武雄とパクチーハウスの出会い

今週末(12/3)に【cinemo PAX】というイベントを行いますが、武雄氏とパクチーハウスがまさに繋がった最初の一歩をここにご紹介しておきます。

スタッフ研修で釜山にいた時のことでした。たまたまその翌日に福岡を経由することが決まっていたので、スピーディーに物事が進んだのがコメント欄に記録されています。

イベントは事前申し込みが必要です: 【cinemo PAX vol.2】前武雄市長・樋渡啓祐さんと考える【地方都市の活性化】〜映画『幸せの経済学』見て、トークして、パクチーパーティ!

 

9周年ありがとうございました!

11月20日(日)、パクチーハウス東京は9周年の日を迎え、10年目に入りました。

9年間で143,802人の方にご来パクいただきました。僕たちの想像を超えるお客さんのクリエイティビティーにいつも刺激と衝撃を受けつつ、日々楽しく店づくりをしてきました。10年目もよろしくお願いします。

10年目最初のパーティは12月3日(日)に開催します。

【cinemo PAX vol.2】前武雄市長・樋渡啓祐さんと考える【地方都市の活性化】〜映画『幸せの経済学』見て、トークして、パクチーパーティ!

パーティの様子は動画をご覧ください!

 

【謝辞】パクチーハウス9年の旅

パクチーハウス東京のKyo paxiです。

パクチーハウス東京は、本日で9周年となりました。

丸9年で143,730人の方にお越しいただきました。たくさんの方に支えられて今があります。現在、9周年を記念したパーティの真っ最中でメガジョッキ片手に酩酊しています。

また、創業当初はパクチーがマイナーな存在であるばかりでなく、“ありえない”業態と7年ぐらいは言われていましたが、この2年ぐらいは「パクチーブームが来た」とか「パクチーは今年の注目の食材」なんて言われることもあり、少々混乱しつつ、日本パクチー狂会(2005年創設)の頃からの夢がかなったこと、嬉しく思っています。

旅から生まれたパクチーハウスは、多くの旅人を惹きつけていますが、それぞれのお客さんの魅力をさらに引き出したいと、この9月からは数ヶ月毎に「特集」を組んで、特定の国や地域にフィーチャーし、そこから受けるインスピレーションで料理を作る試みも始めました。

飲食業未経験のまま勢いで作ったパクチーハウスは、いまだに未完成のまま、変化を続けています。創業当初、その概念すら知らなかった/存在しなかったコワーキングやシャルソンを普及させているのは、みなさまからのインスピレーションあってのことです。

今後も、パクチーハウス東京は「ハウス」のような存在でありたい。つまり、僕の家に来る人とは可能な限り知り合い、お話がしたいです。

パクチー料理専門店として、パクチーはとことん追求していきますが、パクチーだけでなく旅ができる空間としてのパクチーハウスをこれからも宜しくお願いします。

 

パクチーハウス東京
佐谷恭

9周年

おかげさまでパクチーハウス東京は2016年11月20日で9周年を迎えます。

10年目に入るこの日に、みなさまと盛大にパーティをします。来たことがある方も、ない方も歓迎。パクチーハウスという、僕が考えるカオスな世界へようこそ。

https://www.facebook.com/events/1068208949944517/

パクジョアーダ Paxjoada

ブラジルより 豆と豚肉のパクゴロ煮

ワールドカップとオリンピックで存在感を増したブラジルでもパクチーは活躍しています。そのブラジルで国民食とされるフェイジョアーダを、パクチー料理に仕立て上げました! 豆と豚肉の複雑なゴロゴロした食感を楽しんでください。

旅の原点〜中南米に行きたい

 

 


 

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アロス・根・ポージョ(あろすこんぽーじょ)Arroz Con Pollo

ペルーのパクライス〜味の決め手は鶏とパクチーの根っこ

パクチーたっぷり、ペルーの鶏肉炊き込みご飯。日本パクチー狂会の初期、僕も恥ずかしながらパクチーはタイをはじめとする東南アジアのものと信じ込んでいました(実際は地中海発祥で世界中で食されています)。いろいろ調べて行くうちに、ペルーでは異常にパクチーを使うという情報をニュース。パクチーのペーストが普通に市販され、それを使ったアロス(米)コン(with)ポージョ(鶏)が極めて美味しいと知って「パクソース」の炊き込みご飯で再現したのを思い出します。さらなる美味しさを追求するためにパクチーの根で味・香りをさらに高めました。

旅の原点〜中南米に行きたい

 

 


 

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ことパクチー セビーチェ “Cotopaxi” Ceviche

中南米の“世界一有名な郷土料理”をパクりました

魚介のマリネであるセビーチェ。ペルーが有名ですが中南米各国で食べられているようです。エクアドルに“Cotopaxi”というアンデスの人々に聖なる山と讃えられている火山があり(形は富士山にそっくり!)、なんとかエクアドル風にしたいと思って茹でた海老を入れました。エクアドルの首都・キトは標高が高く、生の魚が入りにくく茹でた海老をセビーチェによく使うという記述を見つけたためです。やや強引ですが、paxiとやたらに絡みたい僕たちの願望にお付き合いありがとうございます。

旅の原点〜中南米に行きたい

 


 

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【11月20日】いよいよ10年目!

