーキングスペースがあると言われています。現在のPAX Coworkiingはご近所さんのコミュニティ。しかし、驚くほど多様な仕事と多様なアイデアを持つ人ばかりで、僕の脳みそがいつもぐるぐる動く仕事場です。
とある友人の紹介で来てくれたのが、猿岩石の森脇和成さん。会うのは初めてでしたが、注目の企画としてテレビではよく見ていました。僕が初めてユーラシア大陸を横断する際に、1−2ヶ月先をヒッチハイクしていました。西から東へ旅している人で、猿岩石の2人に会ったという人多数。どこのゲストハウスでも話題になっていました。それから20年以上が経ち、やっと出会うことができました。同い年でご近所ということで強いシンパシーを感じました。
閉店間際に連絡をくれて来てくれたのは、高知県香美市の西川さん。7月に土佐町の黒丸という集落で開いたパクチーフェスに来れなかったのでと10月に会いに来てれました。たまたま翌週近くに行く用事があったのですぐに再会を果たしたのですが、そのことをめっちゃ喜んでくれたようです。また上京の機会に立ち寄ってくれました。
面白い人、動く人とは、意思があれば何度でも出会えるものです。近くに住んでいてもなかなか会えない人も多いですね。パクチーハウスとPAX Coworkingは経堂の店舗を来年3月10日に閉めますが、その後は意思のみの力で出会いと再会を繰り返すことになるのでしょう。
誰かにとってはどこにでもいる人に、また誰かにとってはどこにもいない人に、なって行くのだと思います。
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