パクチーは寿司の薬味として使われていた【江戸時代】 #和食とパクチーの融合

「江戸時代に、パクチーは寿司の薬味として使われていた」

その情報を得たのはパクチーハウス東京をオープンするより前。その後各所でパクチーについて語る機会があり、そのことも伝えていましたが、その情報をどこで得たか忘れてしまいました。また、そのことが『料理塩梅集』という書物に記されていることは知っていましたが、原典に当たったことはありませんでした。

6月末に銀座の寿司さいしょさんとコラボイベントをして、そういえば江戸前寿司ってのは19世紀からだったなと思っていて、気づきました。『料理塩梅集』は17世紀の書物なので、その時の「寿司」ってどんな寿司だったんだろうと。

そろそろ『料理塩梅集』の原典に当たらなきゃなと思っていたら、それがネット上で閲覧できることを知りました。ただ、活字じゃないのでとても読みにくい・・・。夏休みの課題としてゆっくり読もうかと思ったのですが、しかし、せっかくだからCoreadingしてみようと思って、これを読むイベントを立てました。

お客さんの中には色々な人がいるもので、古文書を読める方が名乗り出てくれました。そして(あっという間に)見事解読。資料の該当する部分を教えてくれました。

原文はこちらをご覧ください。53ページ参照。

icheさんありがとうございます。以下、現代語訳と解釈を転載させていただきます。(太字はパクチーハウス東京で付けました)


 

【現代語訳】
一夜鮓の作り方
鰯でもなんでも、生魚(この記述がない本もある)の新しいものを使い、酢を沸かしてその魚にかけ、桶の下に敷くものとして、わけぎを少し湯びいて敷き、その上に右の魚を置いて、わけぎにも魚にもこえんどろ(コリアンダー!)を粉にして、少しずつ振掛け、重石を重くかけること。翌日取り出して食べると、上々の鮓になっている。ご飯は一切いれない。

【当時の鮓とぱくちーすし?】
当時の鮓は、塩をした魚に炊いたご飯を入れ、発酵させるなれずし(ふなずし)のようなものが一般的。「一夜鮓」も普通はそういう作り方だが、ここではご飯を一切使わないとのことなので、むしろ、後の「生すし(きずし=今も関西で〆サバのこと)」②に近いのではないか。「こゑんどろ」(コリアンダー)は「粉にして」とあるので、パクチーというより、コリアンダーシードを山椒の様に使って、湯がいたわけぎと青背の魚を合わせた和風マリネの様なものかと思われる。


 

江戸前寿司のわさびのように、ご飯とネタの間にパクチーを挟んでいる姿を想像していましたが全然違うようです。

パクチーを通して、寿司の歴史を学ぶこともできました。 このレシピで、一度試してみなきゃですね。

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『料理塩梅集』の該当箇所を知り、喜ぶ日本パクチー狂会・会長