10月1日から「ロシア特集」開催中。ロシアや旧ソ連の国々を旅した印象をパクチー料理にまとめました。
ロシア特集の特別メニュー:
・チキン・パクライナ Коtлеtа по-Пакраина
・パクラジャンナヤ・イクラ Паклажанная икра
・パク根のボルシチ Борщ-слияние Греции и России
ロシアを初めて訪れようと思ったのは2001年のこと。大学時代に始めた旅の魅力に取り憑かれ、会社を辞められても旅はやめられなかった。ただ、旅をするその先になにがあるかは全く見えなかった。友人や同級生は、どんどん「大人」になっていった。僕はなりきれなかった。
それまでに出会った友と再会し、話をしたいと思った。友人が住む場所を線で結ぶと、ユーラシア大陸を横断するルートとなった。その行程の大部分をロシアが占めていた。
幾度かの旅でアジアの西端・トルコへ到達した後、さまざまな国々を訪れた満足感に浸っていたが、その北側をロシアが覆っていることに気づいた。おそロシア・・・。
中国→モンゴル→ロシア→バルト三国→東欧→西欧。ざっくりとそんな計画を立て、そのルートに住む友人たちに連絡をした。その計画はモンゴルのロシア大使館で打ち砕かれた。6月にある「ロシアの日」。アメリカ独立記念日をパクって作ったこの日を中心に、そのロシア大使館は1週間ほど休みと書かれていた。僕がモンゴルに滞在できるのは全部で2週間。ビザ取得に必要な日数は1週間以上なのでこの時点でモンゴルからロシアへ行く道が断たれた。
仕方がないので欧州行きのフライトを探しに旅行代理店を訪れた。最安で飛べたラトビアから欧州の旅を始め、約10カ国を経てフランスに到着。ノルマンディ地方南部にあるモン・サン・ミッシェルで日本からタイミングを合わせて来てくれた旅仲間と再会した。ロンドンあたりから帰国しようと思っていたのだが、その彼は「シベリア鉄道で帰るべき」と強く主張し、僕を説得した。飲み会そのままパリから夜行列車でブリュッセル(ベルギー)を目指し、列車を乗り継ぎハンブルグへ(ドイツ)。そこで「メガジョッキ」を飲む楽しさを知り、酩酊状態のままロストック(ドイツ)の港からタリン(エストニア)へのフェリーに乗った。
タリンでは容易にロシアビザが取得できた。モスクワより西の都市ではロシアビザが取りやすいという都市伝説が証明された。そして僕は、晴れてロシアへの入国を果たし、シベリア鉄道経由で日本に戻ったのだった。ロシア滞在中にチェコ人グループと、スウエーデンの永住権を持つ日本人と出会った。彼らとの出会いは、僕の旅や人生に対する感覚を変えた。あのときロシアへ行かずに日本に戻っていたら、また行きにモンゴルからスムーズにロシアに入国できたら、僕の人生は全く異なるものになっていただろう。
それから12年後、高校時代の友人のモスクワ駐在が決まった。それを報告するFacebook投稿に「誰も来ないと思うけど」という旨のことが書かれていた。それを見てすぐにでも行ってやろうと思った。約1ヶ月後、僕はモスクワにいた。毎年恒例のメドックマラソンのために渡仏する際の経由地にモスクワを選んだのだ。
「ロシアも結構パクチー使うんだぜ」。友人が“キンザ”(ロシア語でパクチーのこと)の表記を探して一皿注文してくれた。結果、それ以外もパクチーが使われており、出てきた料理の半分以上にパクチーが使われていた。また、別の東欧料理店に行ってみたら、全ての料理からパクチーを発見することができた。“ロシアはパクチー生産量が世界一”と聞いたことがあったが、日本パクチー狂会の僕が全く知らなかったパクチーの世界がここにあることを知り、感激した。ロシア・東欧はパクチーに溢れている。住んだことのある人はよく知っているらしいが、意外とほとんどの人が気づいていない真実だ。
ロシアのエクストリームなマラソン大会の一つに、「バイカル・アイス・マラソン」というものがある。凍ったバイカル湖上を走る「一直線のマラソン大会」だ。気温は氷点下20℃ぐらい。上述の高校の同級生がハーフマラソン部門に出場したのをFacebookで見ていた。僕はそれを見て、バカじゃないかと思った。その翌月、サハラ砂漠マラソン(MDS)という、砂漠を250km走るレースを通じてパク塩(パク天とかにかけてあります)の商品化をするおバカランナーの僕だったが、そんなレースに出たいとは思わなかった。
サハラ砂漠マラソンの後、一緒に走った Team PAXi のメンバーやそれぞれの友人たちと、パリで飲み会をした。疲れた身体に浴びるような酒。楽しかったこと以外、全てぶっ飛んでしまうような会合だったが、そこでモスクワからパリに引っ越したばかりの人物と会った。僕がモスクワ在住の友人の話を出すと「彼は盟友ですよ!」と興奮気味に語った。何の盟友かと思ったら、一緒にバイカル湖を走ったという。OMG!
「佐谷さん、出会ったばかりでこんなこと言うのもなんですが、絶対に出るべきですよ」。手元のiPhoneでこの奇跡的な出会いをモスクワに伝えると、しばらくしてリプライが返って来た。「じゃ、申し込んどくよ。来年は俺もフルにする」。誰もそんなことは言っていないのに、極寒の地でのフルマラソン出場が決まってしまった。2016年春、僕は極寒のシベリアに降り立った。
ロシアへの入口は2度もパリだったというのは何たる偶然だろうか。そしてパリでもモスクワでも、人々はパクチーを食べまくっているという事実を、皆さんに伝えたいと思っております。
(パクチーハウス店主)
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