水戸黄門はパクチーを食べていた!

パクチーは千年以上前から日本に存在し、江戸時代には寿司の薬味として使われていたということは、日本パクチー狂会の創設期から繰り返し述べていることですが、あの黄門様が日本のラーメンの元になるものを食しており、その薬味にパクチーを使っていたという情報を得ました。

以下、ほぼ同内容になりますが、2つの文献から引用させていただきます。

光圀にラーメンを振る舞い、中国の珍味を知らしめ、光圀を一層の食通人間に仕立てた人がいる。朱舜水である。
(中略)
舜水は古来から中国に伝わる藕粉を使った平麺の打ち方を知っていた。そこで光圀への返礼の宴にはなにはさておいてもと、伝来の麺を打ってもてなした。
(中略)
この時、朱舜水は、光圀にもう一つ祖国の味を伝えている。麺の薬味である。いまでこそ中国の麺の薬味といえば胡椒ということになるが、舜水が光圀に伝授した薬味は「川椒」「青蒜絲」「黄芽韮」「白芥子」「芫荽」の五種類であった。

小菅桂子『水戸黄門の食卓』(中公新書、1992)pp41-46

 

では、朱舜水がもたらしたラーメンは、どのように味をつけたのか。光圀が食した藕粉でつないだ平打ち麺は、スープに「火腿」(豚肉の塩漬けハム)を使用。舜水は光圀に、薬味を五種類(「五辛」)伝授したという。
「川椒」(大陸山椒)、「青蒜絲」(ニンニクの茎)、「黄芽韮」(黄ニラの若芽)、「白芥子」(白芥子)、「芫荽」(香菜)。
現代の日本人には、さほどきつい匂い、味ではないかもしれないが、江戸開府から百年と経っていない光圀の時代には、さて、どうであっただろうか。

加来耕三『卑弥呼のサラダ 水戸黄門のラーメン』(ポプラ社、2015)pp71-72

 

*藕粉・・・蓮根の澱粉
*2つの文献は、岡パクを代表する黄ニラ大使のFacebookで知りました。