芸術的センスのほしいKyo paxiです。
3日から15日まで、ジャーナリスト大月啓介さんの写真展「A day in the life of Palestina」が開催されていることはすでにブログでお伝えしておりますが、今週、大月さんが非常にいい雰囲気を作り出してくれています。僕がまさに思い描いているパクチーハウスの姿が、昨日の店内にはありました。
大月さんは今回、“戦争で血塗られた悲惨なガザの現状”ではなく、“戦争中でも確かに存在する日常と人々の笑顔”をパクチーハウスのPieceOfPeaceプラザに展示してくれています。「パレスチナに興味を持っていない人にも知ってもらいたい」という思いがあり、パクチーハウスでの写真展開催を決めてくれました。
ニュースで紛争のことを伝えているのを聞いて「遠くの方で大変だなぁ」とヒトゴトのように思ったことはありませんか。確かに、ミサイルの誤射が起こるほど近いところではありません。しかし、我々の生活に必要なものが、その「遠く」から来ていることがよくあります。多くの場合、それを知ろうとしていないだけです。
戦争状態に60年以上なくても笑顔を自然に表現できない人がいる国があります。しかし、ミサイルの恐怖におびえながらも、日常生活を送り、笑顔のきっかけを見つけている人もいます。大月さんの写真に収められているパレスチナの人々の姿は、満員電車に揺られ他人に恨み言をいう人の心に突き刺さるものです。毎日、新聞やテレビで流れてくる情報を、この写真を見た後にもう一度読み直してください。人の生死を、統計でなく具体例として見ようと思うことでしょう。
大月さんの写真に囲まれた店内には、穏やかな空気が流れています。多くのお客さんが、写真について話題にし、営業時間中ほとんど在パクしている大月さんと話をしています。立ち上がって写真を見る人が多くなると、違うグループの人たち同士も、同じ写真を見ているという仲間意識から、会話を始めています。この雰囲気は“交流する飲食店”パクチーハウス東京の理想の形です。
芸術的センスを持ち合わせない僕は、アートなどの作品が額やガラスケースに入っていると全く興味をもてません。貴重なものを保存しておくために仕方がないことなのでしょうが、一般的な人にとってアートとの距離は非常に遠いと思います。しかし、少しでも近づきたいと思っているので、作品展示とコミュニケーションについて考えてきました。PieceOfPeaceプラザはそれを表現したものです。
高価な作品は置きません。表現したい人に場所を開放するというスタイルを取っています。ただし、作品に近づくにはそれを創った人の存在が重要だと考えていますので、期間中はできるだけパクチーハウスにいるようお願いしています。作品にすこしでも興味を持った人が後ろを振り向くと、作者がそこにいるのです。アートはコミュニケーションを生みます。
アートとコミュニケーションという意味では、最近読んだ以下の2冊の本が、グッと心に来ました。一つは栃木・板室の温泉旅館・大黒屋の室井社長の活動について書いたもの(著者は別の方)。もう一つは日本美術をデジタルで復元するデジタル復元師の小林泰三さんが書いたものです。パクチーハウスの考えるコミュニケーションに興味のある方は、是非読んでみてください。そして、この件についてディスカッションしましょう!
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