パクチーハウス東京は11月20日で9周年、つまり、いよいよ10年目を迎えます。

これまでたくさんの面白い出会いがありました。その積み重ねで今があります。

思いがけないパクチーブームも・・・(笑)。しかし、よくあるブームで終わらせず、それを文化にまで昇華させるべく、たくさんのお客さんや食品関連各社のみなさんと、パクチーの普及・浸透・定着を促していきたいと思っています。

日本に1000年以上前に渡来しながら定着しなかったパクチーは、しかし、多くの旅人が世界を動く時代になってその兆しがみえてきました。パクチーは植物であり、ハーブであり、食べ物なわけですが、日本にはほぼ存在しなかったという(そういう意味では)ラッキーな事情により、パクチーは「旅の楽しさ」を思い出させる象徴的な存在ともいえます。(たとえあなたが「嫌い」だと思い込んでいたとしてもネ!)

パクチーは「おいしい」だけでなく「楽しい」のです。

だから僕は、パクチーなんて受け入れるわけがない、ありえない、馬鹿げているという専門家の声を無視して、パクチーハウス東京を創ったのです。

パクチーでパーティするんです。

11月20日 17:00〜の「9周年記念パーティ」で一緒に騒ぎましょう。お待ちしています。

詳細・参加表明などはこちら⇒ https://www.facebook.com/events/1068208949944517/

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旅の原点〜中南米に行きたい

パクチーハウス東京は10月28日〜2007年1月15日まで、中南米を特集します。中南米の国々の料理をパクチー料理にアレンジ(元々入っているものも多いので、さらにパク化)して提供いたします。

中南米特集のスペシャルメニュー

パクジョアーダ Paxjoada
ことパクチー セビーチェ “Cotopaxi” Ceviche
アロス・根・ポージョ(あろすこんぽーじょ)Arroz Con Pollo


世界約50カ国を旅してパクチーハウス東京を作った僕の、最初の目的地は中南米でした。幼い頃『太陽の子エステバン』を観ていたのが潜在意識を作ったのでしょう。そして高校生のとき、兄や従兄から旅先の中南米で撮った写真を見せられて、「大学生になったら中南米に行きたい」と思うようになりました。

しかし、僕の旅のスタートは大学一年生のとき、韓国からでした。その理由は、(外国に一人で旅するなんて怖いなというのもありました=もちろん好奇心が勝って今に至るわけですが)中学生のときに実家で韓国人のホームステイを受け入れた際に、一番近い国の人とコミュニケーションが全く取れないという体験をしたからです。
初めて一人で外国をふらつき、多くの友達ができました。当時は聞き慣れなかった「ゲストハウス」に行くと、世界を旅する人があまりにもたくさんいることを知って驚きました。
韓国の首都ソウルから、アメリカ経由で中南米のどこかに飛ぼうと思って旅行代理店をいくつか訪ねましたが、日本の夏休み=韓国の夏休みで、安いチケットは2週間以上どれも満席。ビザなし滞在期間内にソウルを離れることができそうにありませんでした。

各国の旅人と話をして、僕は行き先を変えることにしました。当時大学のサークルでカンボジアのPKOの研究をしていたので、行ってみようと思い立ちました。大学で研究しているときには「未だに地雷が多く旅できる場所ではない」と多くの学生とともに思い込んでいましたが、出会ったばかりの旅人から「行くべき場所、注意すべき点、実際に行った体験」に関するアドバイスをもらうことができました。
時は1995年夏。プノンペンで物売りから買った英字新聞に、「ベトナムがASEANに加盟」したことが書かれていました。自分のいる隣の国で何か変化が起こっていることを面白いと感じました。そして、海でなく陸の国境というのはどんな感じなのだろうと思い、次の行き先をベトナムに決め、旅の目的は「陸路国境越え」ということになりました。その後、さらにさまざまな旅人から話を聞いて、アジアの国々への興味が広がり、結局大学生活を終えるまでにアジアばかり20カ国を旅することになりました。

卒業後も、仕事の合間に旅を・・・というか、旅の間に仕事をしながら悩める20代を過ごしました(笑)。ユーラシア大陸を3度横断し、イギリスのブラッドフォード大学の大学院で現在の会社名と同名の修士論文「旅と平和」を執筆し、無職のまま結婚。「一人旅を終えて二人旅へ」という意味を込めて、ユーラシア大陸の最西端「ロカ岬」で結婚式をしました。スペイン留学経験のある妻とそこで愛を誓い、はるか大西洋のかなたにある中南米に思いを馳せます。(無職だし)いつか中南米で仕事するかもねとも。

それから12年が過ぎました。上の子どもが生まれた年にパクチーハウス東京を創り、彼もまもなく10歳。パクチーはちみつの採取やメドックマラソン、コワーキング関連のネットワーク作りでヨーロッパには毎年訪問。また、近年ではパクパクマラソンとしてのコムラッズマラソン(南アフリカ)やサハラマラソン(モロッコ)でアフリカに行く機会も持てました。最初のゴールとして設定した中南米には・・・まだ辿り着いていません。そんな僕らの「中南米特集」は、僕の願望であり、妄想であり。中南米のこと、よく知らないのでどうかお話を聞かせてください!


 

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